(3)
タウたちが本陣を発つのを、ローは中央棟の二階から眺めていた。イオタがさらわれてあせっているのか、タウは自分の隊を置き去りにする勢いで駆けていく。
ふと気配を感じ、ローは隣に視線を滑らせた。そばに立ったのが同い年の幼なじみ、ティスベ・カロスであるのを見て、また窓外へと目を向ける。
「ロー、後悔してない?」
ティスベの問いかけに、ローは唇をかたく結んだ。
今年は教養学科生も交流戦に参加できるという通知に、周りは大騒ぎだった。普段冒険や戦いとは縁のない生活をしているため、教養学科生たちは先を争うようにして申し込みに行き、今朝も威勢よくレオニス火山へと出発していった。
先ほど、敵を追い払ったという報告が本陣に届き、ローはこぶしを震わせた。本当なら、今頃は自分もレオニス火山で皆と一緒に勝利の雄叫びをあげているはずだったのに。
だがローは参加しなかった。行きたいという気持ちは一瞬高くのぼりつめ、すぐに力をなくして消えていってしまったのだ。
なぜ、と聞かれても答えられない。自分でもわからなかった。タウに不参加の理由を聞かれ、生徒会の仕事が忙しすぎて体調もよくないと言うだけで精一杯だった。タウも不審げだったが、それ以上は追及しなかった。
次々に出陣していく生徒たちを、ローは黙って見送った。自分がいてもいなくても、彼らはとまらない。シータも、ラムダも、イオタも、ミューも、みんなみんな、動き続ける。
きっとタウに話しても理解してもらえないだろう。ファイでさえ、首をかしげるかもしれない。どうして自分が立ちどまっているのか。彼らを追っていかないのか。
ローは小さくため息をつくと、うつむいて額を押さえた。
仲間でいることがつらいと思う日がくるなんて、想像もしていなかった。必死に祈った願いがかなわなかった瞬間のむなしさは、ずっと胸に広がったままで、干上がりもしなければ浸透もしない。
「ロー?」
ふわふわの亜麻色の髪を揺らして、ティスベが顔をのぞき込んでくる。
何度てのひらを開いてみても、そこには何もない。
何もないのだ――。
スクルプトーリス学院までもうすぐというところで、シータたち先鋒隊はラムダの本隊とともに待機していた。今のうちに治療や休憩をすませておこうということになったが、総大将がこんなに早く出てくるのはおかしいとみんな思っているらしく、あちこちで噂話がふくれ上がっていた。
「やはり何かあったと考えるのが妥当だろうな」
槍先の手入れをしながらラムダが言う。レーノスやウィルガと一緒に車座になって腰を下ろしていたシータは、隣のファイを見やった。さすがにかなりの体力を消耗したらしく、進軍がとめられたときは顔色が悪かったが、休憩に入ってすぐ自作の回復薬を飲んだおかげか、今は元気になったようだ。またファイの横に座っているニトルは、左のてのひらをじっと見つめている。
「まさか本陣が落ちたのか?」
「それならタウがここまで来るのはおかしい。総攻撃をしかけられるほどこちらが有利になったか、あるいは」
「出てこなければならない事情ができたか、だな」
そこへ総大将の到着を告げる声が駆けめぐった。ラムダたちが立ち上がると、タウがマントをひるがえしながら大股で歩いてきた。後ろにはバトスがいる。
「タウ、いったい何があったんだ?」
ラムダたちと向き合ったタウは、一度呼吸を整えた。
「イオタがレイブンにさらわれた」
「何だって!?」
「たった五騎で乗り込んできたんだ。戦いらしい戦いになる前にイオタを連れて逃げていった。本陣で俺たちを迎え討つつもりだ」
「どうせ、黄玉の姫を取り戻したければ来いとでも言われたんだろう」
首の後ろ側をかくラムダにタウがうなずく。
「だから見学しておけと言ったんだ」
「バトス、今そんなことをぼやいても仕方ないぞ」
いさめるウィルガの隣にいたレーノスがタウを見た。
「作戦を立て直すか?」
「ああ、ここへ来るまでに少し考えてきた。ラムダ、副隊長を呼んでくれ。すぐに会議に入る」
「わかった」
ラムダが動いたので、シータは遠慮して場を離れた。だが会議が始まってしばらくすると、シータはピュールたち先鋒隊の仲間とともに再び召集された。他にも数人が入れ代わり立ち代わり呼ばれて指示を受けては去っていく。
「お前たちには、これから敵本陣の裏手に向かってもらう」
本隊が敵本陣の正門を攻撃する際、一度風の法専攻生が上空を飛行する。そのとき数人の風の法専攻生がシータたちに合流するので、正門への突撃にあわせて裏門から侵入するようにとのことだった。最初から風の法専攻生を連れて行けないのかとオルニスが質問したが、隠密行動に等しいので空を飛ぶ風の法専攻生がいては目につきやすくなるし、裏手へまわるにはかなり急がなければならないため相乗りも難しいと答えが返された。神法学科生が同行しなければ、敵の罠にかかったときに全滅する可能性は高くなるが、先鋒隊として選ばれたお前たちなら乗り切れるはずとタウに言われ、シータたちは気合を入れた。
先鋒隊は念のためレーノスの隊とウィルガの隊に分けられ、シータとピュールはウィルガの隊に配属された。なぜいつもピュールと一緒なのかとシータがこっそりウィルガに聞くと、二人の攻撃は息があっているからだと微笑まれた。あまり意識していなかったが、シータは自然とピュールのそばで連携して戦っていたらしい。自分から寄っていっているとは考えたくないので、きっと合同研修の影響だろうとシータは思うことにした。
二人の会話が気になったのか、何の話かとピュールが無愛想な顔で尋ねてきた。シータは少しためらってから、自分とピュールがいつも一緒に配属される理由を教えてもらったことを伝えた。息があうなんてあり得ないと怒るか鼻で笑うかだろうと思ったが、ピュールはしばらく黙り込んだ。
「まあ、言われてみれば確かにいつも近くで戦っているよな」
「もしかしてピュールが寄ってきてたの?」
驚くシータに、ピュールは頬を朱に染めて馬鹿を言うなと怒鳴った。
「お前がそばに来るんだろうが」
「私じゃない。絶対あんたでしょ」
口論していた二人がついに取っ組み合いのけんかになりかけたところで、ウィルガが割って入った。
「じゃれあってないで、行くぞ」
「違いますっ」
二人そろってウィルガに反論する。ウィルガは噴き出したが、シータとピュールは互いを見合ってからふんと顔をそらした。
それからスクルプトーリスの裏手に近づくまで、ウィルガの隊の後にレーノスの隊が続く形で先鋒隊はひたすらに馬を駆った。無駄口をたたく者は一人もおらず、あやしい気配を見逃さないよう誰もが周囲に注意していた。
スクルプトーリス学院の法塔が見えたところで、レーノスは隊をとめた。学院は小高い丘の上にあるため、あまり接近しすぎると相手に気づかれてしまう。学院を囲む森に身をひそめ、シータたちは本隊が動くのを待った。
まもなく、正門の方角から風の法専攻部隊が飛来してきた。中心にいるファイが最後に炎の法術で爆発を起こし、それにまぎれて三人がシータたちのほうに降り立った。残りはさらに左右二隊に分かれて再び正門へと戻っていく。自分たちの側にファイが来たことにシータはほっとし、力がわいてきた。ファイからタウの指示を告げられ、シータたちは侵入を開始した。
やはりレイブンは本陣の守りに力を入れていた。途中進攻を妨害する敵はなく、タウたちはついにスクルプトーリス学院の正門前に着いた。
ゲミノールムの総大将の登場に、スクルプトーリス側から野次が投げられる。だがタウは顔色一つ変えず、片手を挙げた。合図を受けてファイたち風の法専攻第一部隊がいっせいにスクルプトーリス学院の上空を渡る。門の内側から風の法専攻部隊に向けていくつもの炎のかたまりが放たれたが、ファイたちは器用にかわしていく。その間にラムダたちが閉められた正門を打ち破り、同時に大地の法専攻部隊によって『盾の法』がかけられた。突入したラムダたちを飲み込もうとした風の渦が、うまい具合に大地の防御にはね返される。遠くで風の法専攻部隊がファイのつくりあげた炎にまぎれるのを見たタウは、全軍を進撃させた。
なだれ込んだゲミノールム軍とスクルプトーリス軍が学院内でぶつかりあう。乱れ飛ぶ金属音、悲鳴、怒号。風の法専攻第二部隊が空から攻撃し、炎の法専攻部隊が『剣の法』を連発して行く中、タウはバトスたちとともにレイブンの待つ闘技場へと突き進んだ。敵はタウだと気づいても武勲をあげることはできなかった。彼らが剣や槍を振るうより先に一閃がひらめき、護符が発動してしまうのだ。
闘技場の二階にいたレイブンは、スクルプトーリスの兵を次々に切り捨てていくタウの雄姿に目を細めた。タウにはかまうなと伝えていたのに、命令に従わない愚か者が何と多いことか。
名誉欲だけで倒せる相手ではない。タウの剣が描く軌跡を眺めるのは楽しいが、このままでは自軍の数がむだに減ってしまう。そこへ、先制攻撃をしかけてきたゲミノールムの風の法専攻第一部隊が戻ってきた。彼らをあおぎ、レイブンは眉をひそめた。行きより数が少ない。二隊に分かれてごまかしたつもりだろうが――しかもやっかいな人間の姿がない。
「タウに群がっている阿呆どもを裏門へ向かわせろ。今の警護数では破られる」
一階へつづく階段を下りるレイブンの命令に、付き添っていた近衛隊長は渋面した。
「それでは敵総大将がすぐにこちらへ乗り込んできてしまいます。たとえ叶わずとも、あちらの体力を削るくらいは役立つはず。そもそも裏門には四神の封印が……」
「あの程度でタウを疲れさせることなどできるものか。先ほどの風の法部隊に『神々の寵児』が混ざっていただろう。戻るときに奴がいなかった。おそらく裏門にゲミノールムの兵が迫っている」
神々の寵児ならすべての法術が使える。わざわざ神法学科生を四人連れてこなくても、一人で事足りるのだ。
裏門からも攻められれば一気に不利になる。理解した近衛隊長から伝令を預った剣専攻生はしかし、闘技場を出ると同時に悲鳴をあげた。戦闘不能状態になった生徒を押しのけて現れた敵先鋒隊に、近衛兵がレイブンをかばって立つ。闘技場内にいた大地の法専攻生が『枷の法』をかけようとしたが、窓から不意に入ってきたファイに気をとられたすきにシータたちに斬りつけられ、護符が光を放った。
ファイは闘技場の隅で封印の法陣に閉じ込められているイオタを見つけると、まずイオタを囲んでいる敵兵を『嵐の法』ではじき飛ばした。そしてすばやく封印を解く。
「助かったわ」
首を左右に傾けて鳴らし、イオタが己の失態を恥じるかのようにため息をつく。そこへ味方の風の法専攻生たちが援護に来た。
「僕はこれからタウの通る道をひらく。それまで――」
「もちろん、もちこたえてみせるわよ。やられたらやり返す。当然でしょ」
イオタの強気な答えにファイは小さくうなずき、窓外へ出ていった。
「さあ、行くわよ」
近くに放り投げられていた自分の杖をつかみ、イオタは風の法専攻生たちを従えて反撃に出た。
人質として連れてきた『黄玉の姫』が法術で暴れはじめたことに、スクルプトーリスの兵たちは慌てたが、レイブンは放っておいた。彼女が派手に動けば動くほど、タウも足を速めるはずだから。それよりもレイブンの感情を刺激したのは、自分を囲む敵先鋒隊の中にいたシータだった。
直接話したことはないが、学院祭でタウの集団にいるのを見かけた。おそらく今年迎えられたのだろう。
タウはいつも自分と話すより仲間を優先する。これまでさんざんタウとの交流を邪魔してきたイオタやラムダたちにも気分を害されていたが、同じ剣専攻生なら、きっとタウに特別目をかけられているに違いない。
実に面白くない。たまりにたまったいらだちをシータにそそぐべく、レイブンはゆっくりと鞘から剣を抜いた。
一方、ファイはタウたちのもとに急いだ。さすがに長時間飛び続けながら戦いに参加しているせいで、ここにきて脱落していく風の法専攻生が増えている。一、二回生がどんどん戦線離脱していく中でニトルは奮闘していたが、上空にいる風の法専攻生が減れば減るほど的として攻撃が集中するために、今はもう防戦しかできない状態だ。
ついにニトルの張った防御壁が薄れはじめた。だが他の風の法専攻生も自分のことで精一杯だ。青ざめたニトルに地上からさらに炎のつぶてが連打され、防御壁が霧散した刹那、ファイの風がニトルを包み守った。
「ファイさん!」
半泣きで喜ぶニトルの隣にきたファイは、斜め下で敵をなぎ払っているタウたちを見やった。
実力差が歴然としているのでタウの身をおびやかすほどに迫る者はいないが、あまりにも数が多すぎる。ラムダやバトスも懸命に武器を振るっているが、タウを討ち取ろうと挑んでくる敵兵は後を絶たず、タウも幾分いらついているようだ。長引けばレイブンとの勝負に影響が出てしまうだろう。
途中で回復薬を飲んだファイでさえ、もう限界の域に達していた。それでも道を切り開くのは今しかない。
「あと一回、『嵐の法』を使える?」
「一回だけなら何とか……」
でもそれ以上は無理ですと、ニトルが涙声で言う。
「十分だ。いくよ」
ファイの言葉にニトルは「はい!」と力強くうなずいた。
「大気を司りし風の神カーフ。我は請う、我に仇なす者どもに疾風の爪牙を!!」
「光と熱を司りし炎の神レオニス。我は請う、先に振るわれし風と結びて、我に仇なす者どもに灼熱の刃を!!」
ニトルの法術にあわせてファイは『剣の法』を口にした。放たれた風と炎は絡み合い、タウと闘技場を結ぶ線上にいた敵をまとめて吹き飛ばした。
タウたちがファイをあおぎみる。力を使いはたして墜落するニトルをかろうじて捕まえたものの、ファイもめまいに襲われてゆるゆると地上へ下りていった。
「ファイ!」
「行って。長くはもたない」
すでにニトルは戦闘不能になっている。敷石にへたり込んで全身で呼吸するファイにタウは口角を上げた。
「感謝する」
「ニトル、後で『レオニスの怒り』をおごってやるからなっ」
バトスが笑ってタウの後を追う。風の波は消滅してしまったが、まだ炎は人が通れるだけの幅を保って燃え盛っている。タウたちが闘技場へ続く炎の道を駆けていくのを見送り、ファイは大きく息をついた。
「からいのが好きなんだ?」
『レオニスの怒り』は大人でもむせて涙ぐむほど激辛の料理だ。尋ねるファイに、ニトルは肩で息をしながら「大好きです!」と笑顔で答えた。
ファイの法衣につけていた護符が発動する。ちょろちょろと地をはう程度に弱まった炎を踏んで敵が再び向かってきたとき、ゲミノールム総大将たちの姿はすでに消えていた。
闘技場内の戦いは時間がたつにつれて激しさを増していた。近衛兵だけあって敵は強い。レーノスやウィルガでさえ手こずる中、シータは自分を執拗に狙うレイブンの剣を、ピュールと一緒に必死に防いでいた。
容姿や身分で総大将に選ばれたわけではない。スクルプトーリス学院の学院祭で一度レイブンの剣技は見ていたが、タウを好敵手だというレイブンの言葉に偽りはなかったとシータは思い知らされた。
頭上では炎と風が何度も衝突しては霧散している。イオタと味方の風の法専攻生が、敵の神法学科生を相手に攻撃と防御を繰り返しているのだ。
近衛兵はレイブンの周囲にいながら絶対に手助けしようとしない。へたに手を出せばかえって邪魔になるからか、あるいは自軍の総大将の実力を疑いもしていないからか。
レイブンの一撃をはね返した手がしびれる。次の一閃をシータは飛びすさってかわした。
「お前、こいつに何をしたんだ!?」
二人がかりでも抑えられないことにピュールも驚惑しているようだ。そのピュールの槍がついに宙を回転して舞い、壁際に落ちた。
「下々の者に『こいつ』呼ばわりされるのは不愉快だ」
衝撃で床に尻をついたピュールにレイブンがとどめを刺そうと剣を振り下ろす。シータは間に滑り込んだものの、レイブンの勢いをとめることはできなかった。
シータの護符が発動する。自分の戦いが終わったことにがっかりしつつも、全力をつくしたため後悔はない。シータはその場に座り込んで大きく息を吐き出すと、先ほどから垂れ続けていた汗を手の甲でぬぐった。
「馬鹿が。人をかばってる場合か」
武器を拾ってきたピュールがシータをにらむ。どうやら槍を取り返す前に近衛兵にやられたらしく、ピュールの胸元の護符も光っていた。
「馬鹿とは何よ」
シータは言い返したものの、すぐに破顔した。結局最後までピュールと協力して戦ったのだ。
どちらがというより、劣勢になったほうにもう一人が援護に入るから、いつのまにか隣にいたのだと今ならわかる。
「ウィルガの言ったとおりだわ。ピュールが一緒だと戦いやすいよ」
戦闘の邪魔にならないよう壁際に移動しながらシータが言うと、ついてきたピュールはふんと鼻を鳴らしてよそを向いた。耳が薄く色づいている。
シータを討ったレイブンは冷静な状態に戻ったらしく、つまらなそうにゲミノールムの先鋒隊を片付けていたが、急にまた浅緋色の瞳が輝いた。
「待ちくたびれたぞ、タウ」
飛び込んできたゲミノールムの総大将ににやりとして剣先を向ける。だがタウの視線はレイブンを素通りした。
「イオタ、どこだ!?」
周囲を見回して攻防中のイオタを目にしたタウは、ようやく頬を少しやわらげた。戦闘不能になっていないことに安心したのだろう。しかし逆にレイブンはあからさまに不機嫌な顔つきになった。
「確かにお前をおびき出すためにさらったが、俺と一戦交えるよりも、あのかわいげのない女のほうが大切だというのか? 気に入らないな」
じりっとにじり寄るレイブンの足元に、炎のかたまりが落下してきた。どうやら今の言葉がイオタに聞こえていたらしい。そこへバトスとラムダが現れた。さらに敵の副大将も追ってきたため、闘技場内は一瞬静まり返った。
剣を構えたままにらみあっていたタウとレイブンがついに動いた。それを合図とばかりに全員が大声をあげて駆けだす。両軍の名高い将が入り乱れての激戦に、戦線離脱した者は巻き添えを食わぬよう端へ逃げた。
総大将同士の一騎打ちには誰も近づかなかった。響く金属音が全然違う。二人の繰り出す技は鋭すぎて、放たれる気に触れるだけで切り裂かれそうだ。レイブンはシータを追い回していたときと同様の執念を目に宿していたが、シータとピュールが二人でもってしてもかなわなかったレイブンを、タウは一人で防ぎ、攻めていた。
「合同演習と全然違う……本調子だとあそこまで強いのか」
隣のピュールが二人の剣技を食い入るように見つめたままつぶやく。また、ゲミノールムの学院祭で代表戦を見学したらしいスクルプトーリス側の生徒たちも、タウの攻めの激しさにざわめいた。
「なあ、あれ……まずいんじゃないか?」
「学院祭ではあんなに弱かったのに」
「レイブン様と同等……いや、向こうのほうが上か?」
そのとき、シータははっとした。何とか敵の神法学科生を撃破したイオタを、敵の一群が囲んだのだ。
「ずいぶんやりたい放題してくれたな。だがもう終わりだ。お前は『戦利品』になるんだよ」
中心の将らしき人物がにやにやしながら目を細める。
「タウは絶対、あんな粘着男になんか負けないわ」
イオタがきっと相手をにらみつける。しかしさすがに連続して法術を使っていたために、イオタも周りの風の法専攻生たちも息切れを起こしている。このままではイオタがやられる。
「だめだ、俺たちはもう参戦できないんだぞっ」
走りかけたシータの腕をピュールがつかんで引き戻す。
「でも――!」
ピュールの手を振りほどこうとして、シータは安堵の笑みを浮かべた。ラムダとバトスがイオタを取り巻く敵兵をなぎ払ったのだ。
「悪いが、お前たちの好きにはさせんぞ」
「この姫様を渡すわけにはいかないんだよ。ここまで来てそんなへまをしたら、うちの総大将にどやされる」
「はっ、守る力がどれだけ残っているんだ? お前たちもすでにへろへろじゃないか」
嘲笑する敵将に対し、イオタが「まさか、私の専攻が何なのか気づいてないなんてことはないわよね」とあきれたさまで言った。
「力と戦の支援者にして荒ぶる炎の神レオニス。王の眷属たる我に与する者たちに覇者の祝福を!!」
イオタが宙に大きく三角形を描く。闘技場一面に広がった『勇みの法』はゲミノールムの生存兵に降りそそぐと同時に、イオタの護符を発動させた。
「イオタ!?」
「お前、何やってんだよっ」
驚いた顔のラムダとバトスに、イオタは壁にもたれて息をついた。
「討たれたんじゃないんだから『戦利品』にはならないでしょ」
「確かに」と二人が納得する。そして皆、気がついた。イオタは自分自身には法術をかけなかったのだ。
「それよりそこの馬鹿男をさっさと倒しちゃってよ。か弱い女生徒を狙って威張ることしかできない無能な卑怯者の顔なんて、これ以上見たくないわ」
「なっ……」
皆の前で容赦なく侮蔑された敵将が、怒りと羞恥に顔を赤らめる。それを横目に「違いない」とバトスが噴き出した。隣で「か弱い……?」と苦笑しながらラムダも槍を構える。
「さあ、我らに祝福を与えてくれた姫君の期待に応えるぞ!」
バトスが味方に声を張り上げる。これ以上足を引っ張らないために、生き残ることを自ら放棄して仲間に力を授けた『黄玉の姫』に、ゲミノールムの戦士たちがいっそう奮起した。
慌てたスクルプトーリスの炎の法専攻生が同じように『勇みの法』をかけたので、両者の戦力は拮抗したが、やはりこの場に『姫』がいるゲミノールムのほうが士気が高まり、スクルプトーリスの兵をどんどん撃破していく。
戦闘不能になった両軍の生徒たちは、今度は中央で続く総大将同士の勝負に応援をそそいだ。タウのほうがやや押しているが、レイブンもまだ踏ん張っている。
「あの総大将、粘るな」
周辺の敵を一掃したらしいオルニスがシータの隣に来た。レイブンと衝突しなかったせいか、オルニスはまだ生きている。そこへプレシオとアルスも現れた。
「何だか面白いことになってるね」
「間に合った……タウさん、すごいな」
目を輝かせる二人に、「セムノテース川はどうなった?」とオルニスが尋ねる。プレシオはアレクトールとともにセムノテース川で戦っていたのだ。
「もちろん、僕たちが勝ったよ。ちょっときわどかったけど」
プレシオの視線が流れた先にはアレクトールがいた。セムノテース川を制した後、アレクトールは生存した生徒を率いてここまで馬を飛ばしてきたらしい。
「アルスって、タウの近衛兵じゃなかった? セムノテース川に行ってたの?」
シータの質問に、「バトスに押しつけられたそうだよ」とプレシオが苦笑する。タウの命令でアレクトールの増援に向かうはずだったバトスが、アルスに自分の兵を預けてタウについていってしまったという。
「本当にバトスは勝手すぎるよ。タウさんと一緒に戦えるって思ったのに」
少し離れた場所でラムダと観戦しているバトスに、アルスが恨みがましいまなざしを送る。尊敬しているタウを護衛する機会を奪われ、アルスは完全にむくれていた。
「まあいいじゃないか。お前が言うように間に合ったんだ」
アルスをなだめたオルニスは、再び総大将戦に視線を戻した。
「やっぱりタウはああじゃないとな」
「視力が回復してよかったね。シータたちのおかげだって?」
プレシオの言葉に、「計画したのはイオタだけど」とシータは答えた。
ラムダと協力してイーオスを倒し、ファイが心臓を取り出して先に野営地に飛び、薬をつくったことを話す。ファイがタウの目を匙でえぐったというところでは、プレシオたちだけでなくそばで聞いていたピュールまでが露骨に顔をしかめた。
「ファイって見かけによらず豪胆だよね」
「治せる自信があったんだろうが……自分がされるとなるとさすがに遠慮したいな」
プレシオとオルニスがため息をついたとき、シータはあっと口を開けた。タウのそばにスクルプトーリスの生き残り兵が迫っていたのだ。
誰も勝負に水を差さないと思い込んでいた。まだ生きているラムダとバトス、アレクトールまでが血相を変えて駆け出したが、敵兵がタウに斬りかかる前に決着がついた。
レイブンの護符がぱっと輝く。その胸元にぴたりと剣先を突き付けたタウは肩で息をしていた。
「敵総大将、タウ・カエリ―が討ち取った!」
一呼吸置いて放たれたタウの宣言に闘技場内が一瞬静まり、わっと大歓声が沸き起こった。
「勝利だ! ゲミノールムの勝利だーっ!!」
結果はあっという間に広まり、闘技場の内外は耳をふさぎたくなるほど騒々しくなった。
目を見開いてかたまっていたレイブンが、やがて悔しげに唇をかんで剣をしまった。そんなレイブンにタウが手を差し出す。かたい握手を交わしたタウは笑みを浮かべて何か言い、レイブンがうなずく。そして健闘をたたえるかのようにレイブンの背中をポンとたたいて離れたタウは、すぐさまイオタのほうへ爪先を向けた。
「イオタ、けがはないか?」
「大丈夫よ。ちょっと疲れたけど」
「……護符が発動してるな」
誰かにやられたのかと、タウが眉をひそめる。
「違うわ。最後にかけた『勇みの法』に自分を含めなかっただけよ」
「ああ、あれはやっぱりお前だったのか」
自分にもたしかに法術の力が届いたと、タウは頬をゆるめた。
「行こう、かちどきだ」
「タウ、怒ってないの?」
誘導するタウと肩を並べたイオタが聞く。なかば強引に参戦したのに、自分のせいでタウが早めに敵本陣に乗り込まざるを得なくなったことを気にしているらしい。
「いいや。我が軍の、勝利の女神の祝福に感謝している。よく頑張ったな」
外はすでにゲミノールムの生徒であふれていた。闘技場からタウたちが出てきたとたん、喜びの雄叫びがあがる。
「勝敗は決まった。我々の勝利だ!!」
タウが剣を高々と空へ突き上げる。さらなる歓喜と万歳の声が何度も響いた。
総大将をたたえる声、黄玉の姫をたたえる声に応えるように、タウがイオタを抱き寄せる。交流戦終了を告げる鐘が鳴り渡る中、イオタはタウの大胆な行動に恥じらったのかもぞもぞと身じろいだ。
「一人で敵陣に囚われて、怖くなかったか?」
視線を皆に向けたまま問うタウに、イオタはかぶりを振った。
「タウが負けるはずがないもの」
「……そうか」
俺は怖かった、とつぶやき一度目を伏せてから、タウはイオタを見た。
「イオタに話があるんだが」
「何?」
「後で……そうだな、交流舞踏会のときに」
赤い瞳を揺らし、タウは微笑した。