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第七十四話 復帰がおめでたい

 Gさんは今でこそ精神の均衡を取り戻して社会復帰しているが、かつて死のうと考えていたことがあるという。

 職場での人間関係がうまくいかず、仕事においても自分の力量を越える難度の高い業務や、残業しても終わらないほどの量が課せられていたそうだ。

 精神科に通い始めて数ヶ月、医師に勧められた薬を飲んでも死にたいという気持ちが収まらず、かといって退職しても次の職場でうまくやっていけるかそもそも新しい仕事が見つかるのかという不安ばかりが募っていた。


「自分としても限界で、飛び降りようと思ったんです」


 人生に自分の手で幕を引くことを考え、残業して帰ってからの深夜に探しものを始めた。そしてGさんが選んだのは崖だった。

 そこはいわゆる自殺の名所とは言われておらず、そもそも名のある観光名所というわけでもない。

 ただ、ネット上で飛び降りたら死ねそうな崖を県内で探していて見つけた、というだけだった。

 一人暮らしだったGさんは休日の朝からそこへ赴いた。


「特に身辺整理もせず、とにかくいろいろなことを終わらせようとだけ思っていました」


 晴れた日だった。決行に至るまでのどんよりと暗かった精神状態とは打って変わったような天気。空がGさんの決断を後押ししてくれているのかという思いがした。

 1時間ほど車で走って街から出る。そこからは山道を進んでいき、途中で車を停めた。路上だったが彼には関係なかった。歩きになる。

 道らしい道もないが気合と意思だけで進んでいく。


「こういうときだけはやる気が出るもんだな」


 自分は無気力になってしまったと思っていたが、目的次第ではこうして頑張れるのだ。もっとも仕事で頑張る気はもうないが。あらかじめ周辺の航空写真を印刷して、それを頼りに歩いた。

 そして目的の崖まで辿り着いた。

 落下するとその先は川である。高さは20メートルほどだっただろうか。

 Gさんは切り立った斜面の上から下を見下ろした。


「うわっ」


 高さにたじろぐのはままあることだったが、それだけではなかった。

 一目見て、Gさんが飛び降りをやめようと思った光景が広がっていた。


「何だこれ」


 水面が真っ赤なのである。

 流れがある川でありながら、ちょうどGさんが落下するであろう地点だけの水が真っ赤になっている。

 水中で赤いインクが噴出し続けているかのようだった。


「なんで……? こんなことが、自然に起きるか?」


 一気に飛び降りるまでの流れを想定していたGさんだったが、得体の知れない恐怖を感じて急遽中止にしてしまった。

 あんなところには飛び込みたくない、という直感に従ったのだ。

 帰りの道中、車のハンドルを握る手の震えが止まらなかった。どうしてだろうか。死のうと決めていたのに。


「不気味に思いながら家に帰りました。別の場所を探そうと思ったのですが、なぜか翌日から仕事で悩んでいたのが馬鹿らしくなったのです。上司に話して休職することまで一日で決まりました」


 別の方向に事態が動き出したのだという。

 休職から復帰せずに退職し、Gさんはアルバイトで食いつないでいる。

 しかしあのとき飛び降りなくてよかったと、あの得体の知れない赤い水には感謝しているそうだ。 

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