ヴァーチェ聖信舞踏会
ヴァーチェ聖信舞踏会。
年に一度、グロリア南端のゴッデス宮殿で催される世界最大規模の舞踏会。
世界各国の為政者や国宝級の有名人が一堂に会し、友好を深めることを目的としている。参加には枢機卿クラスの権力者からの招待状が必須となる。
いわゆる『お披露目会』であり、舞踏会の参加者は今後、世界を動かしていく要人として世間から認識される。
そのような場所なので当然暗殺の危険性は高く、教皇を筆頭にした「お披露目の必要もない本当の権力者」は参加しない。ちなみに現聖王エリもその建前を利用して参加していない。本音はただ面倒くさいだけなのだが。
そのような栄誉ある場所に、アドラは『エクスシアの駆け出し青年実業家』という名目で参加していた。
「……微妙に肩書きがショボいですね」
「あまり大層にしすぎると目立って相手にせんでもいい輩がすり寄ってくるからな」
アドラのボヤきに隣りのモモが反応する。
この舞踏会にあの手この手で参加する実業家は非常に多い。
世界各国の要人たちとコネを作る絶好の機会だからだ。
よってその招待状はオークションで高値ながらも一般の間で取引される。
金に困った国や枢機卿が金銭で招待状を作成したりすることもあるらしいので、この肩書きでも怪しまれることはまずないとのことだ。
「もっとも、おぬしが田舎者丸出しのムーブをしなければの話だがな」
「それが一番心配ですよ」
ネクタイを締め直しながらアドラは自信なさげにため息をついた。
さすがのアドラもフォーマルな場所でクソダサい(自虐)コートで参加するわけにはいかない。グロリアで買った黒のスーツに身を包んでいるわけだが……正直、着慣れているとはお世辞にもいえない。
――スーツを着たのなんていつ以来だろうか。
アパレル企業の面接時に何度か着たが、何となく敗北感があったのですぐにいつものコートに戻している。
シュメイトクにいた頃は紋付き袴が多かったし、そもそも魔界では社交場でスーツを着るという文化が根付いていない。画一的なスーツでは個性が出にくいからだ。
――オルガンさんなんて謁見の間ですら裸同然の格好だったからなぁ。
肌を晒すなら自分の前だけにして欲しいなぁなどと惚気つつ、アドラはモモに指示に従い目的の場所へと向かった。
「パパーっ! 早くはやくーっ!!」
モモは豪華なご馳走の並ぶテーブルの隙間を縫うように走る。
その様は無邪気な子供そのものである。
本日の彼女はアドラの一人娘という設定だからだ。
なぜか年齢に似合わないスケスケの黒いドレスを着ているが、親の趣味だと思われていたら色々とヤバい。
なぜならアドラは周囲の目をめちゃくちゃ気にする悪魔だったからだ。
「モ……モーリス! はしたないから、走るのはおやめなさいっ!」
「えーやだやだーっ!」
アドラがたしなめるが、モモはまったく言うことをきかない。
確かにそういう奔放な少女という設定で行くとはいっていたが……役にハマリすぎだろ。ていうかモモさん、この状況を楽しんでますよね!?
「止まりなさい! 誰かにぶつかったら危ないだろっ!」
半ば冗談で口にした忠告だったが、モモは走っている最中に本当に人とぶつかった。
――子供じゃないんだから前方の確認ぐらいしとけよ!
もはや役というより素がこっちなのではないかと疑いたくなる。
アドラはすぐさま駆け寄りぶつかった相手に何度も頭を下げた。
「すいませんすいません! うちの娘がとんだ粗相を……」
「いえいえ構いませんよこのぐらい。彼女にはいつもお世話になっていますから」
白髪の老人だった。
背は低く手足はやせ衰えていて杖をついている。還暦はとうに過ぎているだろう。天寿を全うする手前の人間だ。
ただ、目だけはやたら大きく、その瞳はまるで子供のようにキラキラと輝いていた。
歳は喰ったがまだまだ若い者には負けてないと無言で告げているようで、それがアドラには何となく嬉しかった。
――あれ? もしかしてこの御老人……。
アドラは周囲を見渡してから会場の見取り図を確認する。
間違いない。ここが約束の場所だ。
「初めましてアドラくん。儂の名はハルメス・マド・マレドリット。マド地方の教皇ウリエルといったほうが通りがいいかな?」
アドラは顔を真っ青にして深々と頭を下げるが、ハルメスはそれを手で制する。
「儂の召集に応えてくれたこと心より感謝する。さあ、まずはパーティを楽しもうじゃないか」
※
がつがつがつがつがつがつ。
テーブルに置かれた豪勢な料理をハルメスはもの凄い勢いで食い荒らしていく。
「……」
その様をアドラはシャンパン片手に呆然と眺めていた。
天寿全う間際の老人とは思えないほど食欲旺盛なのは結構なのだが、フォーマルな場所では少々マナー違反ではないだろうか。
――ていうかこの人ホントに教皇?
顔も知らないアドラには真偽を判断する術がない。
普通に考えれば影武者なのだろうが……。
「食べたいものを食べたい放題食べるのは楽しいねえ。神に仕えているとあれこれ節制しなきゃならんし毒が怖くて盗み食いもろくにできん。もっとも健康的な生活のおかげでこの齢でも元気いっぱいなのだがね」
そういってハルメスがメインの肉料理を薦めるが、アドラは愛想笑いを浮かべながら遠慮した。
「だが享楽なくして人生に価値などないわ。儂の人生は今からようやく始まるといっても過言ではあるまいよ」
「あの……聖下。つかぬことをお聞きしますが、教皇ともあろう御方が、このような危険な場所に堂々と御姿を晒してもいいのでしょうか?」
とりあえずアドラは探りを入れてみることにした。
目的はあくまで教皇の知識。影武者相手では目的を果たすことができないし、会話する意味がない。
「それについては問題ない。辞めてきたからな」
「えっ……それってどういう……」
「だから、教皇を辞めてきたんだよ。本日付けでな」
ハルメスはとんでもないことをさらりといってきた。
「そ、それって辞められるものなんですか?」
「もちろん。代わりが現れればね。君に手紙を送った時は教皇だったのでそう名乗ったが、今はもう聖下などと呼ばれて敬われる価値はないよ。ラースから授かった神衣や神器はもちろん、歴代教皇の記憶さえもすでに譲渡済み。最早どこにでもいる耄碌爺さ」
そういってハルメスは屈託なく笑った。
その顔は嘘をついてるようにはとても思えない。
なるほど、教皇を降りて晴れて自由の身になったというのであれば、このような宴席を待ち合わせの場所に選んだのもうなづける。
「知ってるかい。マド地方で教皇というのは貧乏くじもいいとこなんだよ。選ばれたら最後、わずかばかりの神気が宿り魔術の類は一切使えなくなるからな。何をするにも魔術に頼る魔術師天国でこれはたまったものじゃない。儂のこれまでの人生は神の奴隷も同然だったよ」
「その辺は、おれも元皇族なので理解しているつもりですが……奴隷という言い方はおかしいですよ。確かに我々は公僕ではあるのかもしれませんが、決して誰かに強要されたわけではありません。ましてや神に不平不満など……」
「レイワール皇家の子息はご立派だな。だが儂はそうじゃない」
ハルメスは料理を食べる手を止めてアドラを見据える。
「儂はラースを快く思ったことはないよ。憎んでいるといってもいいかもしれん」
それはまさに神をも恐れぬ発言だった。
およそ教皇が口にしていい言葉ではない。
だが今なら――ただの人間ハルメスなら――すべての発言が、一切の組織的責任が発生しない個人の自由意志となる。
……とはいえ、
「だから君の存在を知った時は嬉しかったよ。女神の子――儂の人生を抑圧した憎きラースから主神の座を奪える者が、とうとうこの地上に現れたのだからな」
「ハルメス様! 軽率な発言は謹んでください!」
アドラは大慌てでハルメスの口をふさぐ。
物事には限度というものがある。彼の発言はここエルエリオンではカルトそのもの。とうてい許されることではない。
「別に構わんだろ。どうせくたばりかけのジジイの妄言ぐらいにしか思われん」
「いや、仮にそうだとしてもですね! 変な人に絡まれたらどうするんですか! 熱狂的なラース信徒とかどこにでもいますからね!」
「そんときゃコイツが何とかするわ」
そういってハルメスは後ろで仁王立ちしている護衛を指さす。
サングラスをかけた屈強な大男。グレーのスーツがやけに似合う。見るからに強そうで、それはいいのだが……。
「元教皇の護衛がたったの一人というのは、いささか心許ないですよ」
「烏合の衆を集めるよりよほど安全さ。コイツは儂が全幅の信頼を寄せた最高の暗殺者だからね」
「それってもしかして……」
「 《黒死の一三翼》 が一翼 “黄昏る者” ダスク・トワイライト。今まさに人生の黄昏時を迎えつつある儂にふさわしい護衛よ」
やはりそうだったか。どうりで強そうなわけだ。
じっくり観察してみると、魔力の波長が人間のそれではない。
まず間違いなく魔族だ。
当然実力は隠しているが、元教皇が全幅の信頼を寄せているということは最上級魔族なのかもしれない。種族はわからないがいずれにせよ頼もしい護衛だ。
「アドラ・メノスともうします。本日はよろしくお願いします」
アドラが握手を求めるがダスクはいっさい反応しない。
完全に無視を決め込まれている。
少しショックだが余所者相手にはそんなものかと納得する。
マルディのようにベラベラしゃべる暗殺者というのもあまり信用できないし、まあいいか。
「はは……寡黙な方なんですね」
「いいや、たぶん寝てるだけだ」
――まさかぁ。
ハルメスがそういうのでアドラは恐る恐るサングラスを取って眼を確認する。
ダスクは完全に寝ていた。
「おい起きろ! あんた護衛だろ!!」
怒り心頭のアドラはダスクの頭を思いっきりひっぱたいた。
それでもダスクは決して起きず、ついにはイビキまでかき始める。
もはや怒りを通り越して呆れ果てるしかない。
「こ……こんな奴にホントに護衛が務まるんですか?」
「さあ」
――さあ、っておい!
「コイツの存在は国家機密らしくてな、脳みそから情報がゴッソリ抜け落ちておる。かつての儂が全幅の信頼を置いていたことは間違いないので、まあ……だいじょうぶだろう。たぶんね」
「たぶんってちょっと!」
頭が痛くなってきた。
元教皇とは思えぬ杜撰さ……いや、今は機密に関する記憶の大半が失われているのだから仕方ないのかもしれないが。
「たぶんでいいのさ。今の儂の生命には何の価値もない。護衛をつけてもらえるだけありがたいぐらい身分だ。もっとも、この護衛も教皇だった頃の儂がつけたものだがな」
「そんなわけがないでしょう。今日までマド地方に貢献してきた貴方が蔑ろにされていいはずがない。マド地方の枢機卿たちは何をやってるんだ。今度会ったら一言文句をいってやりますよ」
「……なるほど。話には聞いていたが、確かに君は優しい死神だ。さっき会ったばかりの赤の他人である儂をここまで思いやってくれると少々罪悪感がわいてくるよ」
――?
何を言ってるのかわからずアドラは頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
ハルメスは笑いながら人差し指をピンと伸ばす。
「では質問。さっきは何の価値もないといった儂だが、実はひとつだけ大きな存在理由がある。それは何か?」
「ハルメス様に限らず人は生きているだけで大きな価値がありますよ。ただ傍にいるだけで誰もが誰かの希望になれるはずです」
「ノータイムで素晴らしい模範解答だ。だが不正解。これはあくまで国家単位の話だということを念頭に置いてくれ。シンキングタイムは花火が上がるまでだ」
――???
ますます意味がわからない。花火大会の主催者にでもなる気なのだろうか。
腕を組んで唸りながら考えるが答えは出ない。
「はい時間切れ。正解は――」
耳をつんざくけたたましい破壊音。
夜景を一望できる舞踏会場の窓ガラスが何者かによって蹴り破られたのだ。
「――『餌』としての価値さ。ちょっと前まで教皇だったのは間違いないのだから、囮としては極上なのさ。悪いが君も巻き込ませてもらった」
窓ガラスを破って現れたのは全身を黒いラバースーツで覆った工作員だった。
まず間違いなくミカエルの手先だ。舞踏会場は中立地帯。大っぴらに軍を動かせば重大な国際問題になるので暗殺部隊を差し向けてきたか。もっともそうでなくともキュリオテスの侵攻が怖くて軽々に大軍は動かせないだろうが。
「花火っていうか火花ですね。今から散るのは」
「突然の襲撃なのに余裕だなアドラくん」
「十分予想できたことなので。餌という回答には納得できませんがね」
襲撃に慣れつつある自分に呆れながら、アドラは着慣れないスーツを脱ぎ捨てて戦闘態勢に移った。




