ヴァーチェ上陸
モモの言葉通り、ヴァーチェの港町に到着するのにはたっぷり一週間かかった。
地図上ではそこまで遠くはないように思えるのだが、無風の日や逆に大嵐に巻き込まれたりと様々なトラブルが発生し、帆船の不便さを痛感する。もっとも、船上のトラブルはすべて熟練のクルーが対処してくれたのであまり文句はいえないのだが。
普段のアドラなら悠々自適な船旅をのんびり楽しめていたことだろう。だが故郷の件で気に焦りのある今の彼にとって、何もできない時間はやはり苦痛だった。
――舞踏会はまだ先だ。急いだところで意味はない。
そうは思いつつも、その前に何かできることがあるのではないかと考えると、やはり気が気でならない。
アドラがそのような憂鬱な心境に陥っていたのは、船という不安定な場所にいたことが大きい。
だから手続きを終えて上陸した時の解放感はそれはもう計り知れなかった。
「う、うおおおおお……っ!」
初めてヴァーチェの地に立ったアドラは、謎の感動でよくわからないうめき声をあげた。
もともと知らない場所に来ればとりあえず感動しておく男ではあるのだが。
「ここがファル地方の港町レーヴェン! 大国エクスシアとの交易の要! ソロアスター教中道派の総本山イード=アダのお膝元! 名産品はヴァーチェ白ワイン!」
「うるさい。おぬしはおのぼりさんか」
モモが呆れ顔でいうが実際アドラは田舎者である。
ガイドブックで見るのとはまるで違う、本物の感動がここにある――などと知った風な顔でいってみたりもする。
「ファルといえばマリネ! シュメイトク風にいうとお酢の料理ですよね! 行きましょう行きましょう! 腹が減っては戦はできぬといいますし!」
「もちろん行く。行くが……恥ずかしいからもう少しテンションを下げろ」
モモに杖で小突かれてアドラは一時、正気に戻る。
いかんいかん。これでも魔界を救うという崇高な使命を帯びてきているのだから、もっとこう毅然とした態度をとらないと。
……でもまあ、それは首都グロリアにたどり着いてからでいいか。
「その前に土産買いましょうよ! ワインなんかいいんじゃないですか!」
「旅行に来たわけではないのだぞ……といいたいところだが、勿論ワインは買う」
アドラはモモと一緒に土産屋でたっぷり買い物をしてから近場の料理店へとなだれ込んだ。
何もかも忘れて完全に旅行気分である。
「おれ、酒の旨さとかぜんぜんわからないんですけど、なぜかワインだけはすごく好きなんですよ。果物が好きだからですかね。よくわかんないです」
「わかる、わかるぞ。他の酒と違ってワインは酔うことを目的としてはおらぬからな。一種の芸術品よなぁ」
笑いながら店内で土産にするはずのワインを開けて昼間っから飲み始める二人。
ガイアスは物事をあまり深く考えないことに決めたので今回は何もいわず、シルヴェンとサーニャは基本アドラのやることに文句をつけないのでツッコミ役不在である。
「お客様……店内への飲食物の持ち込みは禁止となっております」
なのでお店の店員がツッコミを入れてくれた。
警告を受けたアドラは慌てて謝罪して広げた土産物を全部しまう。
ありがとう店員さん。
「いやぁ、いけないいけない。ちょっとはしゃぎすぎてしまいましたね」
「まったくだ。猛省せい」
――……モモさんだって一緒に飲んでたじゃないですか。
理不尽な叱責を受けるアドラだが、モモの金で買い物をしてるので文句はいえない。
後で換金所でヴァーチェ紙幣を入手しておこう。
「何はともあれ、街は活気に溢れているし食べ物も美味しい。想像してたよりもずっとステキな国で良かったですよ。これについてはネウロイさんの話よりガイドブックの情報のほうが正しかったですね」
「ここは中立地帯で他国との交流の盛んな港町だからな。今後もそのような感想が抱けるならたいしたものだと褒めてやろう」
「脅すのはやめてくださいよもぉ~」
アドラは苦笑いを浮かべながら旅行用のバッグから地図を取り出した。
いつも見ている世界地図ではなくヴァーチェの地図だ。魔界の地図のように地方ごとの詳細な情報が記されているわけではないが、それでもないよりはマシだろう。
「ロードマップだとこの街から汽車に乗ってサークレーという街に向かうのがグロリアへの最短ルートだと書かれていますが、直接グロリアを目指す方法ってないんですかね」
「ない。地方ごとに管轄がまるで違うので必ず関所を通ることになる」
「ソロネだと関所をガン無視して転送魔法陣でひとっ飛びで首都近辺でしたけどね」
「あそこは聖王絶対主義で首都さえ無事ならそれでいいというお国柄だからな。こちらではオーフェリアを入り口とするマド地方以外では転送魔法陣は使えんよ」
早く着いたところで足が止まり、目を付けられやすくなるだけで良いことなど一つもない。ならば旅を楽しむのも経験だとモモはいう。
まったくもってその通りだとアドラは何度も激しく同意した。
「とはいえあまりのんびりしている時間もないのだがな。食事を済ませたら駅へと向かうとするか」
「ちょっと待ってください。それに乗ったらもうファル地方にさよならですか?」
「まあ、そうなるな」
「だったらもう少し街を観て回りましょうよ。次の汽車が発車するまで、まだ時間はあるはずです」
「正論だな。却下する理由がない」
食事を終えると二人は喜び勇んでレーヴェンの街へと繰り出した。
やはりツッコミ不在だが、堪忍袋の尾が切れた者がひとりいた。
オキニスである。
街並みを見てはしゃぐアドラの背後から無言で聖剣を振り下ろす。
いち早く殺気を感じたアドラはその一撃を間一髪、横っ飛びでかわした。
「ちぃっ……あいかわずちょこまかちょこまかとよく避けやがる」
「あっ、危ないなおまえぇぇぇっ! あやうく怪我するところだったじゃないかぁ! 切り傷って結構痛いんだよ? 街中で刃物を振り回すなってお母さんから教わってないのか!?」
「うるせえよ。こっちはてめえを殺るために同行してんだ。いつだって背後から刺してやるつもりだから観光地だって浮かれてんじゃ――うごぉげっ!」
しゃべっている最中にシルヴェンに横から軽く蹴りを入れられた。
聖気で強化されている彼女の一撃は軽いように見えても巨熊の一撃が如く。当然オキニスは耐えきれず、もんどりうって倒れ込んだ。
「私の許可なく抜剣することは赦さないといったはずです」
「うぐぐぐ……いや、だがこれはな……ッ!」
「返事はッ!?」
「……はい。すいませんでした……」
いつの間にか二人の間にはハッキリした上下関係ができあがっていた。
元不良のオキニスがおとなしく従っているところから見て、いい師弟関係が築けているのだろう……たぶん。
「ではアドラ様、さっそくヴァーチェ観光に行きましょうか。ふと思ったのですが、これって新婚旅行みたいなものですよね、うふふ」
「い……いや、やっぱりすぐに駅に向かおう。お土産なら駅前でも買えるしね……」
天使のような悪魔の笑顔を浮かべるシルヴェンを見て急激に熱の冷めたアドラは、崇高なる使命を果たすべく、わき目も振らずに駅へと向かうのだった。




