祭りの後
マルディがまき散らした大パンデミックは本当にたったの一晩で鎮圧された。
アドラたちの奮戦や聖騎士団の活躍はもちろんあるが、げに恐ろしきは教皇ガブリエルの扱う聖杯の圧倒的な威力だ。
ただの水でも杯に注げば瞬く間に聖水と化し、振りまけば周辺一帯のゾンビたちがすべて浄化されて跡形もなく消え去るのだ。マルディはガブリエル不在と見て今回の騒動を起こしたようだがどうやらアテが大きく外れてしまったようだ。
こうしてヒエロからネクロマンサーの驚異は去った……のだが、アドラの危機はまだ終わってはいない。むしろここからが本番といっていいのかもしれない。
「……では、詳しい話を聞かせてもらおうか」
事件収束後、アドラはガブリエルの自宅に招かれて尋問を受けていた。
安物だが品のあるテーブルの上に上等なチーズとワイン。表向きはもてなされているように思えるのだが……。
「あの……部外者と二人きりになるのは、いささか不用心かと思うのですが……」
「今更の話さ。それに私は元――いや今も現場の人間でね。陰に隠れてこそこそ何かするのは性に合わない。人の上に立つ者とは本来そうであるべきだろう」
そういってガブリエルは朗らかに笑う。
己に対する絶対の自信から来る余裕。
実際近くでその暴れっぷりを見ていたアドラは彼の強さを重々承知している。
聖杯を抜きにしても間違いなくソロネ第一級聖騎士レベルの勇者。仮に武闘大会に出ていたらダラクと決勝で相対していたに違いない。
――心配すべきはおれの身の安全のほうか。
本人の実力だけでもヤバいのに更に聖杯というチート装備持ちだ。言葉ひとつでも誤ろうものならこの場で浄化させられかねない。
アドラとしてはいつ消されるかと戦々恐々である。いずれば消え去らねばならぬ運命だとしても今日は御免だ。
「あまり話をはぐらかすな。君のことはある程度信用しているが、不審な態度を取られるとそれが揺らぎかねない」
ソファーの上で指を組んで座り、ガブリエルはアドラを正面から見据える。
表情こそ柔らかいがその青眼はどこまでも冷ややかだ。アドラの一挙一動を決して見逃さぬといっている。
その圧倒的な存在感はまさにヒエロそのもの。
この神の代行者の前で無礼は赦されない。
アドラは言葉遣いに気をつけながら、こちらの事情をかいつまんで説明した。
※
「……なるほど、事情は理解した。そういうことであればヒエロとしては協力は惜しまない」
アドラが話を終えると、ガブリエルはそこで初めて口元をゆるめた。
「信用していただけるのですか?」
「実はフランセスさんから話はあらかた聞いていたのだがね。こうして直接話してみると君の誠実さがつぶさにわかる。これでも人の目利きには自信があってね、私も今代の聖王と同じく君に人類の未来を託したくなってきたよ」
「いやいや、おれなんかがそんな! 大げさですよ聖下!」
「まあ、今のはちょっとした冗談だ」
そういってガブリエルは朗らかに笑う。
終始真面目な面構えなのでいってることが冗談かどうかわかりにくくて困る。
「人類の未来は誰かに託すものではなく人類全体で勝ち取るものさ。たとえ君がどれほど強大な魔力を持っていようがね。ただし、くれぐれも事は慎重に運んでくれよ。サタンは初代聖王ですら完全には倒しきれなかった化け物だからね」
「それはもちろん重々承知……って、ええ!?」
アドラは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
地獄で氷漬けになっているサタンを抹殺する計画はアドラとエリだけの秘密であり、もちろんガブリエルにも話してはいなかったからだ。
「なぜ聖下がその計画のことを……!」
「もちろん知らんよ。だが聖王がソロネ王を選ぶというのは本来そういう意味なんだ。ソロネはサタンを倒すために流刑地に建国された国なのだからね。長い月日を経て志を忘れ、戯れに武闘大会を開くだけのつまらん小国に成り下がったと内心落胆していたものだが、歴代最高と名高い今代の聖王の下、ようやくその真の姿を取り戻しつつあるようで何よりだ」
どうやらカマをかけられていたらしい。
本当に喰えない御方だ。
「聖下は怒らないんですね。今更サタンを倒そうなんていったらやぶ蛇だって思われそうなものですが」
「馬鹿をいえ。むしろ遅すぎるぐらいだ。見識ある者ならただ問題を先送りにしているだけだとわかっているはずだろうに」
「ですが、わかっていてもどうにもならない問題でもありますし……」
「確かにそうだ。アレを放置していたという点では私もあまり他人のことはいえまい。ただ我が国は――ヒエロは、備えを忘れたことは一度たりともないぞ」
今回使用した聖杯もその「備え」の中のひとつだとガブリエルはいう。
おかげでマルディが仕掛けたパンデミックに対して迅速に対処できたのだからさすがというしかない。
何事も、備えあれば憂いなし、だ。
「まあ、そういうわけで、だ……当分先の話だとは思うが、決起の際には我々にも声をかけてくれないか。あの邪竜には私も一撃くれてやらねば気が済まないからな」
やけに乗り気なガブリエルにアドラは苦笑いを浮かべる。
最初こそビビって身構えていたが、蓋を開けてみれば気さくで理解のある人で本当に良かった。
アドラは内心ホッと胸をなで下ろした。
「さてと、こちらから訊いてばかりというのもあまりフェアではない。アドラも私に訊きたいことがあれば何なりと訊いてくれ」
ガブリエルのその言葉にアドラは食いついた。
こんな機会は二度とない。もらえる情報はすべてもらいたい。
アドラはさっそくヴァーチェの現状や魔界への交通手段について尋ねる。
しかし……どうにもガブリエルの反応が鈍い。
「すまない。何なりと、といった矢先にこんなことを口にするのはなんだが……実は私が君に答えられることは、相当に限られているんだ」
「やはり何か他人にはいえない事情がおありでしょうか?」
「これは極秘の話なのだが……まあ、君にはすでにバレているから構わんか」
ガブリエルは頭をかいてから、その驚くべき事実をアドラに告げる。
「先代教皇は何者かに暗殺された。私は先代から何の引き継ぎも受けていないため、歴代教皇の識る知識のほとんどを持ち合わせていないんだ」
確かにマルディはそんな風な事をいっていた。
当時は「本人そこにおるやんけ、あっはっは」としか思ってなかったが、まさか本当に暗殺されていたとは……。
「だから君が魔界に戻る手段は、やはりウリエル聖下に直接お会いしてお聞きする以外にない。役立たずでもうしわけない」
「いえいえそんな! 頭を下げないでくださいよ! どのみち舞踏会には参加しなきゃいけないわけですし!」
ガブリエルは頭を上げるとアドラを見据えていう。
「ヴァーチェの現状についても、一介の騎士にすぎなかった私にわかることは少ない。だが、今回の襲撃事件ひとつとっても裏でそうとう大きな闇が蠢いているのは間違いないだろう。ヒエロを代表して私からもお願いしたい。聖下と面会して事の真相を確かめてくれ」
その言葉にアドラは大きくうなづいた。
今、この国には大きな陰謀が渦巻いている。
放置しておくことなどできるはずもない。
誰に頼まれずとも解決のために動くつもりでいる。
もちろん魔界の状況について思うところがないわけではないが……この際、自分の都合は後回しだ。
「ところでアドラ、この後何か用事でもあるか?」
「いえ、特には」
「これから奴への尋問があるんだ。よければ一緒につきあわないか」
「もしかして……!」
「ああ、もちろんマルディ・グラの件だ」
その名を聞いてアドラは大きく前のめりになった。
たった一人でヒエロをめちゃくちゃにした大犯罪者。
怨敵ではあるが大した男だったという思いも胸中にあることは否定できない。
何しろ本当に後一歩というところまで追いつめられたのだ。オルガンの助けがなければ、ガブリエルがいなければ、為す術なく殺されていてもおかしくはなかった。アドラにとっては良くも悪くも特別な人間のひとりだ。
「ですが、あいつは黒幕について何も知らないと思いますよ」
「私もそう思う。知りたいのはそっちではなく奴の使ったネクロマンシーだ」
マルディの操った術は既存のネクロマンシー技術をはるか超越している。
尋問により術式の解明が進めば今後の対策も立てやすいとのことだ。
「それにあれほどの術法をマルディ個人で完成させたとは考えにくい。奴を尋問して他の仲間をあぶりだし、いずれは全員逮捕してやるつもりだ」
「いいですね。その時はおれもぜひ連れていってください!」
アドラが血気盛んに立ち上がると同時に、部屋にガブリエルの部下と思しき軽装の騎士が血相を変えて飛び込んできた。
「たっ、大変です隊長――じゃなかった、教皇様!」
「隊長でいい。教皇になっても遊撃隊をやめる気はない。いったいどうした」
「それが……マルディが入獄前に何者かに射殺されました!」
突然舞い込んだ訃報に、アドラは動揺を隠すことができなかった。
――騎士団の警備網をすり抜けてこうも易々と……いったい何者の仕業だ?
アドラには今、ヴァーチェで何が起きているかわからない。
だがそれはとても、とても、おぞましく不吉なことのように思えてならないのだ。
※
パンデミックの事後処理で混乱の最中にあるヒエロの街を、リドルは鼻歌を歌いながらゆうゆうと脱出していた。
街から十分に離れたところで携帯を取り出してミカエルに連絡を入れる。
「計画失敗しちゃったんで、予定通りあれこれゲロる前にマルディさんをぶっ殺しておきました」
虜囚になったマルディを搬送中に射殺したのはリドルだった。
マルディ本人、物陰から適当に撃っただけでこうも見事に当たるとは思っていなかったし、まったく疑われることなく易々と市街を脱出できるとも考えていなかった。暗殺者としては結構なことではあるが人としては寂しいことでもある。
世界のリドルに対する関心は限りなく薄い。
『ご苦労。ではこれにて君の任務を解除する。後は好きにしたまえ』
「教皇……あんた最初から失敗するってわかっててマルディさんをけしかけたでしょ」
通話を切ろうとするミカエルにリドルは鋭くいった。
ミカエルは苦笑しながら話を続ける。
『もちろん成功するに越したことはない。ただこちらとしては、ガブリエルが復活していることさえわかれば、それで十分な成果なのでね』
「つまり、すぐ復活するってわかっててぼくに危ない橋を渡らせたわけですか」
ガブリエルを暗殺した張本人は他の誰でもないリドル自身だ。
だがすぐに代わりが生まれるというならただの徒労。文句のひとつもいいたくなる。
『それは誤解だ。次代の教皇はそう易々と発生したりはしない。今回が異例の事態というだけだ。調査はあくまで念のためだったが……まあ、それだけラースが必死ということだろう』
君の努力が神を焦らせていると思えば少しは溜飲も下がるだろうとミカエルはいう。
何も知らないリドルは納得できなくとも受け入れるしかない。
『もちろん悪かったとは思っているよ。これ以上君の身を危険には晒さない。自宅に戻ってゆっくり養生するといい』
「ああ、その件ですけど、気が変わりました」
リドルは手に持つ携帯に力を入れる。
「アドラはぼくが暗殺します」
ミカエルからの反応はない。
リドルは構わず続ける。
「あるんでしょう、アレを殺す手段が。だからぼくもけしかけられた」
携帯越しにはミカエルの表情はわからない。
だがリドルには口の端を大きく釣り上げて笑うミカエルの顔がハッキリと見えた。
「君ならそういってくれると信じていましたよ。ならばグロリアに来なさい。死神を殺す手段を授けましょう」
リドルは表情を変えずに承諾し、ミカエルとの通話を切った。
正直、踊らされているとしか思えないが、やると決めた以上はきちんと殺らなければ気分が悪い。
「場合によっては、ミカエルさんも均す必要があるかな」
持たざる者は平等だ。
貴賎はもちろん恩讐すらも関係ない。
相手が誰であろうと殺す時は殺すべくして殺す。
彼はただそれだけの存在なのだから。




