カーニバル
ヒエロに滞在してから四度めの蒼月がのぼった。
ホーリ地方を抜ければまた汽車が使えるとはいえ、約束の舞踏会の日は刻一刻と迫ってきている。
しばらくここに居ると宣言したアドラだが、さすがに少しだけ焦りが出てきた。
「大丈夫ですデス。シルヴェン様が夜も寝ずに根回しをガンバってくれていますので、きっとすぐにでも出立できますデスよ」
宿屋の一室でアドラが夜景を眺めていると、夜食を持ってきたサーニャが励ましてくれた。
魔力的にリンクしているせいか、内心の焦燥を気取られてしまったようだ。
「そう思いたいんだけど、ヒエロの法とか権力構造がよくわからないから不安なんですよね。調べたくても監視付きのちょっとした軟禁状態だからなぁ。サーニャさん、何か知ってることがあればおれに教えてくれませんか?」
「もうしわけありませんデス。ヒエロについてはさっぱりなんデス」
サーニャは頭が取れそうになるほどブンブンと首を振った。
「確かサーニャさんってヴァーチェのガイド役としてついてきたんですよね。おれここに来てからずっとモモさんに頼りっきりなんですけど……」
「だってアタシたち、天使の大動脈を通って直接首都グロリアに来てますデスから。ネウロイ様なら他の地方にも詳しいんデスけどねー」
――た、頼りねぇ……。
アドラはガックリと肩を落とした。
こんなことなら多少無理をいってもネウロイについてきてもらえば良かったと若干後悔する。今さらいってもしかたのないことなのだが。
「ま、まあいいや……引き続き護衛のほうよろしくね」
「アイアイサーデス!」
サーニャが元気いっぱいに敬礼する。
シルヴェンが傍に居るときはビビって遠くにいるので護衛としても少々心許ないが、いざというときは頼れる才女のはずだ。たぶん、きっと。
「そういえば、ガイアスさんは今どうしてるんですか? これだけ長期間拘束されてるとあのひともきついんじゃないかと思うんですが」
「あのひとならモモさんと一緒に部屋に引きこもって魔術のお勉強デスよ。なぜかオキニスさんも一緒に」
「ああそうなんだ。ガイアスさんもずいぶん懐かれたものだね」
もとより仲の良かった二人なのだが、サークレー行きの汽車に乗って以降オキニスはすっかりガイアスの舎弟になっていた。
理由はよくわかない。どちらも体育会系の不良なので波長が合うのかもしれない。
何にせよ仲がいいのは良いことだ。勇者といえど魔術を学ぶことは決して無駄ではない。将来はダラクのように魔術と聖術を同時に操る凄腕の勇者になれるかもしれないとアドラは思う。
――想像してみて、ちょっと無理そうだと思ったことは内緒だ。
「すいません。ルームサービスをお持ちしました」
アドラたちが何気ない会話をしていると給仕の中年女性が料理を運んできた。
予定にない事だったためアドラは少しだけ不審に思う。
「食事はみなさんと一緒に食堂で取ると伝えたはずですが……」
「こちら主人からのサービスとなっております。ぜひお受け取りください」
ワゴンに乗っていたのは宮殿で出されるような極上の料理の数々。
フランセスの計らいなのだろうがいささか分不相応だ。
「け、結構ですよ! お気持ちだけいただきます!」
「それはいけません。天下のソロネ王に失礼があってはなりませんので。主人も直接お話したいと意気込んでおります」
数々の料理の中でも一際大きくて目立つ皿、その上に被さった蓋を女給仕が取る。
アドラは衝撃のあまり全身を強ばらせた。
皿の上に乗っていたのは男の生首だった。
男の顔には見覚えがあった。
この宿屋の店主だ。フランセスが紹介してくれただけあって、厳格なヒエロの民らしくないとても気さくで感じの良い男性だった。
そんな彼が、いったい、どうしてこのような惨たらしい姿に……。
もしかしたら何かのドッキリなのだろうか。実は精巧な造り物であって本人は今でも元気いっぱいでニコニコと宿を運営しているに違いない。
――そうであってくれ!
にわかに信じ難い光景に激しく動揺し狼狽するアドラ。
しかし事態は彼が冷静さを取り戻すのを待ってはくれない。
『グッドイブニング、ソロネ王! お初にお目にかかります!』
皿の上に乗った生首が陽気にしゃべりだした。
白目を剥き、血反吐を吐きながらも、おかまいなしにまくしたてる。
『私 《黒死の一三翼》 が一翼“冒涜する者”マルディ・グラと申します。今宵、偉大なるあなたの生命を頂戴するべくはせ参じました。短いつき合いになるかと思いますが是非ご記憶を!』
生首は顎が外れそうなほど大笑いした。
笑いすぎて本当に外れたがすぐに女給仕が元に戻す。
『失敬。数百年ぶりに誕生した人類王にお目にかかれたせいで、ついはしゃいでしまいました。ここからはきちんと状況を説明させていただきます』
事態の急変についていけないアドラ。そんな彼にマルディは一方的に宣戦布告を叩きつける。
『まずは外の風景をご確認ください。普段とは少しだけ違うことがわかるはずです』
アドラは言われるがままに窓の外に視線を向けるが、室内が明るいせいで彼の目を持ってしても状況の変化がわからない。
ランタンを手に持って窓から身を乗り出して、そこでようやく絶望的な現状を把握することができた。
「お゛……お゛お゛……お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛…………っ!」
うめき声をあげながら大通りを闊歩する者たち。
そこにある生首のように白眼を剥き口から涎をたらしている。当然、正常な人間であろうはずもない。
とんでもない数のゾンビの群れがヒエロを襲撃しているのだ。
『私謹製のゾンビです。とりあえず八千体ほどご用意いたしました』
「八千……ッ!」
あまりに馬鹿げた数字にアドラは己が耳を疑う。けた違いとはまさにこのこと。八百でも多すぎるぐらいだというのに。
驚くアドラに対してマルディさらにトンデモないことを口にする。
『ソロネ王とヒエロを相手どるにはいささか心許ない数字。ですがご心配なく、ゾンビ程度ならいくらでも現地調達が可能ですので。数はこれからもっともっと増えますよ』
ゾンビがゾンビを生み、その数はネズミ算的に増えていくのだとマルディはいう。そんなことが本当に可能なのだろうか。
アドラは同じくネクロマンサーであるサーニャに意見を伺う。
「……不可能デス。そんな芸当ができるなら魔王軍なんていらないデスよ」
サーニャの声には珍しく余裕がなかった。
今回の術者はそれほどの強敵ということなのか。
『そこの不死人のような雑魚には不可能でも私には可能なのですよ。私の言葉が真実かどうかはそこに居ればすぐにわかること。史上最高の死霊使いの提供する最悪のカーニバル、どうかごゆるりとお楽しみあれ』
マルディの言葉が真実か虚偽か。
ネクロマンスの知識に乏しいアドラには判断できるはずもない。
だが街のいたるところにゾンビが徘徊し阿鼻叫喚の地獄絵図と化しているのは事実。真偽がどうあれやる事に変わりはない。
一刻も早く術者を倒し、被害を最小限に抑えるのみだ。
『多くの者が参加するこの大祭、場を最高潮に盛り上げるメインイベントが必要だとは思いませんか?』
「さっさと用件をいえよ。こっちは今から忙しくなる予定なんだ」
『一対一で勝負しましょう。ソロネ王VS大ネクロマンサー。どちらが世界最強の男か今ここで決めようじゃないですか』
「おれはそんな大層な男じゃないけどタイマンなら上等だ。もちろん受けて立つ」
ちょうど今から術者を探そうとしていた所。向こうから呼んでくれるなら願ったり叶ったりだ。
『それでこそ人類の希望。では聖王廟でお待ちしておりますのでいつでも好きな時間にお越しください。私は逃げも隠れもいたしませんので』
「今すぐ行く。首を洗って待っていろ」
『あっ、月並みで恐縮ですがこの店主の頭は術式隠蔽のため数秒後に爆破させてもらいます』
「は?」
マルディがメッセージを伝え終えると同時に女給仕がエプロンを外す。
露わになった腰には大量の爆薬が取り付けられていた。
『ローテクでもうしわけないのですが、これが一番楽なもので』
アドラが止める暇もなく女給仕は爆薬に火をつけた。
激しい爆風によりアドラたちはガラスを破って窓外へと吹き飛ばされる。
しかし当然の如く二人とも無傷。空中で姿勢を整えてから何事もなかったかのように大通りに着地した。
「おれは今すぐ聖王廟に向かう。サーニャさんは巻き込まれた民の救助をお願い」
「聖王廟へは皆さんを集めて向かったほうがよろしいデスかと。馬鹿正直に一対一で闘う必要などどこにもないデス」
サーニャの提案は慎重かつ当然だったがアドラは小さく首を振る。
「マルディとかいうネクロマンサーが聖王廟にいる保証はどこにもない。手早く事態を収束させるためにも手分けしたほうがいい」
「しかしデスね……」
いいかけてサーニャは言葉を飲み込む。
アドラの顔はすでにいつもの気弱な優男のそれではなかった。
「正直、おれは今、猛烈にムカついている。もし奴と相対したら、自分を抑えられる自信がない。だから――独りで行かせて欲しい」
アドラの魔力の高ぶりを察知したサーニャは、それ以上の異論を挟まず代わりにひざを突く。
「無礼な発言ご容赦ください。相手が何者であろうと今のアドラ様の敵ではございません。ヒエロの民の皆様につきましては、アタシにお任せください」
アドラは無言でうなづくとヴァッサール神殿に向けて走り出した。
サーニャへの感謝の言葉も出ないほどにアドラは激怒していた。
自分の生命を狙うのはいい。
だが無関係の人間を巻き込むのは許せない。
それも死体を操るという最悪の手段で。
地獄より現れし死神の鎌は、すでにマルディの罪を認め、その頸へと迫っていた。




