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いつであろう、以前にも同じような事があった気がするが、それはさておき。
柊協会は特殊な医術の研究機関として非公式ながら円卓会議の直轄組織であり、その拠点も円卓の議場からすぐ近くに設けられている。首都州の役所と役人向け宿舎等が並ぶ区域の一軒の館がそれであると、私も存在だけは知っていた。
彼らは呪医の育成や呪術の継承の他に――シュガルド君の話の中では何か不明な研究も行っているようだが、それもさておくとして――領主からの要請や紹介により呪医の派遣も行っていると聞く。領主お抱えの呪医はもともとその家の子だった場合が多いらしいが、それもやはり柊協会からの派遣という扱いである。
シュクーリ州領主であるレオナルドも、かねてより奥方のために専属の呪医を契約していたが、一向に病状は良くならず、ついに直々に柊協会へと乗り込んだ。そして、死んだはずのシュガルド君とバッタリ再会してしまったらしい。彼の心中お察しする。
「協会のいつものやり方なんだよ。貴族とか金持ちは人の怨みや羨みを集めやすいし、そういう怨嗟に弱い人は災難に遭ったり原因不明の病に罹ったりしやすい。それを払う呪法を禁忌だの口外無用だの言って勿体つけて追加料金を取るってわけ。でもレオナルドには僕のこととか、インソムニアのこととかバレちゃったから」
「イン……」
「もちろん無いよそんなもの。それで協会はレオに生き血を二百、生き胆ならひと切れ五百万セルで提供するって持ち掛けた。ただし研究の一環として。そりゃね、たいして減るもんでもないし、効果があるかどうかも試してみなきゃわからないよ?でも僕は、肉屋の量り売りじゃないっての!」
「待って、シュガルド君。少し気分が……」
「レオの奴もどうかしてるよ!あんな詐欺まがいにあっさり乗っかるなんて!」
―――インソムニア、或いはアンソムニ―。『不眠症』という名の不死の妙薬。
翡翠の魔女が作り皇帝一族に伝えたともいわれるが、皇帝もその一族も、我々領主の御先祖達が討ち滅ぼしたのだから、あくまで伝説上のものに過ぎない。
しかし、それが実在すると信じる者もいる。
我がコーダリー州のポン・ティアック神殿には、帝国以前からの『正しい歴史』であるという『物語』が口伝されている。私も幼い頃から家族で神殿参りに行くと必ず聞かされたもので、老神官の語りは眠気を誘うが、美しい神像を見たさで聞くうちに自然と覚えてしまった。
曰く、毒矢に撃たれ翡翠の魔女に命を救われた人物はその後、老いることも死することも無く、今もなお神聖なる地で世界を見守り続けている。かれこそがインソムニア……『眠らぬ者』であると。
口伝の真偽について問うつもりは無い。歴史は得てして誤伝達や当て推量によりパッチワークされるもので、ときに意図して歪められもする。
シュガルド君の出生について詮索することも、特に意味があるとは思えない。それよりも私は、彼をレオナルドに渡したくなかった。嫉妬、それも正直あるかも知れないけれど、これは直感だ。
「我が家に滞在するのは構わないけれど、相手が柊協会ではすぐに見つかってしまうんじゃないのかい?」
「だからセディに頼むんじゃないか。ほら、初めて会った時と僕がレオに閉め出された時、ドアには鍵が掛かっていたのに君は平然と部屋に入ってきたよね?たぶん結界とか、空間に関与する異能力だと思うけど。――あ、もちろん誰にも言ってないよ?」
「……やっぱり、君にはかなわないな」
彼を世界から隠さなくてはならない。
◇
幸い、城には部屋が余っている。家族の居住する処とはやや離れた、長らく使われていない客間をシュガルド君の為の居室とし、少し手を入れてバスルームとミニバーを造り付けた。狭くなった分は隣室をつなげて補っている。
空間に関与すると彼は言ったが、何というか、この世は幾重もの階層により成り立つようで、物質的に施錠されている部屋であってもより高次の層からなら往来が可能なのだ。かつての私は無意識の辻褄合わせとして物質的な鍵も解除していたため、長くこのことに気付かなかった。
試したことはないが、応用すれば遙か遠方へも瞬時に移動できるだろう。逆に、余人の立ち入りを禁ずるには、高次からの侵入をさえ防げば良い。他者を排除したいという意思、あるいは執念や情念、それら強固なる思念を糸にして織り上げた布で出入り口を覆い隠す、という様な感じだろうか。
ただ、あくまで我流であり未熟であるゆえ、私以外の出入りを禁じることしか出来ず、シュガルド君にとっては軟禁という形にならざるを得ない。メイドを付けることも出来ないので身辺の事は彼自身に任せ、物資の補給などは私が直接行うことになった。
「シリアルと堅パン、ハムにチーズに蜂蜜。いつも聞くけど本当にこれだけでいいのかい?あと適当に選んだ本とボードゲーム」
「いいよ、ゲーム?」
「今日はちょっと暇なんだ。付き合ってもらうよ?ほら、パイとサンドイッチと葡萄酒も」
「ふ〜ん、レオナルドの事?」
「そう」
六か月後の現在、今会期の円卓会議においてレオナルドの議案は承認可決され、シュクーリ州は初の議会民主制自治州となった。
たった二会期という早い決着をみたのには、ひとつに当のシュクーリ公が会議を欠席、州議会が選んだ新たな州の代表者を代理に立てて事実上の交代を済ませてしまったこと。そして、その新しい代表者が貴族出身の高名な歴史学者であり、資質に関して文句の付けようもなかったためであろう。
「とにかくこれで、完全にお別れだ」
「素直じゃないね。最後くらい会いたかったって言ってみなよ」
「そう言う君こそ彼とはどうなんだ?僕はね、それを一回ちゃんと聞きたかったんだ!」
私はレオナルドと一夜限りで別れたことを、既にシュガルド君に話してしてしまっていた。
彼はそれについて良いとも悪いとも言わなかったけれど、彼らの関係だって突然断ち切られたままだったはずだ。
「どうって、剣術大会の夜はレオがセディを誘うっていうから、僕はミウラと約束してたんだけど」
「……」
「レオばっかりずるいよね」
葡萄酒ごときで私は酔って、それ以上は何も聞こえなかった。
妻と家令には一度だけ彼を引き合わせ、私のプライベートを除く全ての事由を明かしている。
今のところ綻びや干渉された気配はないが、素人結界がいつまでもつのか不明であるし、私の死後も代々の当主にはこれを引き継がせ、何らかの方法で結界を維持する必要があるだろう。
彼は世の厄いにして当家の至宝、今後解放されることは無い。