深淵を覗く者
ルガウの町には火災が起きた際に迅速に対応するための櫓がいくつか設置されている。
その中の一つからガイアスとジャラハの闘いを暢気に観戦する者たちがいた。
「どうですモモさん、貴女から見てガイアスくんの実力のほどは」
ルージィが尋ねると防寒コートを着た桃髪の少女は口の端を邪に歪めて応じる。
「まだまだ未熟。今ようやくスタートラインに立ったといったところか。だがその身の内に眠る魔術の才は凄まじいものがあるな。果たしてどこまで高みに上り詰められるか――将来が実に楽しみだ」
「貴女ほどの大魔導師がそういうなら間違いない。では内定としておきましょうか。歴史に新たな伝説を刻みこむ新・勇者パーティの一員としてね」
――試しにジャラハくんをけしかけてみて本当に良かった。
そういってルージィは櫓の縁に寄りかかりケラケラと笑う。
その様を見たモモは額に手を当てて嘆息した。
「人間観察といえば聞こえはいいが――お主は本当に趣味が悪い」
「それにつきあう貴女も大概でしょう。私だけ悪者にしないでくださいよ」
「否定はしない」
二人は高らかに笑い合った。
多少の見解の相違はあれど結局のところ二人は似た者夫婦なのだ。
「ではそろそろ帰るか。あまりここに留まると蛇王に気取られるかもしれん」
「あ、その前にもうひとつ質問いいですか?」
櫓から降りようとしたモモをルージィが呼び止める。
「なんだ。まだ何かあるのか?」
「ええ。とても重要な質問です。気になって気になって昨日はよく寝付けなかったほどです。ずっと聞きそびれていたのですが、勇気を出して今訊きます」
「お主に睡眠など不要だろうに……で、いったい何なのだ?」
ルージィはモモのコートを指さして、
「その服、暑くないんですか? ここ南国ですよ?」
「暑いに決まっておるわ」
至極真っ当な回答をもらいルージィはまたケラケラと腹を抱えて笑うのだ。
「だったらなんで着てるんですかぁ! さっさと脱げばいいじゃないですかぁ!」
「妾はその時気に入った服を着る主義だ。外の気温は関係ない」
「そんなに気に入りましたか。あの死神が」
「無論。なぜこのような時期にあのような怪物が生まれたのか、それ以上になぜ未だに人の心を保持していられるのか――興味が尽きることはない」
「貴女に見初められるとはこのうえない僥倖……いや不幸かな。夫としては同情すべきか嫉妬すべきかわからないなこりゃあ」
「そこは嘘でも嫉妬していると……」
モモはそこで会話を打ち切り、櫓の下に視線を向けた。
「どうかしましたか?」
「お主とくだらん会話をしているせいで見つかってしまったわ。今から始末してくる」
「えっ、いやちょっと待って――」
ルージィの制止も聞かずにモモは櫓から身投げでもするかのように飛び降りた。
頭から落ちたにも関わらず直前に急速反転し足から着地する。着地時には土煙のひとつすら起きない。
極めて高度な重力制御魔術。
これだけでもそうとう高等な魔術師であることが伺える。
「そこに居るのはわかっておる。間者よ出てこい」
モモが鋭くいうと今やすっかり整備された住宅地の隙間から、男の背丈ほどもある長さの大剣がにょきりと顔を出す。
「私からいわせれば、あなたがたがヴァーチェからの間者なのですがね」
物陰から姿を現したシルヴェン・アーラヤィナは不快感を露わにそういった。
「まあ否定はせん。とはいえ聖王の狗どもにこれ以上嗅ぎ回られるのは迷惑千万。この事は忘れてもらうぞ」
モモの瞳が怪しく光る。
こちらもかなり高度な魔術だ。
その魔力の波長から洗脳魔術の類だとシルヴェンは即座に察する。
「無駄です。その手の小狡い魔術は私にはいっさい効きません」
「それは残念。効けば穏便に済んだものを。だから高レベル勇者は嫌いなのだ」
洗脳魔術をあっさり解いたモモは今度は虚空から杖を取り出した。
シンプルな樫の杖。作られてからかなりの年数が経っているようで、ひどく痛んでいる。
しかし、だからこそシルヴェンは彼女への警戒をますます強める。
古い杖を好んで使う魔術師は熟練の手練れだと相場が決まっているからだ。
どうやら外見通りの年齢ではなさそうだ。
「洗脳魔術が効かぬなら生命活動を停止させるしかあるまいよ」
「やってみるといいですよ。やれるものならね」
シルヴェンも光の巨人に大剣を持たせ戦闘態勢に入る。
可能な限り生け捕りにするつもりではいるが生命の保証をする気もない。
「我が名はシルヴェン。第一級聖騎士序列二位 《巨人》 シルヴェン・アーラヤィナ。誇り高き魔術師ならば、あなたも名乗りなさい」
「ヴァーチェ聖翼教会暗部 《黒死の一三翼》 が一翼。 “深淵を覗く者” モーリス・モリアーティ・マレアニト。気軽にモモと呼んでくれ」
しゃべりながらモモは大規模かつ複雑な魔法陣を組み上げていく。
どのような性質を持つ魔法かまではシルヴェンにはわからない。だがそれでも厄介極まりない代物であるということは予測できた。
「相手にとって不足はなし。いざ尋常に勝負!」
ひさびさのまともな実戦にシルヴェンの胸は躍った。
本国では最早敵なし。本気を出すのは身内との練習試合ぐらい。決して驕っているわけではないが、いささか退屈していたというのも事実。
ヴァーチェ聖翼教会暗部の実力、口先だけではないと思いたいものだ。
 




