グロリア=レィス
初めて訪れたグロリアの街はレーヴェン以上の活気に満ち溢れていた。
現在アドラがいるのはヴィクトリア商店街。左右にずらりと並ぶ店の隙間を大勢の人間が忙しなく行き交っている。
オイルカーはまだ普及が進んでいないようで馬車が目立つが、それ以外はおおむねキョウエンと変わらない街並みといえた。
これほどの文明を誇るにも関わらず今なお発展途上の気配があるのは、人間という種の飽くなき向上心の賜だろう。魔界の魔族と同じフロンティアスピリッツを強く感じざるをえない。
「血は争えないなぁ……」
「はい?」
シルヴェンの疑問にアドラはただの独り言だといって苦笑する。
魔界にはサタンショックにより逃げ込んできた人間が数多くいる。
そういう人間が環境適応処置を受けて魔族化したのが世間一般でいうところの悪魔種だ。魔界では純悪魔と区別するために下級悪魔という呼び方をしているが、今ではすっかり形骸化している。
彼らは魔力こそ純悪魔に劣るものの、その情熱と繁殖力で瞬く間に魔界を自らの色に塗り替えていったからだ。
圧倒的大多数と化した存在を大手を振って下等と罵ることははばかられるからだ。
現在の魔界で人間の血の入っていない魔族はむしろ少数派だろう。
魔界の魔族と地上の人間はいわば血を分けた兄弟なのだ。
――良いことなのやら、悪いことなのやら。
おそらくは良いことだったのだろうとアドラは推測する。
サタンの暴虐によって壊滅状態だった魔族は人間の血を入れなければ絶滅していたであろうし、仮にそれを免れていたとしてもキュリオテスのような強者しか生きられない修羅の国になっていたことは明白。曲がりなりにも魔界に現在の秩序があるのは人間のおかげであるといえるだろう。
「気にしないで。恩を仇で返すのはよくないからがんばろうってだけの話だよ」
もっとも現地の魔族からすれば元居た場所に帰るだけだと主張するだろうし、人間に恩義があるというのも親人間派のアドラの勝手な言い分といってしまえばそれまでだ。
政治の世界はむずかしい。
何が正しくて何が間違っているか、アドラにはもうわからない。
今の彼に出来ることは出来る限り血の流れない方向に持って行くことだけだった。
「とりあえず買い物でもしようよ」
アドラはそういってシルヴェンと一緒に土産屋に入る。
島で留守番をしているネウロイに何か買っていってあげようと思ったのだ。
普通の名産品ではつまらないから何かネタになるようなものはないだろうか。
しかし店内に足を踏み入れてすぐアドラはびっくり仰天する。
外の熱気とはうって変わった冷たい静寂が店内を包み込んでいたからだ。
「え……マジで?」
アドラは己の目を疑った。
今は平日の昼間。ガイドブックにも書かれているような大きな土産屋。それがどうしてこんなに閑散としているのか。
もしかして意外と人気がないのだろうか。しかし駅前でこの人の少なさはさすがにおかしい気がする……っていうか店員はどこだ!?
「もしかしてここのお店、閉まってるのかな?」
「いえ、ちゃんと開店していますよ。ただ現在は――」
ボーン、ボーン、ボーン。
シルヴェンの言葉は、柱時計の重たい鐘の音によって遮られた。
同時にレジに店員が大慌てで現れ、入り口から大量の客がなだれ込んでくる。店内はあっという間に満員御礼だ。
「い、い、い、いったい何が起きてるのぉ?」
「やはりご存じありませんでしたか。グロリアでこの時間帯はシエスタなんです」
――死得素多?
「何それ?」
「神の定めた休憩時間です。この時間帯に働くことは法で禁じられています」
聞けばグロリアではすべての行動が時間ごとに定められているという。
これにより誰もが計画的な人生を送っているというのだ。
アドラは待ってましたといわんばかりに詰めかける客と、それを懸命にさばく店員たちを見て苦笑いを浮かべる。
「なるほど納得。それで時計台が国のシンボルなのね」
清廉潔癖で法と秩序を重んじる、実にヴァーチェらしい街だ。他国でこのようなことをすれば住民の猛反発は必至だろう。
「でも個人的にはそんなに悪くない」
「私も同感です」
アドラの意見に完璧主義者のシルヴェンも同意する。
ネウロイが堅苦しいといっていたのは納得。アドラも定住したいかと問われれば正直微妙な線だ。
だがこういう規則正しい国がひとつぐらいはあってもいい。リドルは少々毛嫌いしすぎではないだろうか。
「まっ、リドルくんは愛郷者なんだろうな」
というよりヴァーチェが比較的幸福な国家なのだろうとアドラは思う。
現在はずいぶんマシになったとはいえ、地獄より地獄らしい混沌の魔界都市で過ごした経験を持つ彼からすれば、やはり驚くには値しない。市民を管理する気がある分マシであるとさえ思える。
「時間もおしてますし、そろそろ次に行きましょうか」
ガイドブックを指さしながらシルヴェンが嬉しそうな顔でいう。
アドラはうなづくと手早く会計を済ませて店を出た。
店を出るとすぐに、何かの騒ぎが起きていることに気づく。
大通りに数台のパトカーが停まっていた。警官が捕らえた人間たちに手枷をつけて車内に押し込んでいく。
「何かあったんですか?」
よせばいいのにアドラはわざわざ警官に事情を尋ねた。
大都市の熱気に当てられて浮かれていたのだろう。
後になって彼は自身の軽率さを後悔する。
「彼らは法を破りシエスタ中に営業行為を行いましたので逮捕しました」
ヴァーチェの警官は満面の笑顔でとんでもないことを口にした。
「えっ……たったそれだけのことで逮捕されるんですか?」
「きちんと法を守り休息していた他店を出し抜いて営業していたわけですからね。十分な罪ですよ」
確かにその通りではある。だがしかし……。
「彼らはこれから矯正施設に収容され、おそらくは生涯、強制労働に従事することになるでしょう。彼らは働くことが大好きなので本望だと思いますよ」
いくらなんでもこれは、やりすぎでは――
――――パァン!
アドラの思考を一発の銃声が遮る。
何事かと慌てて視線を向けるとスーツを着た若い男が警官に射殺されていた。
「彼は就業時間中に会社を抜け出してサボっていたサラリーマンですね。彼は休むことが大好きみたいなので永い休息を与えました」
能面のような笑みを顔に張り付けたまま警官はいった。
「ヴァーチェは智慧と慈愛の国。それをもっとも体現しているのがここグロリアです。働きたい者には仕事を、怠けたい者には休息を、迅速かつ適切に提供いたします」
――すべては神の思し召しのままに。
最後にそう告げてアドラに一礼すると、警官たちはパトカーに乗って去っていった。
「く……」
警官の言葉によってその事実に気づいてしまったアドラは、何気なく歩くのをやめて集中し、周囲に注意を向ける。
彼の優れた五感は、先ほど見た光景が決して珍しい事ではないと告げていた。
些細な悪事で拘束、あるいは射殺されていく人々の悲鳴を聴いてしまえば、もはや観光どころではない。
「狂っている…………ッ!」
極限の管理都市グロリア=レィス。
ここもまた地獄より地獄らしい場所のひとつだったのだ。




