眠らない都
サタニスタの首都キョウエンは夜も眠らない。
煌々と点る魔灯を頼りに多くの市民が生産活動を続けていた。
路上は仕事帰りのサラリーマンで溢れかえり、彼らを食い物にするべく多くの売春斡旋業者が手ぐすねを引いて待ちかまえている。
「お客さん、いい娘いるよ!」
その客引きはいつも通りの調子でその客に声をかけた。
オールバックの大男。
白鳥の羽がついたコートを羽織っていて背後から見るとまるで天使の翼に見える。
そうとう遊んでいるような格好だったため真っ先に声をかけたのだ。
「悪いが急いでいる。客引きなら他を当たれ」
近くでよく見ると髪には白髪が混じり顔にも深い皺があった。
かなりの年寄りだがまだ性欲は衰えてはいないはず。むしろ金を持っているカモだ。
「そんなこといわずに。お安くしとくからさ。今夜限りの特別価格」
客引きのいう通りその店は表向きの金額は非常に安かった。
それに釣られて多くの客がやってくるが後に必ず後悔することになる。
行為に及んだ後、必ず料金表にない法外な金額を請求されるからだ。
文句をつけると大男に囲まれて脅迫される。
訴えようにも売春という恥ずべき行為を公に晒すのははばかられる。
よって多くの場合泣き寝入りする。
万が一訴えられた場合は早々に店を畳んでまた新しい店を開くだけ。
ボッタクリ店の常套手段だ。
「何度もいうが急いでいる。人を待たせているのでな」
冷めた口調でそういうと客引きを無視して歩き始める。
この程度のことで獲物を逃がしたら悪徳業者の名折れ。
客引きは逃げようとした客の腕をとっさに掴んで引き留めた。
次の瞬間、客引きの首が万力の力で締め付けられた。
「客引きが客に直接触れるのは違法。知らぬとはいわせぬぞ」
ルーファスの魔力 《神の見えざる手》 が客引きの首を圧し潰さんばかりの勢いで締め上げる。
ようやく客の正体に気づいた客引きが泣きながら謝ろうとするが首を絞められてはもはや声もでない。
「今日のところは見逃してやる。しつこくいうが急いでいるのでな」
泡を吹いて失神した客引きをゴミのように投げ捨てた後、ルーファスは大通りから外れて路地裏へと身を滑らせる。
魔界の紅月に照らし出された秘密の待ち合わせ場所。
そこにはステンノが廃棄された木箱の上に脚を組んで座っていた。
「ちょっと魔王様、話が違うじゃありませんか」
ステンノはルーファスの顔を見るなり不満をぶちまけた。
胸元を大きくはだけさせた黒いドレス。
美しい黒髪は禍々しい毒蛇となりルーファスを威嚇している。
今宵のステンノは蛇女としての本性を隠そうともしていない。
「アドラは殺す。そう約束したはずですよ」
「そんな約束はした覚えがない」
ルーファスは眼前の悪女に向けて《神の見えざる手》を展開する。
先ほどのように圧し潰すのではなく敵を切り刻むための千の刃と化して。
ステンノの態度次第では彼女を八つ裂きにするつもりだった。
「あの魔族は危険です。放っておけば必ずや貴方の覇道の妨げとなります」
「アドラは我に忠誠を誓っている。この服がその証よ」
ルーファスが羽織っているコートを指さすとステンノが醜く顔を歪めて嘲笑う。
「能なしの飯事に付き合って差し上げるなんてお優しいこと。ですが締めるべきところでは締めてもらいませんと貴方も能なしだと思われますよ」
――やはり殺すか。
不可視の狂刃が深紅の夜を舞う。
しかし刃はステンノの喉をかっ切る前に石化し、風化し、儚く崩れ落ちた。
「私とて何の備えもなく貴方にお会いなどいたしませんわ」
ステンノは木箱から降りると膝をつき恭しく頭を下げる。
「忠誠を誓っているのは私も同じ。もうしわけございません。少し言葉が過ぎました」
誠意のこもった謝罪の言葉。しかしルーファスは鼻で笑う。
その色香と魔力で数多の為政者を破滅させてきた希代の悪女。
呪われし毒婦の一族。
忠誠などという言葉とはもっとも縁遠き者。
だがステンノのいうことに一理ないわけではない。
アドラという大悪魔が魔王軍にとって劇物であることに違いはないのだから。
ゆえに取り扱いには細心の注意を払わなければならない。
無論いざというときの処理についてもだ。
「……まあいい。我も忙しい身だ。さっさと出すものを出せ」
ルーファスが促すとステンノは胸元から真紅に輝く魔導石を取り出す。
そこにはアドラの日常生活の一部始終が記録されていた。
「引き続き監視を怠るな。場合によっては貴様の進言も聞き入れてやる」
「仰せのままに」
ステンノから魔導石を受け取るとルーファスは脇目も降らずにその場を後にした。
底知れぬ魔力を宿す最強の魔族。
何を企んでいるかわからぬ最悪の蛇女。
いつ牙を剥くかわからぬ魔狼に危険な魔術を操る淫魔。
他にも腹に一物持つ有象無象がその脚をすくわんと常に眼を光らせている。
だが魔王は決して臆さない。
最後に勝つのは己だという絶対の自信があるからだ。
毒も薬も、正義も悪も、すべてを利用し天下を我が手に。
「アドラよ、魔王も楽ではないぞ」
ルーファスはアドラの情けない顔を思い出してふと笑う。
中間管理職に疲れ果て「辞めたい」が口癖になっているアドラだが、上に立つ者はえてしてそれ以上の苦悩と責任が伴うものだ。もっとも彼の場合、好きでやっていることなのだから同列には扱えないのだが。
それでもルーファスは自分がアドラの一番の理解者であるという自負があった。
「いずれわかるさ。我に使われるのが貴様にとって一番の幸福だということを」
アドラほどではないにせよ異端児として生まれ、波瀾万丈の人生を送ってきた魔王は、暗く深い闇の中に道連れを求める。