親睦
綱渡りのような厳しい交渉の末に、見事フランセスの説得に成功したアドラたちだったが、残念ながら「ホーリ地方編完!」とまではいかなかった。前回勇み足をしてしまったことをここで謝らねばならない。
「ホントごめんなさいねぇ。うちの者はみんな父ちゃんに似て融通が利かなくて」
料理を持ってきたフランセスが平謝りする。
アドラは慌てて立ち上がると彼女に頭をあげるよう頼み込む。
結果、互いに頭を下げあうという奇妙な光景ができあがっていた。
ヒエロの枢機卿フランセス・フォン・ゴッドウィルの経営する大衆食堂『グッドウィル』は、ヒエロにて足止めを食らうアドラたちの行きつけの店となっていた。
安くて早くて美味い、文句のつけどころのない良店なのだが、国王に匹敵する権力を持つ枢機卿にサービスしてもらうことに引け目を感じてしまうところが唯一の欠点だ。
ヴァーチェはソロネのようにすべてが権力者の鶴の一声というわけにはいかない。
たとえ枢機卿の許可が降りようともすぐに通行手形が発行されたりはしない。
重役会議の結果、まずはソロネ本国にいる聖王に確認を取って、手形の発行はそれからということになったのだが……これが時間がかかってしかたがない。
それもそのはず、現在ソロネにいるのは代理のオズワルドで、聖王本人はルガウという南国の孤島に駐留しているからだ。
もちろんそのような辺鄙な場所にいる聖王にすぐさま連絡を取れるはずもなく、手形の発行は難航していた。
トップダウンのソロネとパブリックなヴァーチェの悪い部分が重なった結果である。
ただ、オズワルドが色々と便宜をはかってくれたおかげで、アドラたちにかかっていた嫌疑はほぼほぼなくなっているとのことだ。この件については本当に感謝してもしきれない。
そのような恩人からアドラたちに向けて魔導通信が入っているので聞いてみよう。
『どうせ聖王から無茶なお使いでも頼まれたんでしょう。あのひと舞踏会への誘いをいつも煙たがってましたしね。島に残ってるのもそれが理由に決まっている。島に戻ったら私の代わりにあのひとをぶん殴っておいてください』
事実誤認もいいところではあるが、代理でやりたくもない政務をやらされているオズワルドの心境を考えると茶化すこともできない。
さすがに女性を殴れはしないが、彼にお土産ぐらいは持っていってあげようとアドラは思った。
「聖王様からのご声明があり次第、すぐに手形を発行するからそれまで辛抱してな。寒い場所でもうしわけないけんどできる限りのことはさせてもらうからさ」
「わ、我々としましては便宜をはかってただけただけでも大変光栄なことでして! これ以上ゴッドウィル卿のお手を煩わせるわけにはいきませんよ!」
「そんな堅苦しい言葉使わんでええよ。フランセスと呼び捨てにくださいな」
「い、いえいえ、さすがにそれは……!」
アドラが恐縮しきりでいると、フランセスの許にひとりの神官がやってきた。
神官がフランセスに耳打ちすると、彼女はとたんに顔を青ざめさせる。
「もももも、もうしわけございません! ソロネ王とは露知らずとんだご無礼をッ!」
「いえ、特に無礼は……それにまだ即位はしておりませんので……」
こちらの素性が完全に割れてしまったようで、何だかわけのわからない事態になってきた。
こうなったらもう腹も割ってすべての事情を打ち明けたほうがいいのではないかと思ったアドラはフランセスに人払いを頼む。
フランセスはすぐにアドラの要求を呑んで店を早仕舞いにしてくれた。
「なるほどねぇ……ウリエル聖下に舞踏会に誘われてここまで来たんですか。でも、だったら御忍びではなく堂々と来られたらよかったのに」
「おれは他の教皇から月星神ネメシスの子の疑いをかけられていて、すでに暗殺者に何度も生命を狙われています。本日はゴッドウィル卿を信頼してこのようなお話をさせてもらってます。ですので、この件は何とぞご内密に……」
アドラが頭を下げてお願いすると、やっぱりフランセスも慌てて頭を下げた。
キリがないのでへりくだるのはもうやめておこう。
「そういう事情ならしばらくヒエロに滞在したほうがいいのではないでしょうかね。だってここなら暗殺者も絶対手出しできないですもの」
フランセスにいわれてアドラもまたその考えに思い至る。
厳格な親勇者派の大都市で勇者も数多く在籍している。さしもの教皇もここに暗殺者を送ってくるような馬鹿な真似はしないだろう。ただし――
「いえ、やはりできれば早めに出立したいです。大変失礼な話でもうしわけなく思うのですが、ガブリエル聖下が主犯の可能性をどうしても捨てきれませんので……」
女神の子をもっとも嫌悪するのは親勇者の教皇だ。アドラ暗殺の最有力候補といっていい。ガブリエルが現在どこにいるかはわからないが、そのお膝元であることは間違いない。長く滞在するのは危険が伴う。
暗殺者は送られないかもしれないが、今度は罪をでっちあげて堂々と殺しに来るだろう。それはとても困る。
「あたしも枢機卿になりたてで聖下には直接お会いしたことはないし、ヒエロに差別がないと断言もできんけど、たぶん大丈夫だと思うんですわ」
「えっと……何か根拠でも?」
「あたしの勘だけんど」
――勘かい。
アドラは呆れて肩をすくめた。
もっとも少し前までは自分も同じような感覚で物事を決めていたのだが。
「まずうちらは暗殺者なんて物騒なものを使わんのよ。あたしたちには勇者様がいるのだから、困った時には彼らに頼るよ」
「しかし教皇には御用達の暗殺者集団 《黒死の一三翼》 がいるじゃないですか」
「うちらはあれには直接関わっておらんし、存在そのものを認めておらんよ。少なくともうちの父ちゃんはそうだった」
アドラがモモに目配せすると、彼女は無言でうなづいた。
フランセスの父バルザック・フォン・ゴッドウィルは 《黒死の一三翼》 の解体を強く訴え続けていたという。その裏には上司であるガブリエルの合意もあったとのことだ。
「聖下は堅物の父ちゃんが信じた御方だからあたしも信じたい。それだけの話なんだけど、これだけではやっぱり納得していただけないでしょうか……」
もうしわけなさそうにいうフランセスにアドラはゆっくりと首を振る。
「おれはゴッドウィル卿……いえ、フランセスさんを信頼しています。あなたが信じる御方ならおれも信じますよ。ヒエロにはしばらく滞在させてもらいます」
今度はアドラは頭を下げなかった。
代わりに立ち上がってスッと手を差し出す。
それを見たフランセスは笑顔で握手を交わした。
「逆に、どうしてあなたは魔族であるおれのことを信頼してくれるんですか?」
「ヒエロの民は皆、聖王様を信じる使徒さね。今代の聖王様が信じて王位を託したあなたを信じない理由なんてどこにもないんよ」
それを抜きにしても客は極力信じる性質だとフランセスは笑っていう。
ヒエロは極寒の地らしいがそこに住む人々の心は温かい。それを知ることができただけでもこの旅には大きな意味があった。
長らく忘れていたものを少しだけ取り戻せた気持ちになれたから。
※
アドラがフランセスと友好の握手をかわしたちょうどその頃、一人の男がヒエロを視界に入れていた。
「あー寒い寒い。こっちゃ趣味でやってるってのになんでこんな寒い思いをしなきゃなんないのよ。ホント勘弁して」
多少細目なこと以外、何の特徴もない至って平凡な男だった。ホーリ地方の民族衣装に身を包み、ノゥーメルの上から遠方より双眼鏡でヒエロの様子を眺めている。一見するとただの観光客だし事実その通りだ。監視役など真面目にする気は毛頭ない。
「でもまぁ、しゃーないか。今から始まるお祭りを特等席で見られるんだから、少しぐらいは我慢しないとなぁ」
《黒死の一三翼》 が一翼“持たざる者”リドル・ネーヤは、ぶつぶつと独り言をいいながら携帯用の魔導コンロに火をつけ、有り合わせの食材で料理を始めた。
本日は教皇ミカエルより防寒装備一式と一緒にヌゥーメルの肉の差し入れをもらっている。こういうのは良くないと思いつつも久々の肉料理に心が躍る。
「ソロネほどではないとはいえ、数多くの勇者が在籍する大都市だから安全安心――アドラくんもきっとそんな風に考えてるだろうなぁ。まー間違っちゃいないけどさ」
料理の片手間に持たされた携帯を使って二人の仲間に連絡を入れる。
一人は教皇ミカエル。もう一人は今回のイベントの主催者だ。
「でもそんなのおかまいなしにヤっちゃうんだよなぁ、あのひとは。頭のおかしいひとは敵に回すと恐ろしいよねぇホント。味方でもやっぱり怖いんだけどさ」
自分のことを棚にあげてリドルはいった。
異常者集団 《黒死の一三翼》 の中では常識人だという自負があったが、彼も精神の逸脱ぶりでは決して負けてはいない。
「さあマルディ・グラのカーニバルの開催だ。さてさて、今回はいったいどれだけの死者が出るかな。無関係なのに巻き込まれる人たちかわいそかわいそ」
生焼けでまだ血の滴る肉を噛みちぎり、リドルは高笑いをあげた。
もちろん民間人への憐憫の情などこれっぽっちもありはしない。
ひさしぶりのお祭りなのだ。参加者は多ければ多いほどいいに決まっている。
すでにアドラのことなどどうでもよく、彼は純粋に大量殺人を楽しみにしていた。
後日、ヒエロの街は文字通りの地獄絵図となる。




