世界の王
ホーリ地方の冬は寒い。特に夜となれば格別だ。
夕方頃に降り始めた雪は完全に日が沈んだ頃にはすでに積もり始めていた。
最初ははじめて見る雪に無邪気にはしゃいでいたアドラも、積雪が続くと次第に心境が変わってくる。
髪や服は濡れるわ足はとられて歩きにくいわ視界は悪くなるわで良いことが何ひとつない。
そもそもそんなに白系統の色が好きではないこともあり、速攻で『飽きた』のだ。
現在では空から降ってくる厄介な障害物という認識だ。地元民もおそらくそんな風に感じていることだろう。いや、ヴァーチェの民のことだから、これも神からの恵みということでありがたがっているかもしれない。
「今日はここまでにしよう。キャンプの準備だ」
モモは袋から黒いえだ豆のようなものを取り出し、それを雪の中へと放り込んだ。
雪は固まりその姿をみるみる変えていき、最終的には雪の家と化していた。
「この雪は決して溶けぬから中で火をくべても構わんぞ。保温性も抜群で中は見た目よりもずっと温かい。伝説に謳われるヤパンの『かまくら』の応用技術だな」
やはり魔術は万能である。
親勇者の地方でこんなことを思うのも何だが、魔を滅するぐらいしか能のない聖術よりもずっと暮らしのためになっている。
もっとも、こんなに便利な術を自在に操れる魔導師に対する抑止力がないというのもまた怖いので、魔を祓うことを専門とする勇者もまた世界に必要な存在なのは間違いない。
――世の中うまくできてるもんだ。
そうやって力を持つ者同士が牽制しあった結果、何も持たぬ人間が地上の覇者として君臨していられる。
至高神ラースの大いなる采配だ。さすがは神と呼ばれるだけのことはある。本当に存在しているかどうかは知らないけれど。
アドラはあえてどうでもいいことを考えながら雪の家の中へと入った。
※
深夜、皆が寝静まりかえった頃に、アドラは目を開いた。
今朝――いや、すでに昨日のことか。モモの言葉が気になってなかなか寝付けなかったのだ。
アドラは起きあがると外の空気を吸うために静かに家を出た。
雪はすでにやんでいた。
冷たく澄んだ空気は夜空の星を美しく瞬かせるが、今のアドラはそれを楽しむ心の余裕がない。
――裏切り者か。
あの時は頭に血が上って頭ごなしに否定したが可能性は決してゼロではない。
積極的ではないにせよ、何か事情があってやむをえずということもある。
たとえばシルヴェンだ。
彼女たちソロネ聖騎士団は形の上では聖王と共に教皇の配下にある。接点も多く、祭事には第一級聖騎士がグロリアに派遣され警護にあたると聞く。教皇に命じられれば従わざるをえないだろう。
モモについては今更いうまでもない。
そもそも彼女は存在自体が怪しい。何しろソロネでは幼女のフリをしてアドラの監視をしていたのだ。何かと助けられてはいるものの、あまり信用しすぎるのはよくないだろう。
ガイアスさんとオキニスだって――いや、さすがにそれはないか。あのひとたち単細胞だし。
ものすごく失礼なことを考えながらアドラは夜空の下、独りたそがれる。
「ここにいましたデスか。アドラ様」
手持ちぶさたなアドラが雪いじりを始めると、彼を追ってきたサーニャが声をかけてきた。
アンデッドは眠らないためアドラの動向にすぐ気づいたのだ。
「お仕事のない日は規則正しいアドラ様が珍しいデスねー。なかなか寝付けないのですデスか?」
「大丈夫、心配は不要だよ。これでも生まれてこの方、大きく体調を崩したことがないのが自慢でね。ちょっと睡眠時間を減らすぐらいはなんてことない」
今更いうまでもなくアドラの身体能力は他の追随を許さない。
問題は常に心のほうにある。
そしてそのことを誰よりもよく知っているのは彼と魔術的にリンクしているサーニャだった。
「悩み事がるならお聞きしますデスよー」
「いやいや悩み事なんてそんな大層なものでは……」
いいかけてアドラは思い直す。
サーニャはパーティ内でもっとも信用のおける人物だ。
何しろ彼女の生命線である魔力のすべてをアドラが供給しているのだ。生殺与奪の権利を握っている以上裏切りようがない。頼りになるかどうかはともかくとして、心境を吐露して相談するぐらいはいいだろう。
「なるほどなるほど。つまりアドラ様はアタシたちの中に裏切り者がいるんじゃないかと疑っているんデスねー」
「いや、疑ってるってほどでは……サーニャさんはどう思う?」
「勿論いますデスです」
サーニャは涼しい顔でハッキリと断言した。
「こちらの動向まるっとお見通し。身内に間者がいなけりゃありえない事態デス」
「すごいあっさりいうね。おれ結構ショックなんだけど」
「そーデスか? 裏切りなんて魔界では日常茶飯事でしたし、地上もたいして変わりはしないデスかと。どこに住もうがしょせん人は人デスからねー」
冷たく微笑むサーニャにアドラは身震いする。
同じ魔界出身者にこんなことをいうのもあれなのだが……やはりサーニャは住んでる世界が違った。
――生粋の闇の住民だ。
「で、でもさ。汽車での暗殺以降は特に何事もなくここまで来れたじゃない。たまたまってことも大いにありうると思うんだよ」
「ルガウの時もそうでしたが、ターゲットの首を取るなら深夜、それも明け方前の時間を狙うのがベストです。ちょうど今現在のことデスね」
サーニャは『それ』を指さしながらいった。
その言葉にアドラもうなづくしかない。
天候はすでに回復している。
どれほど夜が深かろうと純白の雪に反射された月明かりで丸見えだ。
「お゛……お゛お゛お゛お゛……っ!」
うめき声をあげながらアドラに向かってくる数えきれないほどの群衆。
白目を剥き、口からは涎を垂れ流し、とてもじゃないが正気とは思えない。
当然、無害な一般人であるはずもない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
群衆の中から一人の男が先走り、アドラに向かって飛びかかってきた。
サーニャは魔術で取り寄せた大剣で男を両断する。
「サーニャさん! 殺しはダメっていったじゃないか!」
「大丈夫、すでに死んでますデス。こいつらゾンビですデスよ」
胴体を両断された男はそれでも動きを止めず、上半身だけで地を這いずり回り、アドラの足にしがみついた。
サーニャはアドラが悲鳴をあげるより早くゾンビを躊躇なく踏み潰す。
「こいつらは同類のアタシが処理いたしますのでご安心を。彼らを操るネクロマンサーは……おそらく近くにいませんデスね。ネクロマンサーとしては間違いなくアタシやルーファス様よりも格上。やはり地上は広いデスね。デスが――」
サーニャは剣を大きく振りかぶり、群がるゾンビたちを次々と潰していく。
同じ不死人でも両者には明確な格の違いがあった。
「たとえ術者としては格上だとしても、しょせんはただの人間デス。アドラ様の寵愛を一身に受けたアタシの敵ではないデース」
その言葉通り、サーニャはあれほどの数がいたゾンビをすべて、瞬く間に潰して行動不能な状態にしてしまった。
「アドラ様は裏切り者の存在にお心を砕かれているようデスが、アタシからすればドーデモいい話デス。どこから誰がどのような手で来ようが、すべてこのように叩き潰すのみデスので」
陽が昇る。
地平線の彼方から放たれた光線が積雪を照らし、世界を純白に染め上げる。
「裏切り者も、それを操る教皇も、ただ思い知るだけでしょう。本当の世界の王が誰かということを」
陽光を浴びて微笑むサーニャには先ほどまでの冷たさはなく、アドラが見惚れてしまうほどに美しかった。
だがそれも一瞬だけのこと。すぐにいつものですデス調に戻って潰したゾンビの検分を開始した。
――ありがとう、サーニャさん。
アドラは自分を励ましてくれたサーニャに心から感謝する。
まったくもって彼女のいう通り。裏切り者など関係ないし気にするだけ無駄。降りかかる火の粉はすべて払えばいいだけ。単純明快だ。
「帰ろうかサーニャさん。仲間のところに」
「了解デス。偉大なる我が王よ」
迷いをうち払い、この明け方の空のように気分がスッキリしたアドラは、サーニャを従えて雪の家へと戻っていった。
コソコソする必要などない。
慌てて急ぐ理由もない。
いつも通り陽の下を堂々と歩けばいい。
王の歩く道はすべて王道であるべきなのだから。




