第八十話 何が通り過ぎた
Bさんは娘のA美ちゃんを乗せて車を運転していた。
A美ちゃんはまだ2歳で、後部座席に備え付けたチャイルドシートに座っている。
普段は母親にべったりだが今は彼女が仕事中であるため、BさんはA美ちゃんを連れて買い物に向かっているところだった。
その途中にある踏切に差し掛かる。
一時停止してまた出発しようとしたところで警笛が鳴り始めた。
「ありゃ、電車が来るな」
少し残念に思いつつも、Bさんは踏切の手前で停車する。
黙って電車が通り過ぎるのを待っていてもよいが、幼い娘に電車を見せてやるのも一興と考えた。テレビや本で見る電車に興味を持っていたのを思い出した。
体を後ろに向け、後部座席に乗り出して娘に話しかける。
「ほらA美ちゃん、もうすぐ電車が来るんだけど」
ガタン、ガタン。
Bさんが言い終わるよりも早く、電車の通過音がし始めた。
後ろを向いたまま、あれ、もう来てしまったのかと彼は感じた。少し焦る。
「……?」
急いでBさんが前を向き直すと、不思議な光景があった。
電車の通過音だけは聞こえるのに、肝心の電車がそこにいない。
振動も、電車が前を通る際の風の動きも感じられない。
Bさんが右左と見渡しているうちに音は消えた。
「あ、あれ、A美ちゃん、電車来たね、見られたかな?」
Bさんは少し戸惑いながらも再び娘の方を向く。
「うわっ!」
A美ちゃんは白目となり、口から泡を吹いて痙攣していた。
Bさんは慌てる。今すぐに娘を病院に連れて行かねばならない。
しかし遮断機は下りたままである。
「なんだよ、なんだよちくしょう!」
焦るBさんだが、その目の前を電車がガタンガタンと音を立てて通過していった。
では、先ほどの音は何だったのか? 何が通り過ぎたのか? わけがわからない。
急いだBさんによって救急病棟へ連れて行かれたA美ちゃん。幸いなことに異常はなく、当日中に家に帰ることができた。
その時担当した医師によると、何か強いショックを受けて気を失ったのではないかとのことだった。
Bさんが後部座席の方を向いていたときに、A美ちゃんは何を見ていたのだろうか。
電車と同じような音を出す何かが通り過ぎたのか。そして、それには何かが乗っていたのだろうか。全ては闇の中である。




