グロリア到着
首都グロリアへと向かう鉄道旅行は丸一日かかったが、それでもアドラの想像よりはるかに早く快適な旅だった。
持ってきたトランプで遊びながら時間を潰し、車内で一晩寝ればもう首都近辺だ。面倒なことは何もない。予想されていた刺客も現れず、ちょっと拍子抜けしたぐらいだ。
「結局のところヒエロが国の癌なんですよねぇ。あそこが東からの脅威に備えるっていう名目で鉄道封鎖してるから首都へのアクセスが面倒になっているんですよ」
そういいながら怒っているのはリドルだ。
ヒエロに滞在したせいで余計な時間を使わされた上にパンデミックにも巻き込まれたのだから恨み節もいたしかたない。
「サタンは東から来たらしいですけどね、いったい何万年前のおとぎ話なんだか。実際のところはエクスシアとの貿易で生じる利権にグロリアを絡ませないためにやってるわけですし、ホントマジクソですわ。事ある毎におらが街が首都だ首都だとうるせえし、ソロネとかいう元流刑地の小っちぇ国を世界第一位の国家としてるのもあそこだし、あんな過去の妄執に凝り固まった老害地方さっさと滅びりゃいいのに」
リドルの文句にアドラは愛想笑いを浮かべるしかない。
今はフランセスやガブリエルとの出会いによって考えを改めたが、ちょっと前のアドラならリドルと一緒になってヒエロを叩きまくっていたことだろう。
立場の違いで意見とはこうも変わるものなのかと我ながら驚くばかりだ。政治の話に入れ込むなというモモの言葉の意味を今更ながら痛感する。
「まあまあ、ヒエロにはヒエロなりの考えがあるみたいですし……」
「アドラさんだってあそこにはさんざん煮え湯を飲まされてるじゃないですか。肩を持つ必要なんてないですよ」
アドラの笑いがひきつった。
例のパンデミックの発端がアドラにあることをリドルは知らないと思っているからだ。
「いっそのこと先日のパンデミックで潰れてくれりゃ良かったんですけどねぇ」
「リドルくんそれはいけないよ。例の事件でお亡くなりになられた方も多いのですから……」
「ああ、すいません。ちょっと不謹慎でしたか。ですけどねぇ……」
「ほ、ほら! そろそろ駅に着くし降りる準備をしとこうよ!」
アドラは強引に話を打ち切って、今更ながら自分の手荷物を改めだした。
リドルの言い分もヒエロの言い分もとてもよくわかるのでこれ以上コメントしようがないのだ。
もっとも汽車はすぐにグロリアの駅に停車したため、そこまで場つなぎする必要はなかったのだが。
「わぁ、すごい!」
グロリアの駅に到着そうそう、アドラは感嘆の念を漏らした。
きっちり整備された駅の様相は魔界のそれと比較しても見劣りしないレベルだ。
「グロリアはエルエリオンでもっとも発展している都。その文化レベルは魔界にも決して負けてはおらぬよ」
モモは少し自慢げにアドラに呟いた。
捨てたはずの祖国でもやはり愛着はあるらしい。
「細かく見ていけば魔界のほうがまだ上なんでしょうけど……技術レベルでゴリ押して征服できるような差はないですね」
「魔界人は地上の現状をよく知らんからな。ちなみにマド地方にはすでに魔導兵器も存在しておるぞ」
「えっ、マジですかそれ。だったらグロリアにもあるんですかね」
「妾も詳しくは知らんが、あると思ったほうがいい」
なるほどそれはまずい。
妄想とはいえ教会制圧からの教皇捜索などという大それたテロ行為はどうやら無理筋のようだ。
郷に入っては郷に従え。教皇ミカエルへの怒りはいったん胸の奥に仕舞い、舞踏会の日まで大人しくしているのが賢明なのだろう。
……無論、向こうから仕掛けてくるなら話は別だが。
「何の話ですか? ぼくにも教えてくださいよ」
モモとアドラの会話を聞きつけたリドルが笑顔でこちらに寄ってきた。
できれば魔界人だとバレたくないアドラは慌ててゴマかす。
「おぬし……なんでこんなパンピーを連れてきたんだ?」
モモが手招きしてアドラに耳打ちする。
「いやだってしょうがないじゃないですか。助けてくれたお礼にグロリアを案内してくれるっていうんで……」
「アホか。妾がおるのだから案内役なんぞいらんだろうに」
「それはそうですけど、彼の好意を無下にするわけには……」
モモは肩をすくめるもへらへらと笑うリドルを一瞥してから、
「まっ、害はなさそうだから別に構わんが、アレの面倒はおぬしがキチンと見ろよ」
「そんな犬猫みたいに……」
何はともあれ同伴の許可はもらえた模様。アドラはホッと胸をなで下ろす。
「では予定通りホテルへと向かうぞ。妾について来るがいい」
モモの号令に従い、アドラたちは駅を出て、あらかじめ呼んでおいたというタクシーへと乗り込んだ。
――……マジですごいな、この都市。
シルヴェンと共に乗車した車内でアドラは内心冷や汗をかいていた。
手配したこの車は魔導車ではないものの、おそらくは石油で動いている。
石炭で動く汽車よりもさらにワンランク上の技術が、首都限定とはいえ実用化されているという事実にまず驚嘆する。
このオイルカーを支障なく動かすために整備された道路の舗装は、おそらくはアスファルトだ。安価で大量に製造できる上に防水性が高い。極めて優れた舗装技術で魔界でも未だに現役だ。
ヴァーチェの文明レベルは、すでに魔界に肉薄している。
その事実が次第にアドラの肩に重くのしかかってくるのだ。
万が一、億が一にも、ここと戦争するなどということになれば敗戦は必至。ルガウ消滅はもちろん魔界滅亡まであり得る。
魔軍総司令であるアドラにかかる責任はいやがおうにも重大だ。
もっとも今でも総司令扱いされているのか甚だ疑問ではあるのだが。
――すでに裏切り者扱いされてたりして。
それはそれで気が重くなる話ではある。
とはいえアドラが気にしなければならないのはそのような遠い未来の話ではない。
危機はすでに彼のすぐ傍にまで忍び寄ってきているのだ。
アドラはタクシーから降りると先に到着していたモモたちと合流し、グロリア一と名高い高級ホテルにチェックインした。
フロントで受付を済ませてから宿泊料を聞かされ、アドラは目玉が飛び出るほど驚いた。
「た、た、た、た、高級ぇ――――――――っ!!!」
アドラの身近に忍び寄る危機、それは『破産』である。
「何をそんなに驚いておる。宿泊料は前払いなんだからさっさと支払わんかい」
「そら驚くわ! 桁が二つ……いや三つ違うわ! なんだこの法外な金額ぅ! ルガウなら城がおっ建つわ!!!」
モモの暢気な声にアドラは己のキャラを忘れるほどにぶちキレた。
任せきりにしていた自分も悪いのだが、こんな馬鹿高いホテルに泊まるなどという話は一度も聞いていない。
「んな大げさな。何年も滞在するというならともかくほんの一週間程度だというのに」
「一週間どころか半日も泊まれねえよ! あんたいっつもこんな高級ホテルに泊まってるんかい!」
「そうだが。それがどうかしたのか」
モモはあっけらかんといってのけた。
ヤバい。金銭感覚の次元が違う。
「ルガウ王ともあろうものが情けない。このぐらいの金はポンと出さんかい」
「王が大金持ちの国家とか普通に考えてクソでしょ。とにかくこんな高級ホテルには泊まりません! ていうか泊まれません! 他のホテルはないんですか!?」
「グロリアのホテルなどどこも似たような宿泊料だぞ。それとも野宿でもするか? ここでそんなことしようものなら不審者扱いで逮捕確定だがな」
「くそったれ!」
アドラとモモが激しく言い争っていると、見かねたリドルが途中で割って入ってきた。
「まあまあ、お二人とも落ち着いてください。こんなくだらないことで揉めていたらせっかくの楽しい旅が台無しですよ。ここはアドラさんの懐事情を考慮して別のホテルを見繕うのがいいと思います」
「話を聞いておったのか? グロリアのホテルなどどこも似たようなものだ。そんなことも知らんのか」
モモが苛立たしげにいうとリドルはニヤリと不敵に笑ってみせる。
「僭越ながら申し上げますと、グロリアに来てこんな高級ホテルに泊まるのは馬鹿で物知らずな成金だけですよ。ぼくもここには仕事で何度か泊まったことがありますけど、値段が張るわりにはサービスは悪くボーイの気も利かない。リドル式ホテル番付では5段階中評価2ですね。評価できるのはインテリアだけです」
「ほう、いうたな小僧。だったらアドラが泊まれるほど格安で、妾も満足できるようなホテルを用意してみせろ」
「はい。ではさっそく――」
リドルはホテルの予約をキャンセルすると先ほど乗ってきたタクシーを呼び戻す。
「いっておくが妾の評価は厳しいぞ。もしも満足できないようであれば、その時は相応の覚悟をしてもらうからな。魔術師は怒らせると怖いということをその身に刻み込んでやる」
「ご安心ください。必ずご期待に添えると思います」
自信ありげにいうとリドルはタクシーの運転手に指示を出す。
しばらく走ると、車はいつの間にかグロリアを出てしまっていた。
「おいリドル!」
モモが怒鳴るがリドルは平然とした顔を崩さない。さも当然といった感じで事情を説明する。
「モモさんも知っての通りヴァーチェは交通の便が発展しています。特に首都近辺にはありとあらゆる移動手段が存在していて、どこからでも短時間で首都にアクセス可能です。わざわざグロリアのホテルに泊まる理由なんて、実はどこにもないんですよ」
「む、むう……」
正論を突きつけられてモモは黙り込む。
モモの隣に座っていたアドラは、やりこめられている彼女を見ていい気味だとほくそ笑んでいた。
――キキィッ!
走り続けていた車が停まる。
どうやら目的地に到着したようだ。
リドルは真っ先に降りるとモモを目的地へとエスコートする。
たどり着いた場所は海沿いにある和風の旅館だった。
「ここがぼくのオススメ、旅館『蛸壺』です。いわゆるヴァーチェ風のホテルではありませんが温泉あり海の幸ありルームサービス各種ありと至れり尽くせり。風景も素晴らしくミーザルの碧海が一望できます。女将も若くて美人で優しくて気が利いて文句なしの5つ星ホテルです。これほどのホテルであるにも関わらず『ヤパンの文化を残す』というオーナーの信念に基づき超格安。グロリアに旅行に来てここに泊まらないなんて何しにきたんだって感じです。オーナーは魔族なんですけど、ぼくめっちゃ尊敬してますよ。現在はソロネで寿司屋をしてるらしいですけど死ぬ前に一度は行ってみたいです」
「オタク特有の早口はキモいからやめろ」
リドルの流ちょうな旅館説明を事も無げに一蹴してモモは鼻白む。
「どれだけ美辞麗句を並べ立てても評価は変えんぞ。そもそも妾はヤパン風のホテルをあまり好かぬ。これだけでも減点対象だわ」
と言いつつ、モモは他のメンバーが集まる前にズカズカと旅館に入っていった。
そして海の幸を堪能し、リューマチに利くという温泉に浸かり、風呂上がりにミルクを飲んでからマッサージのサービスを頼んだ。
「いかがでしょうかモモさん」
「ん? ま……まあ、思っていたよりかは……悪くはない、かな」
女将直々の秘伝マッサージを受けながら、モモはリドルにそう答えた。
「不満があるようでしたら別のホテルを見繕いますが」
「あー、いや、ここで……いいんじゃないかな。今更キャンセルするのも、旅館に悪いと思うしな……」
「アドラさん、どうやらご満足していただけたようですよぉ」
リドルが声をかけると、アドラは滝のような涙を流しながら駆け寄ってきた。
「ホントに、ホントぉぉぉに、ありがとうリドルくん!! 危うく馬鹿で物知らずな成金に大事な資金を食い散らかされるところだったぁぁぁっ!!!」
「そんなこといってるとモモさんに殺されますよ……」
アドラはリドルの手を取り何度も何度も感謝する。
そしてやはり持つべきものは親友だと再認識するのだ。
……もっともリドルは真逆の存在なのだが。




