黄昏る者
優雅なる舞踏会場に似つかわしくない甲高い悲鳴があがった。
教皇ミカエルお抱えの暗殺部隊。逆手に持ったそのナイフの標的はアドラ――ではなく元教皇ハルメスだ。
「どうも下っ端にはおれのことは知らされてないみたいだね」
こちらを無視してハルメスに襲いかかる暗殺者を、アドラは適当に掴んで窓の外へと放り投げていく。
ありていにいえば雑魚だがいかんせん数が多い。いつまでもこうしてキャッチアンドリリースはできない。周囲の客にこれ以上の迷惑をかける前にこの場を離れたほうが賢明だろう。
「ハルメス様はやく逃げてください!」
「まだ早い。もう少し敵を引きつけたい」
「いってる場合ですか! 魔術や銃火器を使ってきたらおれじゃ守りきれませんよ!」
「大丈夫。そろそろコイツが動き出す頃合いだ」
ハルメスはそういってダスクを指さした。
「いやいや、そんな寝てる人に頼ってどうすんですか!」
「儂の勘が大丈夫だといっておるから大丈夫だろう。……たぶんな」
「また曖昧なことを!」
アドラは怒鳴るがハルメスの顔は涼しげだ。
この余裕はいつ死んでも構わないという覚悟からか、それともダスクに対する絶対的な信頼故か。
「ほら、お目覚めだ」
ダスクのまぶたがゆっくりとあがる。
その様子をアドラは敵を放り投げながら固唾を飲んで見守る。
ダスクの眼が完全に見開かれた。
その瞳は混じりけのいっさいない純白だった。
同時に身の毛もよだつほどの魔力がアドラの全身を襲う。
次の瞬間、ダスクは常軌を逸した速度でアドラの背後へと回り込んでいた。
――――ッ!!
ダスクの攻撃はあまりに速すぎた。
振り向く暇もなく頭部に強烈な鉄拳が叩き落とされる。
バスケットボールのように頭部を強かに床に打ち付けられたがアドラは当然無傷。しかし動揺は隠しきれずにすかさず距離をとって身構えた。
「なッ、何をするんですか! おれは味方ですよ!」
「じゃかあしい! ヒト様の頭を気安くバンバン叩くんじゃねえッ!!」
何の話かわからず最初は困惑したアドラだったが、そういえば寝ていた彼を起こすために頭を何度か叩いたことを思い出す。
今更そんなことで怒らなくてもいいじゃない……。
「あとグラサンも返せ! てめえが持ってんだろォが!」
「あ」
「あ、じゃねえ!」
そういえば取った後うっかりスーツに仕舞っていた。
アドラはすぐにダスクに謝りサングラスを返却する。
「まったく手癖の悪ぃ……次やったらマジ殺すかんな!」
唾を吐きながらダスクはサングラスをかけ直した。
――確かに悪いのはおれだけど、そこまで怒らなくてもいいじゃない。
初対面の頃のガイアスを思い出す感じの悪さだ。今ではすっかり謙虚になった彼を見習って欲しい。
「アドラ・メノス……だったかな名前。ジジイは紳士的な悪魔だとかいってたがとんだ買いかぶりだわ」
「いやいや、おれのことなんかより暗殺者をどうにかしないと! もっと現状をよく見ましょうよ!」
「現状が見えてねえのはてめえやろ。とっくに終わっとるわボケ」
いわれてアドラは周囲を見渡し、そして驚いた。
襲ってきた暗殺者はもちろん、先ほどまで悲鳴をあげていた賓客たちも、床に伏してピクリとも動かなくなっていた。
近くにいた男性の首筋に触れて脈を確認するがいたって正常。
どうやら会場に居たすべての人が眠っているようだ。
「細けぇー理屈はわいも知らんけど、わいが起きると逆に他の連中は寝ちまうねん」
――催眠魔術!
しかも眼を見開いただけでホール全体を包み込んだ。
そんな芸当ができる魔族はおとぎ話の中にしか存在しない。
「ダスクさん……あなた、いったい何の魔族なんですか?」
「ジジイはわいのこと『貘』と呼んでたわ。なんでも今は無くなっちまった地方にいた魔族の生き残りの子孫だとか何とか」
――やっぱり!
サタンによって滅ぼされたチャイーナ地方に棲息していたという幻の最上級魔族。
魔界ではナイトメアイーターとも呼ばれ、悪夢を祓い幸福を呼び込む者として語り継がれている伝説の聖獣だ。
「伝説の大魔族の末裔! お会いできて光栄です!」
アドラが笑顔で差し出した右手を、しかしダスクは鬱陶しそうに払う。
「先にいっとく。わいが言うこと聞くんはそこにいるジジイだけや。てめえは皇族でさぞお偉いらしいけど、守る気も馴れあう気もない。わいに殺されんだけありがたいと思って、てめえの身はてめえで守りな」
「……」
アドラは払われた右手を無言で引っ込める。
「……ダスクさんは、ハルメスさんが偉いから従っているわけじゃないんですか?」
「たりめえだろ。ジジイには育ててもらった恩義があるからな」
――なんだ、やっぱりおれの回答が正しいんじゃないか。
価値のない人間など存在しない。
教皇の肩書きなんて関係ない。少なくともダスクにとってハルメスは唯一無二の存在なのだ。
自らの正しさが今、ここで証明されたことがアドラにとっては何よりも嬉しい。
「すべて了承しました! では一緒にハルメス様を守りましょう!」
アドラは再び笑顔を浮かべて今度は左手を差し出した。
「だから馴れあう気はないっつってんだが」
「護衛として円滑な任務を遂行するのにある程度の友好は必要かと存じます」
「けったいな奴っちゃな。……まあええわ」
根負けしたダスクはアドラと握手をかわす。
そしてすぐに手を離してハルメスのほうに向き直る。
「で、どうすんだジジイ。いつまでもここにいても仕方ないで。さっさと帰ろうや」
「まあ待て。おまえの存在は向こうも認識しておるだろうから、催眠魔術の効かない本隊がどこかで息を潜めているはずだ。今は下手に動かないほうが――」
そこまでしゃべりかけて、ハルメスは会話を中断する。
彼の足下にある床が突然抜けたからだ。
アドラは状況を瞬時に判断する。
――真下からの砲撃!
直撃は免れたが、年寄りの腰を抜かすには十分すぎる威力だ。
アドラは為す術もなく転落するハルメスを素早く抱き抱え、瓦礫と一緒に階下に着地する。
「残念、殺れなかったか。魔導兵器なんてしょせんこの程度ですか」
階下で待ち受けていた者の顔を見て、アドラは目を丸くして驚いた。
「やはり信頼できるのは我らが誇るネクロマンシーのみということですね」
均整の取れた身体に黒いマントを羽織り竜頭を模した杖を携えた若い男。
モノクルをつけた切れ長の眼がアドラを見下すように見ていた。
――マルディ・グラ!!!
ヒエロで殺されたはずの男がなぜこんな場所に!?
「はじめましてアドラさん。いや、ここはおひさしぶりというべきですかね?」
「あんた生きてたのか……って、そんなわけないよな」
「そりゃそうですよ。私は二代目です」
一瞬だけ取り乱したアドラだがすぐに冷静さを取り戻す。
あの身体は肉人形でいくらでも生産可能。驚くようなことは何もない。
「あなたのおかげで目の上のたんこぶだった先代がくたばって、ようやく日の目が見れるようになりました。感謝いたしますよぉ」
「そうかい。だったら今日のところは見逃してくれないかな?」
「先代なら気の利いたジョークのひとつでも飛ばすんでしょうが……寝言は寝ていってください」
マルディが指を鳴らすとラバースーツを着た部下たちがぞろぞろと前に出てくる。
「全員、厳選された高等な不死人兵です。当然ですが眠らせることはできませんし、完全に動けなくなるまであなたがたを襲い続けます。ヒエロで急造したゾンビごときに苦戦したあなたではどうにもなりませんよ」
ゾンビに苦戦した記憶はないのだが、マルディが使役している不死人がそうとうな実力を持っているのは間違いない。この数相手にハルメスを守りながらとなると、当然ながら厳しい戦いが予想される。
だがどれだけスペックが高かろうが、どれほどのハンデがあろうが、魂を縛られた者に負けるわけにはいかない。
「来いよマルディ。先代と同じくお縄にしてヒエロに突きだしてやる」
「できるものならやってみなァ! 私は甘っちょろい先代とは違うぞ! ネクロマンサーの真の恐ろしさを思い知らせてはぴょ――」
アドラとマルディの会話は、ダスクによって強制終了した。
無造作に横に振るったダスクの拳がマルディの頭部を跡形もなく消し飛ばしたのだ。
「てめえらぁ……うちのジジイに手ぇ出して無事で済むと思うなよぉぉぉっ!!」
大気が震撼するほどの魔力を全身に漲らせ、悪夢喰らう神の遣いは吼えた。
そこから先の凄まじさは筆舌に尽くし難し。
ダスクの豪腕が唸りをあげると階下に群がる不死人たちが為す術もなく肉塊となり、瞬く間にホールを血の池地獄へと変えていく。
アドラはその様を、さながらネズミのように部屋の隅で震えながら眺めていることしかできなかった。
「助かったわアドラ。あんたがおらんかったらジジイがおっ死んでたかもしれん。でかい口叩いてこれだからマジ恥ずかしいわホンマ。やっぱ持つべきもんは仲間やな」
「ええ……そ、そうですね。いえ、でかい口を叩いてたって意味ではなくてですね。とにかくその、あまり気にしないでください。おれたちもう仲間なんで……」
差し出された血塗れの手を、アドラは目を泳がせながら、精一杯の愛想笑いを浮かべて取った。
催眠魔術が利かない相手には無力なのかと思ったがとんだ勘違いだ。
単純かつ純粋に強い。その実力、まさに最上級。
魔界の自称最上級魔族とは天地の差だ。
「それでジジイの様子は?」
「大丈夫です。一時期気を失ってましたがすでに目を覚ましてますよ」
アドラは抱えていたハルメスを降ろす。
「すまない迷惑をかけた。おまえのいう通りだったわ。刺客はまだまだやってくる。これ以上の危険に晒される前にここから去るとしよう」
「ジジイが無事ならそれでええんや。さっさと家に帰ろう。そもそもわいらにこんなお上品な場所は似合わんよ」
ハルメスの無事に安堵するダスクを見てアドラは微笑ましい気持ちになる。
――やっぱり『本物』は違うな。
魔界の王族の手により一方的に定められた階級判定。
基本的には魔力の量だがそれだけでは方手落ちだ。
力の強さだけでは足りない。心もまた優しく強くあるべきだとアドラは思うのだ。
《黒死の一三翼》 “黄昏る者” ダスク・トワイライト。
真の最上級魔族とは彼のような人物のことをいうのだろう。




