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四天王アドラの憂鬱~黒き邪竜と優しい死神~  作者: 飼育係
第3章 死神と邪竜 Death and Evil Dragon
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冒涜する者

 ヴァッサール神殿にたどり着いたアドラは、予想以上の惨状に思わず目を覆いたくなった。


 平時は閑散としているはずの神殿が黒山の人だかりで賑わっている。

 無論誰も生きてはいない。すべてが自我なきゾンビだ。



「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛っ゛!!!」



 マルディの言葉は真実だった。神殿に避難してきた民衆すべてを素材にして自らの拠点を生み出していたのだ。


 生命への冒涜。

 神をも恐れぬ悪魔の所業。

 赦される道理はどこにもない。


 遠巻きに警戒していたゾンビの内の一体が、アドラに向かってやってくる。


『ようこそソロネ王! お早いお着きで何よりです!』


 どうやらこのゾンビはマルディのスピーカーらしい。

 内心の憤りを堪えながらアドラは静かに口を開く。


「約束通りやってきたぞ。今すぐ出てこい」

『まあそう焦らないでください。物事には順序というものがあります。ここから先はちょっとしたゲームをしてもらいます』

「今すぐ出てこいといっている。急いでいるといったはずだぞ」

『せっかちですねぇ。魔界育ちはこれだからいけない。土地が狭いと心も狭くなる』

「おまえのような外道相手ならどれだけ狭量でも恥ずべきところはない。出てこないなら今すぐしらみ潰しにしてやる」


 アドラが一歩前に出ると、ゾンビたちがますます警戒を強める。

 街中に蔓延るゾンビとは違い完璧に取れた統率。マルディが神殿内部にいる可能性はかなり高いと踏んだ。ならば問答は無用だ。


『聖王廟にある聖杯を取りに来てください。見事手中におさめた暁には、あなたの前に姿を現すことを約束しましょう』


 アドラはマルディとの会話を放棄して神殿に足を踏み入れた。

 同時にゾンビたちが奇声をあげて一斉に襲いかかる。


 だがアドラは、地面を一度強く踏みつけただけで彼らの猛進を止めた。


「心からすまないと思っている。でも行く手を阻むなら容赦はしない」


 氷炎の双眸の奥に極黒の魔力をちらつかせアドラは静かにそう告げた。

 自我を奪われているはずのゾンビたちが怯えて二の足を踏む。


 眼前に居られるは正真正銘の死神。

 あまねく死者を統率する地獄の君主。

 ゾンビ如きが逆らうにはあまりに恐れ多い。


 だが躊躇したのはほんの一瞬のみ。

 マルディに刻まれた強力な呪言が彼らを強制的に突き動かす。

 その鋭い爪と歯牙がアドラへと迫り来る。


「せめて安らかに」


 アドラは胸元で十字を切って祈り、鞘から剣をひき抜くと、襲いかかってきたゾンビすべてを瞬く間に斬り裂いた。

 死者と死者を統べる者たちの狂宴が、今ここに始まったのだ。



                   ※



 コツン。


 コツン。


 コツン。


 静寂に包まれた殿中に足音が響く。


 赤い絨毯を返り血で紅く染めてアドラは聖王廟を進んでいく。

 襲ってきたゾンビはすべて始末した。進むにつれて上がっていくネクロマンシーの精度からいってマルディが廟にいるのはまず間違いない。

 だが急いではいけない。焦りは油断と隙を生む。万が一にも取り逃すわけにはいかない。血塗れになった剣を強く握り直す。


 ――だいじょうぶ、今のおれは冷静だ。


 アドラは自分に言い聞かせる。

 確かに思考はしっかりしている。神経も研ぎ澄まされている。身体のキレもいい。冷静であることは間違いない。

 だが正気かと問われれば甚だ疑問だ。


 たとえゾンビとはいえこれだけの数の人間を斬って正常でいられるはずがない。

 見えない何かがガリガリと削り取られていくのを感じている。

 内側から湧き出る恐ろしい何かがアドラの心のタガを外そうとしている。

 自問できている内は大丈夫だと信じる自我と、すでに狂っているのではないかと恐怖する自己がせめぎ合っている。

 そもそも当の本人に正気の有無など判断できるはずがない。どれほどの狂人であろうと問われれば自分は正常まともだと堂々と主張することだろう。


 ――このような大惨事を引き起こしたアイツであろうとな。


 まるでこの国の枢機卿であるかのように祭壇の前に立つ若く美しい男がいた。

 均整の取れた身体に黒いマントを羽織り竜頭を模した杖を携えている。

 モノクルをつけた切れ長の眼がアドラを値踏みするように見下ろしていた。


「ファーストステージ突破おめでとうございます。もっとも、このぐらいはやってもらわねば、こちらもわざわざ出向いた甲斐がないというものですがね」


 男は絹のように滑らかな髪をかき分けてから恭しく一礼した。


「おまえがマルディか?」

「イエスアイアム。以後お見知りおきを」


《黒死の一三翼》 が一翼 “冒涜する者” マルディ・グラ。


 こうして対面してみても何の驚異も感じない。

 ただ顔がいいだけのいたって凡庸な人間の魔術師だった。

 操る術は凄まじいがこうして対面してしまえばハッキリいって敵ではない。


「ひとつ訊いていいか。なぜこんなことをした?」

「こんなこと?」


 マルディはまるでわからないと言わんばかりに大げさに肩をすくめる。


「ヒエロを襲ったことだ。おれを始末するだけなら巻き込む必要なんてどこにもなかった。人道的な問題は当然だが、無駄に敵を増やすだけでそちらに何の益もない」

「そうですね。でも、それが何だというのですか」


 アドラが舌打ちするとマルディはケラケラ笑う。


「暗殺者に常識を持ち出すとかあなたお馬鹿さんですかぁ? 人に恨まれたくなかったらそもそも暗殺者になんかになりませんよ。死体を操って死体を作るのが愉しいからる。ただそれだけでしょう。これをいうと皆さん苦虫を潰したような顔するんですけど、あなたもそうみたいで極めて遺憾です」


 ――なるほど理解した。


 凡庸な人間という評価は訂正する。

 マルディはこれで正気なのだ。正常な精神状態で人の生命を冒涜することを愉悦としているのだ。

 つまりこいつは人じゃない。生かしておく理由を探すほうが難しい。


「あぁ、地獄の王子であるあなたにならご理解いただけると思っていただけに残念。やはり私の理解者はリドル君だけのようですねぇ」

「勘違いするなよ。地獄はおまえのような救えぬ屑を裁くための場所だ。閻魔代理として然るべき刑を執行する」


 アドラが一歩に前に進むと背後から邪悪なる気配を感じる。

 振り向くとそこには自分の背丈の五倍はあろうかという巨人が立っていた。

 巨人族ではない。全身にある縫合の痕跡を見る人為的に生み出されたものだ。

 顔には目がなく頬まで裂けた口からは猛獣のような歯牙と蛇ように長い舌が見てとれた。


「私が生み出した人間ベースの不死合成獣アンデッドキメラです。どうですなかなかに芸術的でしょう。セカンド・ステージは彼らがお相手いたします」


 マルディが手を上げるとキメラは雄々しく吼えた。

 同時にゴリラのように太い腕がアドラの脳天に向けて振り下ろされる。


「……舐めてるのかおまえは」


 だがすでにアドラは背後の敵に興味を失っていた。

 キメラの一撃を見もせずにかわし、前傾姿勢になってがら空きの頭部に裏拳を叩きつける。


 ただそれだけで、キメラの存在はこの世から消えてなくなった。

 拳に乗った 《抹殺の悪威》 は不死者にすら平等なる死を与えたのだ。


「これが切り札だというのなら井の中の蛙も甚だしい。おまえより強い奴なんて地上はおろか魔界にもゴマンといるぞ」


 関心がないのはキメラに限った話ではない。

 アドラの『敵』は最初からマルディひとりだけだ。

 ゆっくりと剣を構え、必殺の間合いへと慎重に歩を進めていく。

 相手は小細工が得意な死霊使い。万が一にも逃すわけにはいかない。


「相変わらずせっかちですねぇ。しばらくキメラと遊んでもらいたかったのですが、もう次のステージをご所望ですか?」


 一方のマルディは余裕の笑みを崩さない。

 しゃべっている最中、持っていた杖で肩をトントンと叩いていたが、途中で飽きてきたのかアドラに向けて放り投げる。


「ファッションで持ってきたのはいいんですけど、実はネクロマンサーに杖なんていらないんですよね。邪魔なのであなたに贈呈します」


 杖が地についた瞬間、アドラは杖を踏み潰して突進した。

 人でなしに容赦は不要。これ以上被害を拡大させる前に叩き斬る。


 疾風の如き速度でマルディの眼前まで移動したアドラは、これ以上相手に何かさせる前に素早く剣を振り下ろした。


 アドラの剣がマルディの首をねる――その直前、間に割って入りその刃を止める者がいた。


 その者は純白のローブで全身を包んでいた。フードを目深に被っているため顔はわからない。その手に握る細身の剣には見目麗しい天使の装飾が施されていた。

 おそらくはマルディの操るゾンビの一体なのだろうが……確信が持てないためアドラはどうしても躊躇してしまう。


「何者かは知らないがどいてくれ! おれはそいつを倒さなきゃならない!」


 鍔競り合いを続けながらアドラは懸命に説得するが何の反応もない。

 やむをえず剣に力を入れて白ローブを押し飛ばそうと試みる。


 しかし、逆にふっ飛ばされたのはアドラのほうだった。


 ――嘘だろ。


 空中で反転して体勢を整えるが衝撃は隠しきれない。

 これでも腕力にはそこそこ自信がある。少なくともその辺のゾンビたちに遅れを取ることはなかった。


 それが、多少手心を加えていたとはいえ、こうもあっさりとはね返されるとは……少なくともただの人間にできる芸当ではない。


「……あんたいったい何者だ?」


 アドラが訊くが白ローブは答えない。

 剣を下ろし静かにアドラに向かって歩きだす。

 何者かはわからない。

 だが少なくとも手加減できるような相手ではないことは確かだ。

 やりたくはないが仕方がない。


 白ローブが剣を下段から振り上げる。

 アドラはその切っ先を間一髪で後ろに退いて避ける。

 避けると同時に剣撃を放つが白ローブは何事もないかのようにかわしつつ前進を続ける。


 ――マジで何者だっ!


 キメラか、それとも用心棒か、いずれにせよとんでもない凄腕だ。

 だが、これ以上退けばマルディを取り逃しかねない。

 アドラは白ローブと真正面から相対する。


 互いの剣が再び交錯する。


 今度はアドラも本気で剣を放った。

 それでようやく互角。

 打ち合った衝撃で赤絨毯が吹き飛び床が割れる。


「マルディ! こいつはおまえの造った兵士かぁっ!」

「無論! 彼女を操るためにこうして私が直々に出向いたわけですから!」


 魔力の相克による衝撃波が巻き起こり互いに後ろに弾け飛ぶ。

 間が空いて少し心に余裕が出来たおかげで、ようやくアドラは相手が女性であることに気づいた。


「あなたが今まで物足りなく感じていたのは当然。最初から私の全身全霊は彼女にだけに注がれていましたので。ゾンビやキメラなんてただのおまけですよ」


 マルディが指を鳴らすと白ローブの女性は目深に被ったフードを脱ぐ。

 その顔を見てアドラは驚愕した。


 ブロンズへアの人形のように儚げな少女。

 その均整の取れすぎた顔は見る者すべてを魅了する。

 だが何より特徴的なのはギラギラと輝くそのアメジストの瞳だ。


 これほどの存在感を放つ者をアドラは一人しか知らない!


「あなたも、もちろんご存じでしょう? 初代聖王――聖王エリの中の聖王エリ『エリス』です。伝説の存在とこうして合間見えることを光栄に思ってください」


 アドラの全身から冷たい汗が吹き出した。


 サタンを討ち果たした伝説の聖女。

 はるか昔に死去したはずの彼女がなぜここに。


 どれだけ考えても答えはでない。

 わかっていることは、今ここで彼女を倒さねば、マルディに刃が届かないという残酷な事実だけだった。

今週の更新はここまでになります

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