死せる英雄
エリ・エル・ホワイト。
神託を受け、人類史上初めて『聖王』と呼ばれるようになった女性。
後代の聖王たちと区別するためにエリスという呼称が与えられている。
いわずとしれた人類の救世主だ。エルエリオンで彼女の名を知らぬ者はいない。
そのような伝説の存在が今、アドラの眼前にいる。
「……よくできた偽者ですね。一瞬、騙されるところでしたよ」
最初は激しく動揺したアドラだが、すぐにそんなわけがないと考えなおす。
マルディはキメラを造れる超高レベルのネクロマンサーなのだ。人ひとり偽造することぐらい造作もない。
「エリス本人ですよ。正真正銘のね」
マルディは何食わぬ顔でいった。
これ以上この男の嘘にはつきあいきれない。
「ありえない。エリスはとうの昔に父なる大地に還っている」
「それを呼び戻すのがネクロマンサーの力ですが」
「死霊を呼び戻せるのは死後、四八日間だけ。おれでも知ってるネクロマンシーの常識だ。仮に呼び戻せたとしても、自分以外の身体には魂が定着せずにゾンビ化する」
「肉体もオリジナルですよ。若返り処理は施していますがね」
「エリスの遺体はグロリアで厳重に管理されているはずだろ! いくらおまえでも手が出せるはずがない!」
アドラの必死の反論にマルディは嘲笑った。
それは今まで見たことがないほど蔑みに満ちた笑みだった。
魔族ではありえない。か弱い人間だからこその笑い方だった。
「その通り。さすがの私でも初代聖王の遺体には手が出ない。だったら答えはひとつしかない。私が誰の依頼で君を暗殺しにきたのかわかるかい?」
――ありえない!
アドラは真っ先に思いついた可能性を即座に否定した。
教皇がアドラ抹殺のためにエリスの遺体を貸し出したなど、万が一にも世間に知れようものなら国家を揺るがしかねないほどの大スキャンダルだ。
「そこらのパンピーと違ってエリスの魂は今なおエルエリオンに留まっているから、依り代となる肉体さえあればネクロマンス自体は大した話じゃないんですよ。重要なのはどこまでオリジナルの実力を再現できるかさ」
マルディが指示を送ると少女はローブを脱ぎ捨てた。
その下にはエリが着ているのと同じブルーメタリックの鎧を身に纏っていた。
「鎧は残念ながら模倣品だ。無論、聖力の使用も不可。魔力で代用するしかない。だがそれ以外は可能な限り全盛期のオリジナルに近づけています。現代ネクロマンシーの粋を集めた彼女の性能、今代の聖王を打ち倒したという君で試させてもらうよ」
少女は剣を振りかぶり突進してくる。
魔力で強化された上に肉体限界を気にする必要のない不死人の身体能力は格別。特に彼女のスピードは凄まじく、かつて闘った不死騎士ガラハッドをも上回っていた。
「ちィっ!」
振り下ろされた剣をアドラは間一髪のところ受け止める。
だが彼女の攻撃はそれでは終わらない。
攻撃の勢いを利用して回転し、再び威力の乗った剣撃を放り込んでくる。
それを一度だけではなく二度、三度、四度――無限の体力を利用して無尽蔵に撃ち込んでくる。
その様はまるで踊るようであり、小型の竜巻のようにも思えた。
――まずい。
嵐のような攻撃を受け止めながらアドラは小さく唸った。
反撃のきっかけが掴めずにピンチというのもあるが一番堪えていたのは精神の方だ。彼女の扱う剣技があまりにもエリに似ていたからだ。
アドラの心が、魂が、目の前の少女をエリスだと認めてしまいそうになっていた。
――本当に、本気で、エリスの遺体を利用したのか!?
心の迷いが一瞬の隙を生んだ。
アドラの肩に激痛が走る。
「くッ!」
少女の聖剣がほんの少しだけかすめたのだ。
ただそれだけで、これほどの威力。
氷炎結界はおろか抹殺の悪威すら素通りして攻撃を通してきた。
通常の聖剣では決してありえない。
「邪竜殺しの聖剣 《アスカロン》 。これは正真正銘のオリジナルですよ。たとえあなたであろうとまともに喰らえば浄化は免れない」
いわれてみれば柄にあしらえられた戦車に座りし天使の装飾はソロネの象徴だ。
威力的にも伝説の聖女の聖剣であることは疑いにくい。
《アスカロン》 はエリスの聖具としてグロリアの博物館に展示されていると聞く。
そのような遺物がなぜこんな所に……。
――窃盗か?
それはありえない。
剣の警備は当然厳重だし、盗られた瞬間に国中大騒ぎになって、マルディはこんなところでのんびり自分を襲撃している暇などないはずだ。
目の前の少女も、扱う聖剣も、本物だとしか思えない。
雑に事を進めるマルディが盗めるとも思えない。
回答は最早ひとつしかない。
「教皇聖下は正気であらせられるかッ!!!」
アドラが叫ぶとマルディはフクロウのように首を横に傾ける。
「さあ? あの御方に倫理観が欠如しているのは確かですが」
でも、たぶん正気なんじゃないですかね――マルディは投げやりに答えた。
どいつもこいつもイカれてやがる。
こっちも朱に染まって紅くなりそうだ。
「どの教皇だ? 本人も聖具もグロリアが保有している以上、大本命はミカエルだろうけど……」
「言葉遣いが悪いですねぇ。仮にも世界で一番の偉人ですよぉ?」
「おまえの言葉が真実ならば、そいつはもう教皇の資格を失っている。ただの……いいや、最低の犯罪者だ。どこに敬意を払う必要がある?」
「それもそうですね。ああ、調子に乗って少しおしゃべりがすぎました。これ以上の情報が欲しかったら、私を捕縛して尋問なり何なりしてください」
――ああ、そうさせてもらうよ。
アドラは吐き捨てるようにいって剣を構えた。
狂人が牛耳る狂った大国ヴァーチェ。
渦中に放り込まれたアドラの正気もどんどん疑わしくなってくる。
一刻も早く用事を済ませてルガウに帰らなくては。
アドラは心底そう思う。
あまりここに留まり続けると、この地にのさばる『悪』をすべて裁かずにはいられなくなってしまう。
この身に宿る赦されざる巨悪を使って。
悪を以てして悪を裁く。
それはきっと死神の所業。
人の為していい事ではない。
だから、その前に――
週末まで更新していきます
GW中も更新していく予定です
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