聖王帰還せず
酒場を出たルージィを待ち受けていたのは厳つい鎧を着た聖騎士たちだった。
彼らを率いしは蒼き聖鎧を身に纏う地上最強の勇者エリ。
力強い紫電の眼光が彼を射すくめる。
「ルージィ卿――ヴァーチェ聖翼教会の大物がなぜこんな辺境の孤島に?」
並の者ならば恐れたじろぎ、ろくにものも話せなくなるだろう。
しかしルージィは微塵も臆さず、それどころか腹を抱えて大笑いしてみせた。
「その言葉、そっくりそのまま貴女にお返ししますよ、聖王陛下」
「質問に答えろ。事と次第よっては斬る」
エリは鞘から聖剣を引き抜きルージィの鼻先に向ける。
「人は皆、神の前に平等だ。大物も小物もない。私がどこで何をしていようと私の勝手でしょうに」
「たいした自信だな。この状況下でも自分ならどうにかなると思っているのか」
「人間、勝ち目がまるでないといくらでも開き直れるものですよ。まっ、私は人間ではなく悪魔ですがね」
つまらないジョークを飛ばすルージィに呆れながらエリは剣を鞘に収めた。
仮にも教会の死神と恐れられた男。脅しは無意味のようだ。
「そもそも、なぜわざわざ私を問い詰める必要が? 話ならルガウ王にすべてしましたので、あの方からお聞きすればいい」
「彼は甘っちょろい男だからな。君の手のひらの上ででいいように転がされるのがオチだろう」
「おや聖女のくせに言葉遣いが悪い。彼は甘いんじゃなくて優しいんですよ。アドラ・メノスはこの世の誰よりも優しい悪魔だ」
「まるで彼のすべてをわかったかのような口を利く」
「わかりますよ。彼の縫った防寒着を見ればね」
ルージィが指を鳴らすと、物陰から厚手のコートをきた少女が現れた。
孤児院でエリに抱きついてきた少女だった。
「物には魂が宿り言葉以上に雄弁にその人物を語る。洋服づくりと子供たちに対する深い愛情がなければこれほど丁寧な仕事はできない。あなたもそう思ったからこそ勇者の試練を合格としたのでしょう?」
「貴様ァ! そんな年端もいかぬ少女まで策謀に利用するのかっ!!」
エリの殺気混じりの怒声を能面の顔で受け流すと、ルージィは膝をつき少女の肩を優しく抱いた。
「あなたのおっしゃることの意味がわかりません。先ほどもいいましたが神の御前で人は皆平等。器の大小など何の関係もない。彼女は私の眼であり私は彼女の眼である。ただそれだけのこと。それが我々ヴァーチェの民です」
エリは恐れ知らずの女傑だが、今回ばかりは恐怖を抱いた。
ヴァーチェは確かに全体主義国家だが、それでも彼らの思想は常軌を逸している。
その『眼』は世界中に広がり全人類を監視しているとでもいうのか。
「アドラ・メノスは優しい死神です。我らは彼の力ではなく優しさに惹かれた。そんな彼から優しさを奪うとしたら、それは聖王、きっと貴女しかいない。ですので……くれぐれも御身をお大事に」
「ルージィ卿、あなたはいったい何を……」
「心配せずとも私はただの観客。何も企んでなどいませんよ。ただ観るからには特等席で観たいというだけです。ヴァーチェの民を代表してね」
くつくつと笑いながら去っていくルージィをエリは止めることができなかった。
部下にも彼を追うことを禁じさせる。
教会の死神と呼ばれた大悪魔。その実力は未知数。風の噂では最上級に届くかもしれないとまでいわれている。
迂闊に近づけば返り討ちにされかねない。
「行かせて良かったのですか? あの男は危険だと思われますが」
後ろで控えていたシルヴェンの質問にエリは小さく首を振る。
「しかたなかろう。ヴァーチェ聖翼教会と事は構えられん」
ソロアスター教を国教としているソロネにとってヴァーチェ聖翼教会は決して逆らえない相手。枢機卿ともなればその格は聖王に匹敵するといっても過言ではない。
試しに少々脅してみたものの、あれがエリの権能でできる精一杯だったといえる。
「無論油断はできないが……しばらくは監視をつけて放置だ」
「それしかないですか。では彼の監視には私がつきましょう」
「よろしく頼む」
危険極まりない任務。
任せられるのは妹のシルヴェン以外にいない。
エリは大きく息を吐いてから天を仰ぐ。
「私も長年勇者をやってきたが……悪魔というのは本当にいるんだな」
エリは悪魔と呼ばれる魔族と戦った経験が何度もあるが、彼らのことを本物の悪魔だと感じたことは一度もない。せいぜい魔術に長けた異種族程度の認識だ。アドラに至っては人間より人間らしいといっていい。
だがルージィ・マレアニトは違う。
甘言を弄し人々を堕落させ破滅へと誘う聖書に記される悪魔の概念そのものだ。
心の底から彼のことが恐ろしい。
この悪魔がルガウに居据わるということは、ここで何か恐ろしい災厄が起きる気がしてならないのだ。
「どうやら無理をいっておまえたちについてきて正解だったようだ。私はしばらくルガウに滞在することにする」
「いえさっさと帰ってください」
エリはシルヴェンと見つめ合う。
「教会の大物が島を監視している。これは由々しき事態だ。私が直々に事態を……」
「さっさと帰ってください。我々だけで十分なので。ぶっちゃけ邪魔です」
シルヴェンは真顔でそう告げた。
どうしても自分を排除してアドラと蜜月の時を過ごしたいらしい。
これを受けてエリは意地でも島に残ると心に決めるのだ。
後日――聖王帰還せずの一報を受けた王代理のオズワルドは、自費で修繕した聖王像をまた切り刻んだ。




