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真夏の蒸し暑く寝苦しい夜、僕はまた夢の中でレオナルドたちの部屋にいた。
あの最初の日以来、ひとの閨房を覗くような真似は誓ってしていないけれど、どうやら今日はそれとは違うようだ。
「公子はかなり良くないみたいだよ。時期が早まるかもしれない」
「……バカ言えよ。一年間ここで大人しくしてられたら、あとは一生遊んで暮らさせるって約束だろ」
シュガルド君の手には毎月届く同じ封蝋の手紙がある。その紋章に見覚えは無かったけれど、おそらくレオナルドの父方の家からのものだろう。
「でもレオナルド、君はその前にさっさと脱走するつもりだったよね?」
「だった。なんもかも俺には無理だってくらい、あのお貴族の爺さんも分かって言ってんだからな」
「大公には子供も孫も他にいるからね。でも公子には君だけだ」
「知るかよ。商家のじいさんの所じゃ息子もヨメも嫁いだ娘もムコも、孫だって十を過ぎたら皆商売を手伝ってたぜ? お貴族様もそうすりゃあいい」
「うーん、それじゃダメってことはないと思うけどね……」
『大公』や『公子』は貴族の間で領主とその子息を呼ぶときに使う、やや古めかしい言い方だ。侯爵位を持つのは各州の領主だけなので『公』だけでも通じる。前から薄々思っていたが、シュガルド君は少なくとも貴族階級の出身なのではないだろうか。
レオナルドは椅子の背もたれを前にしてあごを乗せたお行儀の悪い座り方をして、いつもよりよく喋っている。よほど気心の知れた相手に対するような、くだけた話し方だ。
お家の事情に関する話のようだから、あまり聞くべき事ではないだろう。少し嫌な気分にもなってきたので、僕は立ち去ろうとした。
「どっちにせよご期待には添えねぇな。逃げたりとか、何かやらかすとセドリックの迷惑になるんだろ? つーか、あいつ見てるとさ、ああはなりたくないって思っちまうよ」
………。
平民として育ったレオナルドには解るまい。貴族の、次期領主の矜持など。
僕のような人間がコーダリー家の長子して生まれたのも天の御意志に他ならないのだから、出来る出来ないの話ではない。
祖父が興した数々の公共事業や、父の行う行政改革のような特別な仕事は果たせなくとも、帝国以前より代々守ってきた領地領民、そして世界の柱たる円卓会議の一席を受け継ぎ、子を生して次代へ引き継ぐまでが僕の役目だ。
この運命を、弟妹にも他の誰にも譲るつもりなどない。
姿を現してそう主張したいのを僕は堪えて、その場を離れた。
覗き見していたのは勿論やましいが、それよりも、こうして施錠された部屋に自由に出入りできることを知られるわけにはいかない。それは僕の二つ目にして致命的な欠陥で、発覚すれば次期領主の立場を確実に失う、呪いのようなものだから……。
◇
九月の終わりの三日間、学院では毎年恒例の剣術大会が開催される。
我らが学院は武術に重きを置いていないため、剣術といっても手習い程度、大会といっても実は運動競技の単位認定試験だ。とはいえ全学年混合で初級、中級、上級の三つのクラスに分かれてのトーナメント試合となれば、やはりどうしても盛り上がる。
初日と二日目は初級と中級クラスの試合が、それぞれ運動場と本棟中庭で一斉に行われ、上級クラスが審判を務める。敗退者は順次観戦にまわる寸法だ。
僕は今年中級に上がったものの初戦で負け、編入時はまったくの初心者だったレオナルドがなんと、初級クラス準優勝の快挙を果たした。参加すれば単位の取れる試験ではあるけれど、良い成績であるに越したことはないというものだ。
そして三日目、メインとなる上級クラスの試合はギャラリーひしめく中庭において、ひと試合ずつ行われる。上級クラスのシュガルド君は、午前中の第一試合を余裕で勝ち上がっていた。
「レオナルド、彼は本当に何者なんだ?」
「知らねえ……」
第二試合の相手は僕のルームメイトのミウラ君だ。ミウラ君は兄弟全員が軍務に就いているという武門の出で、昨年三位の優勝候補。でありながら座学も優秀で、卒業後は文官登用試験を受けると聞いている。
さて、どっちを応援しようか、と悩みつつ隣を見ると、寮で寝ていたのを無理矢理引きずり出してきたレオナルドが、そっけない返事をしながらも身を乗り出して試合開始を待っていた。
挨拶の後、剣を合わせて儀礼のように軽く打ち合い、一度離れる。先に仕掛けたのはミウラ君で、両肩、両小手、胴回り、額と、有効部位を的確に突いていくのを、シュガルド君もまた確実に受けて払う。
因みに、有効部位は流派による違いを埋めて判定を明確にするために、学院独自に決められたものだ。各所に防具を着け、木剣を使用することで怪我のなきよう配慮している。
前の試合でシュガルド君は、受けに徹して相手を誘い込み、決着とばかりに振りかぶった相手の小手への一撃で、剣を落とさせての勝利となった。しかしミウラ君は冷静だ。再度離れて間合いを取る。対話に応じる如く、今度はシュガルド君が攻めに転じた。
シュガルド君の流派が何なのかは分からないが、片手と両手、突きと斬撃を流れるように切り替えながら、ミウラ君の鋭い突きも体さばきでスルスルと避ける。ためか、シュガルド君が幾つか有効打を取っているのに対し、ミウラ君はなかなか思うようには決められないでいた。
そして時間いっぱい、判定はシュガルド君に上がった。上級クラスは十五名しかいないので、これで準決勝進出となる。
「続きは昼休みをはさんで午後からだよ。僕はミウラ君を労いに行くけどレオナルドは――」
僕がレオナルドを振り返ったとき、その人物は唐突にそこに現れた。――いや、そのように思えた。
「やあ、次期様。ご健勝そうでなにより」
「ムードローブ先輩……ご無沙汰しています。今日は大会を観に?」
カール・ムードローブは昨年の卒業生で論述クラブの先輩。例の娼館の一件で謹慎処分を受けたうちの一人だった。
「ああ、他の用のついでにね。ところで先程の勝者の主がそちらのお方だと聞いたんだけど、ボクを紹介してもらえないかな」
彼はレオナルドを指さして言う。僕はレオナルドを庇うために一歩前へ出た。
「ええ勿論です。ただ、今は学院行事の途中なので終了後でよろしければ」
「これは失礼。相変わらずきちんとしておられるようで、次期様ともなれば当然なんだろうね」
けれど、不快な態度はやはり僕に向けられたものだった。
「ああ、やっぱり君たちのような上の人のことはボクなんかには理解が及ばないよ。だからこれはボクの意志じゃない」
何やら言いつつ奴が懐から出した物は、銃士隊が装備しているよりもずっと短くて小さい、最新型の拳銃だ。知ってはいたが、すぐにはそれとは認識出来なかった。
ゴツリとした感触が胸に当たって、ぼんやりそれを見ていると、後ろでレオナルドが動く気配がした。
「だめだ、レオ!」
いつの間に来たのかシュガルド君が、僕と奴との間に割り込んで素手でその拳銃を掴んだ。
弾けるような音がして―――
僕はレオナルドに抱えられる格好で地面に座り込んでいた。
前方にはガクガク震えながら汚物を垂れ、やはり座り込んでいる殺人犯。
シュガルド君だけが倒れている。
彼の運動着と中庭の地面が、赤い血液でみるみる染まっていった。