観光
客室に通されたシルヴェンはまずは座って畳の柔らかさを確認する。
なるほどこれなら正座をしても足が痛まない。納得してから立ち上がり今度は襖を開ける。
縁側からはミネルヴァ海峡の絶景を一望できた。
ヤポンは小さな島国で島民は常に海と共にあったという。当時のヤポン人もこうして海を眺めながら旅を楽しんでいたのかと思うと実に趣深い。
――素晴らしい!
シルヴェンはリドルに案内されたヤポン風の旅館にたいそうご満悦だった。
最初はアドラの祖国の源流ということでその文化を学んでいただけだったが、今ではすっかり重度のヤポン通である。
雅に重きを置くヤポン風こそ最高。逆に今まで慣れ親しんできたはずのヴァーチェ風をイマイチ美しくないと感じるようにまでなってきていた。
もちろん外見の優美さだけではない。実用面でもヤポン風は優れている。
畳ならかさばる椅子を用意する必要がなく、いつでもどこにでも好きな時に座ることができる。それで足が痛くなるようであれば足を崩すか座布団を使えばいい。実に合理的だ。
そこに置かれている料理も同じ。とれたての海の幸をそのまま生で食すというのはシンプルで調理の手間がからず、かつ美味しい。これも合理的だ。
そしてそれを食べるための箸もまた合理的。
最初はこんな細長い木の棒で食物を挟むなんて無理だろうと思っていたが、慣れてくればとても簡単でこれ一膳だけで何でも食べることができる優れモノだとすぐに気づけるだろう。箸に比べればナイフとフォークなどただ重くてかさばるだけの不格好で不合理な用具だ。箸ではステーキが食えないだろという無粋者もいるが、そもそも肉など店側が最初から切って提供するべきで、なぜ金を払っている客がわざわざ切らねばならないのか理解に苦しむ。実に不合理極まりない。ヤポン風ホテルを知っているリドルがヴァーチェ風ホテルをサービスが悪いと切り捨てて評価しないのは当然のことだ。(読み飛ばし可)
合理的かつ美しい。
すなわち究極にして至高。
ヤポン以上の文化は地上には存在しない。
身も心もヤポンの文化に毒されたシルヴェンは、行きすぎてちょっと痛い人間になっていたのだが、それを知る者はまだこの世にはいない。
そういう感想は表に出さないほうが雅であるという信念があるため、今後も彼女の真実を知る者は現れないであろう。
シルヴェンがそんなことを考えていると、アドラが風呂から戻ってきた。
愛するヤポンの文化を愛する夫と共に堪能する。これ以上幸福なことはない。
お邪魔虫がついて来なかったらの話だが。
「あっ、夫婦水入らずのところすいません。お邪魔します」
アドラと一緒にやってきたのはリドルだった。
シルヴェンは思わず舌打ちしそうになったがすんでのところでぐっとこらえる。素晴らしい旅館を用意してくれた人物を邪険にはできない。
「一度は断ったんですけどね、アドラさんがどうしてもぼくの話を聞きたいっていうのでしかたなく……」
「さっきもいったけどホントの夫婦ってわけじゃないから気遣いはいらないよ。あと堅苦しい敬語とかもやめようよ。おれたちもうマブダチじゃん」
アドラはリドルの肩に気安く腕を回して大笑いする。
ちょっと前に出会ったばかりなのにすっかり十年来の親友面だ。
「そうでしたか。私もちょうどリドル様のお話を聞きたいと思っていたところです。何か簡単なものでもお作りします」
シルヴェンは内心の文句をおくびにも出さずに台所に入り、インスタントのお茶漬けをリドルに提供した。
リドルのことはヤポンを愛する同志だと思っているが、汽車の時といい、こういうところは本当に融通が利かない。雅ポイント減点1だ。
「……アドラさん、もう帰ってもいいですか?」
「ダメダメ、一緒にグロリアの観光に行くって約束したじゃない」
だがどうやら夫は彼のことをいたく気に入った様子。これ以上の客人への嫌がらせは良妻失格だろう。
シルヴェンは観念してアドラの好きにさせることにした。
彼女の気持ちなどつゆ知らずアドラは上機嫌でリドルを歓待した。
すぐに座布団を持ってきて上座に座らせる。
「いやホント素晴らしい旅館だよリドルくん、よくこんな穴場を知っていたね」
「今はまだ知る人ぞ知る隠れた名所ですけどね。でもグロリアを嫌う観光客はここに行き着くこと結構多いんですよ。かくいうぼくもその中の一人です」
「わかるわかる。クソ高いものね、ホテルの宿泊料金」
「それもありますけど、グロリアはあまり観光向けの場所じゃないですから」
「それもわかる。近代化しすぎてて都心部は歴史ある名所が少ないし」
「……百聞は一見に如かず。今すぐグロリアに行ってみますか?」
リドルの提案にアドラは諸手をあげて賛同した。
どのみち都心部へのアクセスは予め確認しておかねばならない。シルヴェンも同意し同行することに決めた。
※
グロリアへの再到着はローカル線に乗ってわずか一時間足らずだった。
他の地方とは違い線路が多く汽車の発車間隔が狭い。自由な時間に郊外から往来できるようになっていて、なるほど確かにこれなら都心部に泊まる必要はまるでないと納得できる。
「皆様ご存じ、ここがヴァーチェの首都、智慧と慈愛の都グロリア=レィスです」
駅から出るとリドルがさっそくガイドを始めてくれた。
本人は謙遜しているが彼のガイドは本当に助かる。モモは成金だしサーニャは役に立たないしで、彼がいなかったらと思うとゾッとする。
「ヴァーチェといったらグロリアを指すぐらい超有名な都市でその知名度ゆえに観光客も多いのですが、その実態を知る者は意外と少ないんです。ガイドブックには良いことしか書きませんからね」
「良いところがあれば当然悪いところもあるってのもわかるけど、いったいどんなマイナスポイントが?」
「実はぼくもそこまで詳しくは知りません」
アドラは思わずずっこけた。
「客のうちはまだマシなんだと思いますよ。極力悪いところを見せないようにしてますから。ですが、それでもある程度滞在していれば、ここの異常さは肌で感じられるはずです」
「大丈夫だよリドルくん。大都市は人がいっぱい集まってるから大なり小なりおかしなところがあるってのは重々承知してる。おれはもう慣れちゃってるから大概のことじゃ驚かないよ」
「そうですか。まっ、少なくともぼくはここに住むのは嫌ですね。来るのは仕事と礼拝の時だけにしておきますよ」
かつてのネウロイと同じようなことをいってから、リドルは街の案内を始めた。
「まず手前に見えるのが、かの有名なヴァーチェコロシアムです。かつては職業闘士たちが雌雄を決する場所でしたが今ではもっぱらスポーツ観戦がメインですね。グロリアで最も古い建造物で世界的に有名なんで色んな場所でパクられてます」
「……リドルくん、説明はもっとこう、オブラートに包んでしてくれないかな」
ソロネの闘技場はまんまコロシアムの模倣だし、かくいうアドラもパク――否、リスペクトする気マンマンだったので耳が痛すぎる。
「左手に見えるのがエンジェルダスト・ビルディング。地上で最初に建造された鉄筋コンクリート製の高層建造物だといわれています。現在はエンジェル製薬が利用しており、世のため人のためになるような、ならないような薬品を作っています」
「これはすごい……っていうかやばいなぁ」
わかっていた話だが、すでにこんな高度な建造物を建築する技術を保有している。
魔界の地上に関する情報が遅れている良い証拠だ。他の魔族たちも地上進出した際は話が違うと驚くかもしれない。
――まあ、ここまでたどり着く前に軽く蹴散らされるだろうけどね。
その未来が容易に予想できてアドラは嘆息した。
「そして右手に見えるのがグロリア大時計台。グロリアの象徴をどれか一つ挙げろといわれたら、僕は真っ先にこの時計台を挙げますね」
リドルに促されてアドラは時計台を見上げる。
確かにカラクリテンにある時計台より、少しばかり大きいかもしれないが……。
「ガイドブックにもそう書かれていたけど、何でなんですかね。他にも国の象徴になりそうなものがたくさんあるのに。ほらコロシアムだとか」
「大昔はそうだったらしいですけど、現代じゃパクられまくったせいでここより大きくて立派な闘技場がたくさんありますし、もうシンボル感ないですよね」
「ま、まあ、たとえそうだとしても、正直あの時計台がそんな特別なものには……」
「さっきもいいましたけど百聞は一見に如かずですよ。では、ぼくはこれにて失礼」
「え……ちょっと待ってリドルくん!」
その場を去ろうとしたリドルをアドラは慌てて引き留める。
「まだ何か?」
「何かって……いやいや、今からグロリアを案内してくれるんじゃなかったの!?」
「だから、今済ませたじゃないですか。あとはお渡ししたガイドブック通りに各所を回れば大丈夫ですよ」
「そんなこといわずに一緒に行こうよぉ。なんだか寂しいじゃないか」
「何度もいいますが、ぼくがグロリアに来るのは仕事と礼拝の時だけなんです。今回は仕事でここに来ています。お得意様の所にあいさつしに行かないといけませんし、そろそろ別行動ってことで」
「そんなつれないことを! おれたち親友じゃないか!」
「親友だからこそ、これ以上夫婦水入らずの邪魔はできませんよ。ではまた旅館で」
アドラの懇願を無視して、リドルは手を振りながら去っていってしまった。
残されたアドラは隣のシルヴェンと顔を見合わせる。
「お仕事なら仕方がないですね。二人きりで街を回りましょうか」
「……そうしよっか」
気落ちするアドラ。しかしシルヴェンは内心ガッツポーズをとっていた。
このような状況でもなければ、アドラと二人きりでグロリアの街をデートすることなどできなかったであろう。
――いい仕事ですよ、リドルさん。
彼の預かり知らぬところでシルヴェン内の雅ポイントが加算される。
ちなみに10点貯まると何かがもらえるらしいが、それはシルヴェン以外の誰も知らない極秘情報である。




