疑惑
船と違いあまり天候に左右されない蒸気機関車の進行速度は素晴らしく、サークレーへはあっという間にたどり着いた。
ルージィに偽造してもらったパスポートを利用して関所を抜けると、待ち受けていたのは閑散とした街の様子だった。
「何なんですかこの寂しい街は。ホントにここってヴァーチェなんですか?」
ヴァーチェといえば人類発祥の地とされる世界第二位の超大国。
ソロネが特殊な事情持ちなので実質的には世界第一位にも関わらずこの寂れよう。アドラとしては少々ガッカリだった。
「サタンにずいぶん削られたとはいえ、それでもヴァーチェは世界最大の土地面積を誇る国だからな。国が広ければ必然こういう場所もある」
アドラの疑問にモモが淡々と答える。
「それはそうかもしれませんが、サークレーは関所のあるホーリ地方の要所じゃないですか。それがこんな廃れてるっておかしいですよ」
「理由は単純明快。オキニスを見てみろ」
モモにいわれてアドラはオキニスのほうに視線を向ける。
「さささささささ、寒いぃ……っ!!」
オキニスは全身をガタガタと震わせて寒さに耐えていた。
アドラはその様を見て何度も首を傾げながら再び視線をモモに戻す。
「それで、理由は何なんですか?」
「あやつが何度も口にしとるだろ。寒いから皆、なかなか外に出てこれないのだ」
――寒い?
アドラは腕を組んで考え込む。
「そもそも『寒い』って何なんですかね?」
「気温や身体全体で感じる温度が適温より低いと感じることよ」
「言葉のニュアンスは何となくわかるんですけど……」
生まれてこのかた『寒い』も『暑い』も感じたことのない男は、外気の変化によって生じる身体への異変についてとてつもなく疎かった。
「つまり人間は平温である36.4℃前後じゃないと外に出たくなくなるんですね」
「……おぬし、その有様でよく妾の防寒着が縫えたな」
「もちろん縫えますよ。防寒着ってカッコよくておれ大好きですし」
防寒着を冬という時節に着るファッションだと考える男は事も無げにいってのけた。
「まったく……鈍感も過ぎれば罪よのぅ」
「そんなこといってるモモさんだって特に寒がってないじゃないですか」
「妾はどうしてもつらい時は魔力で体温調節しとるからな。おぬしも無意識下にやっておるのだろうが」
「だったらオキニスもそうすればいいだけの話じゃないですか」
「誰しもができるわけではない。少なくともレベルの低いそいつには酷な話だわ」
アドラは寒さに凍えるオキニスのところにやってくると肩をポンと叩く。
「強くなれオキニス。おれよりも誰よりも」
「いいからさっさとどっかの店に入れ!!」
南国育ちのオキニスは寒さにひたすら弱かった。
アドラはモモに頼んで防寒着の買える店に連れて行ってもらうことにした。
「あーっ、凍え死ぬかと思ったわ」
ホーリ地方特有の民族衣装に身を包んだオキニスはそこでようやく一息つく。
鳥の羽毛のおかげでめっちゃカッコいい服に仕上がっているなとアドラは感心する。
ただ色合いは白っぽくてどうしても地味に映ってしまう。もうちょっと派手にできないものか。
――やっぱり自分で縫った孔雀柄のコートが一番。市販品はダメだね。
「おいアドラ、おまえ何か店の方に失礼なことを考えてただろ」
「い、いやいやいやいや! そのようなことは決して、決して……っ!」
アドラは嘘が死ぬほど苦手だった。
※
首都グロリアのあるミーザル地方に向かうためには、まずはサークレーを出てヴァリアント高原を西進し、ソロアスター教親勇派の総本山であるヒエロへと向かう必要があった。
距離的にはレーヴェンからサークレーに行くよりも遠く、交通手段を早急に確保しなければならない。
……というわけで、大枚を叩いて買い付けたのがこの『ノゥーメル』という名のよくわからない生物である。
全身毛むくじゃらの豚に似た大型獣。豚とは違って四肢は太く頼もしいが、あまり足が速そうにも思えない。
実際乗ってみるとやはり遅い。いや、決して遅いわけではないが、馬に比べるとどうしても劣る。信じがたい話だがホーリ地方で乗り物といえばこれが一般的らしい。
「もうちょっとマトモな乗り物はなかったんですか?」
「失敬な。足は少々遅いが頑丈で疲れ知らずの優秀な家畜だぞ。ホーリ地方の厳しい環境が生んだ名産のひとつよ。このような生き物、魔界にもおらぬだろう」
「そらいませんよ。魔界に住むには少々軟弱そうですからね」
「ミーザル地方につけばまた汽車が使える。それまでは我慢しておけ」
モモといつも通りのかけあいをしてからアドラたちはヒエロに向けて出発した。
――遅い。
出発して一時間もしない内にアドラはノゥーメルの足の遅さに苛立っていた。
「……走ったほうが絶対早いですよこれ」
「おぬしはな」
モモは心ここに在らずといった感じで淡々としていた。
「モモさんだったら他にもっといい手段があったんじゃないですか?」
「あるが、あえて一般人と同じ移動手段を取った。また暗殺者に狙われるやもしれんのだから目立たぬに越したことはない」
珍しく声色の低いモモをアドラは不可解に思う。
面倒ごとが嫌いな性格なのはよく知っているが、これは面倒を回避するという感じではなくあえて慎重な行動をとっているように見える。結構なことではあるが自信家のモモらしくはない。
「何か悩み事でもあるんですか?」
「あるが、確証がないことは口にしない主義だ」
「そんな寂しいこといわないでくださいよ。おれたちもう仲間じゃないですか。悩みはみんなで分かち合いましょうよ」
「先日の暗殺――こちらの消息がバレるのが早すぎる。わざわざ遠回りして身分を偽装して上陸したにも関わらず汽車に乗ってすぐにバッサリだぞ。最低でもグロリアに到着するまでは持つだろうと考えていた妾の予想をはるかに上回っておる」
アドラが「あっ」と小さな声をあげた。
何やかんやで無事だったのであまり深く考えていなかったのだが、いわれてみれば確かにおかしい。
「なぜこれほどあっさりバレたのか? あらゆる可能性が考えられる。たとえば――」
モモがアドラたちを見回して少し目を凝らす。
「『我らの中に裏切り者の内通者がいる』――とかな」
アドラは恐怖で全身を戦慄かせた。
そんな事は考えたこともない。考えたくもない。
「バカな! ありえませんよ!」
「あくまで可能性の話だといっておる」
「ゼロですよゼロ! もっともありない話です! 滅多なことを口にしないでくださいよモモさん!」
「そういうと思ったわ。だから口にしたくなかったのよ。聞きたくないなら最初から訊くなこのアホンダラ」
モモは前を向くとそれ以上は何もいわずに手綱を操りノゥーメルの足を前に進める。
アドラもまた絶句したまま後に続いた。
地上に出てアドラは他人を疑うことを覚えた。
だが仲間を疑うなど決してどあってはならないことだ。
そんなことをするぐらいなら刺されて死んだほうがマシだとアドラは本気で思う。
だが今の自分の生命はひとりだけのモノではない。
真の勇者ならば最悪の可能性すらも考慮に入れて行動すべきではないだろうか。
――いいや、絶対にありえない!
頭を振ってわずかに浮かんだ邪念を振り払おうとする。
アドラは仲間を心から信じることで今ここにいる。
それが崩れたらもう立ち上がることができない。
信じる。信じきって前に進む。ただそれだけだ。
そう何度も自分にいい聞かせるが、清水に落ちたインクが水面に広がるように、一度生まれた疑念が晴れることは決してなかった。




