帰還
魔王城に帰ってきたアドラを待っていたのはむせかえるような血の臭いだった。
アドラ管轄の第一司令部がもぬけの殻になっている。
すでに掃除されていて室内は綺麗なものだったが、自身が不在の間に何が起きたのか容易に想像できる。
神をも恐れぬ悪逆非道。アドラは耐えきれずにその場で嘔吐した。
「帰ってきてくれて良かったデスデス~☆」
陽気に声をかけてきたのはサーニャ。
大きな台車を手で押している。
台車には薄汚れた布がかけられている。中身は想像したくもない。
「先日はアドラくんを独りで行かせた件で魔王様が激おこプンプン丸で大変だったんデスよ。でもダイジョーブ、明日には全部元通りだから安心してくださいネー」
まるで花のような笑顔だった。
アドラは愛想でも笑う気にはなれない。
「あ、そうそう。さっそく魔王様がお呼びデスよ。床の掃除はアタシに任せて早く行っちゃってください」
ある程度覚悟していた事だったが、それでもアドラは震え上がった。
死ぬほど恐ろしいが逃げ出すわけにもいかない。
だが往生際の悪いアドラは執務室に戻ってから一時間近くも無駄に葛藤した末、非常に重い足取りでしぶしぶ謁見の間に向かった。
※
「此度は勝手な行動をとってしまい誠に申し訳ありませんでしたぁっ!!!」
謁見の間に入ってルーファスの顔を見るとアドラはすぐさま土下座した。
土下座はシュメイトクの文化で最大級の謝罪行為である。
「このような些事、魔王様を煩わせるようなことではないかと愚思いまして、私のほうで処理させていただきました! 何とぞご容赦くださいッッ!!」
これでもアドラは故郷を救うべく死を覚悟して事に臨んでいた。
でもやっぱり命は惜しいので減給程度で勘弁して欲しいと心から願うのだ。
地に頭をすりつけながらアドラは魔王の沙汰を待つ。
「面を上げよ。帰ってきたのであればそれでいい」
ルーファスの口調は思いのほか柔らかかった。
しかし相手は城仕えの配下ですら躊躇なく殺す魔王。
機嫌が良さそうに見えるとはいえ安心はできない。
「アドラよ、シュメイトクでいったい何をしてきた?」
アドラは面を上げて今回の遠征の報告を粛々と行う。
渡された調書を興味なさげに読み流すとルーファスはアドラに訊く。
「なるほど、シュメイトクが冤罪だということはわかった。それで……我が軍にたてついたそのテロリスト、いつこちらに送ってくる?」
アドラの頬を冷たい汗が伝った。
フォメットを魔王軍に引き渡せば確実に殺される。
頭を下げることしかできない情けない自分だが、それだけは何としてでも回避しなければいけない。
「テロリストにつきましてはヴェルバルト国内法にて厳粛に裁くのでご安心ください。シュメイトクは決して魔王軍を裏切りません!」
ようやく腹をくくったアドラは誠心誠意を込めて魔王に訴えかけた。
「……」
ルーファスが少し考え込むような素振りを見せる。
さすがに苦しい言い訳か。
最悪共犯扱いされても仕方がない。
アドラは汗でグッショリ濡れた手を強く握る。
「……まあいい。良きに計らえ」
――おおおっ!
アドラは心の中でガッツポーズをとった。
ルーファスはアドラの予想よりはるかに寛大だった。
感謝のあまり思わず涙ぐんでしまう。
「ヴェルバルトに対する数々の配慮、誠に、誠に、ありがとうございます! 国民を代表して御礼申し上げます!」
「馬鹿をいえ。あんなカビの生えた古国に配慮も忖度もあるものか」
「ご冗談を。シュメイトク王子である私を四天王に迎え入れてくださり、今もこうして進言を受け入れてくれているではないですか」
「家柄など関係ない。我が忖度しているのは貴様個人に対してのみだ」
ルーファスは立ち上がり玉座から降りるとアドラの肩を軽く叩いた。
魔王とは思えぬ気さくな対応にアドラは少し驚く。
「今回は貴様に免じて見逃す。今後も我が右腕として存分に働いてもらうぞ」
言葉の真意がわからない。
わからないがとにかく乗り切った。
ルーファスが去った後アドラは気が抜けてその場に膝を突いた。
「どうやら人質としての価値ぐらいはありそうだ」
謁見の間を去った後、ルーファスはアドラの様子を思いだし独りほくそ笑む。
シュメイトク殲滅はルーファスが直属の部下に与えた密命だった。
あえてそれを撤回するのはアドラが故郷を守るのに必死で動いたからに他ならない。
潰して未練を断つより人質として利用したほうが有効と判断したのだ。
強大な魔力。狡猾な頭脳。尋常ならざる狂気。
そして何より果てなき野心。
魔王ルーファスの謀略はすでにアドラを中心に大きく動き出していた。




