ヴァーチェ神能博物館
舞踏会場から脱出したアドラは、着慣れないスーツを脱いで普段の装備に戻してから、ハルメスの用意したオイルカーに乗ってグロリアの夜の街を走っていた。
「……」
アドラは後部の左座席で頬杖をつきながら物憂げな表情を浮かべる。
「仲間の安否が気になるかね」
右座席に座っているハルメスが心配して声をかけるが、アドラは小さく首を振る。
「いいえ全然。何も知らずに襲ってきた敵の安否のほうが心配なぐらいです」
マルディたちを撃退した後、モモの使い魔から『我々は用事があるので先に行け』というメッセージが届いた。犬っぽい容姿で愛らしい使い魔だったが、メッセージを告げた後、すぐ元の術符に戻ってしまってちょっと悲しい。
それはともかく……彼らの心配などするだけ無駄だ。
気になるのはオキニスぐらいだが、シルヴェンがついている以上、そう大事にはならないだろう。
――だがなぜだろう、さっきから妙な胸騒ぎを感じるのは。
「おれの身の安全のほうがよっぽど気がかりですよ。先日独りで行動して痛い目を見たばかりなので」
アドラは内心の不安を無視していった。
虫の知らせは的中するなどというけれど、たまたま当たった時の体験が鮮明に記憶に残るだけ。さっさと切り替えよう。
「悪いがここから先は君以外を招待させられない。心配せずとも我々がいるさ」
「心配するなっていわれてもねえ……」
アドラは助手席でいびきをかいて眠っているダスクを指さしていう。
「敵を撃退した途端また爆睡とかマジで大丈夫ですかこの人」
「寝ていても現世の状況は視えているようだし大丈夫だろう、たぶん」
――またたぶんかよ。
伝承によると貘は魔導の麓という虚構空間を住処とする精神生命であり、肉体は現実を旅行するための乗り物にすぎないという話だが、見たところ人間との混血児っぽいダスクにも適応されるのだろうか。
「なに目的地に着いたらお別れなのだからそう気にする必要はないさ」
「ちょ……ええっ! さっき『我々がいる』とか自信ありげにいったばっかりじゃないですか!」
「下っ端のわしらはこれ以上ついていけぬのだから仕方ない。現地では相応の者が対応してくれるさ。たぶん、きっとな」
「曖昧な物言いマジでやめてくださいよ!」
アドラの不安を煽りに煽ってから、ハルメスは視線を夜の街へと向けた。
ハルメスを問いつめても無意味だろう。彼は本当に何も知らないのだから。ここから先は自分の目で確かめるしかない。
車が停まりドアが開かれる。
黒服の男に促されアドラは車外へと出る。
「幸運を祈る」
車内からハルメスがアドラに声をかける。
「そちらこそ。良き老後を」
そういってアドラが握手を求めると、ハルメスは快く応じてくれた。
「互いに運が良ければまた会おう」
その言葉を最後にハルメスを乗せた車は再出発した。
おそらく今後もミカエルからの刺客に悩まされる日々が続くのだろうが、彼には最強の護衛ダスクがついている。そこまで心配する必要はないだろう。
――やっぱ一番心配なのはおれの身だよなぁ。
軽くため息をつきながら、アドラは眼前に佇む建造物を見上げた。
ヴァーチェ神能博物館。
ヴァーチェの歴史・芸術・民俗・産業・科学などに関する資料を広く集めて研究、保管し、一般の利用のために公開する施設として世界的に有名な場所だ。
どうもここを武力制圧するために敵対勢力の目を宮殿に集める必要があったらしい。
――もはや一種のクーデターだよな、これ。
いちおう外国の盗賊団に偽装しているそうが、どこまで通用するかは正直疑問だ。
下手したら地方間の戦争にまで発展するかもしれない。
そこまでしてやりたいこととはいったい何なのだろうか。
それが自分と一体どのような関係があるのか。
疑問が疑問を呼ぶが、考察する材料が少なすぎるので考えるだけ無駄だ。
もうすぐ今回の作戦の責任者に会えるそうなので直接訊くしかない。
アドラは武装した兵隊たちに案内されて博物館の中を進む。
博物館にはアドラも知識としては知っている様々な聖遺物が惜しげもなく展示されていた。観光中ならさぞかし楽しかったに違いない。
ちなみにヒエロにてエリスが振るった竜殺しの聖剣 《アスカロン》 もきちんと展示されていた。
精巧な造りだが聖気らしい聖気をまるで感じないので恐らくレプリカだ。使い手不在ならただの古い剣とでもいっておけばまずバレはしない。
盗まれたので仕方なくレプリカを置いていると好意的に解釈したいところが、それはまずないだろう。こうして大軍で制圧してなお、強力な結界で何重にも護られたレプリカのアスカロンに手を出せないでいるのだから。
博物館の中を進んでいくと、今回の計画のリーダー格と思しき女性が待っていた。




