第90話 今度こそ
「…………」
黙々と中庭の手入れをしながら、楓也はぼんやりと考える。
あの日、阿岸佳果は傷害事件を起こした。しかしそれは危害を加えようとした不良生徒たちに対する正当防衛であったため、情状酌量の余地ありと認められた。
結果として彼は現在、停学でなく謹慎処分となっている。また夕鈴のほうは特に外傷など無かったそうだが、精神的なショックにより登校は難しい状態だという。
(押垂さん……不良たちが来るとわかったから、ぼくを巻き込まないために飛び出して行ったんだね)
彼女がどのように危機を察知したのかはわからない。ただ、楓也をかばう目的で『ここを動かないで』と制止してくれたのは間違いないだろう。
(阿岸君も、体を張ってあの子を助けに行っていた。それにひきかえ、ぼくは彼の存在にあぐらをかいた挙げ句……動揺を言い訳にして何もしなかった。本当の気持ちに蓋をして、偽って……大切なものを、たくさん失った)
涙がにじむ。矜持、憧憬、愉楽、静穏――多くの感情が灰となり、楓也は己の不甲斐なさに苛立った。視界で小刻みに震えるスコップは、自らの弱さを投影しているようで心底目障りである。彼は唇をかむと、思い切りそれをどこかへ投げ飛ばす。心の均衡を保つには、こうする他なかったのだ。
「ってぇなコラ」
はっとして顔を上げると、そこには二人組みの、三年生と思われる強面の不良生徒らがいた。うち一人がカランと音を立てて転がるスコップを拾い上げ、張りついたような笑顔をこちらに向けてくる。次の瞬間、楓也は自分の額から血が流れていることに気づいた。
「っしゃ命中ぅ~!!」
「――――」
頭が真っ白になる。
今、つよい衝撃が――ああ、スコップを投げ返されたんだ。
あの人、よほど気に障ったんだろうな……って当たり前か。
ぼくが八つ当たりしたせいでこんなことになったんだから。
うん、全面的にこちらが悪い。あやまらなきゃ。
「あの、すみませ」
「お前かぁ、あのアバズレのダチって」
「え」
「俺たち今、絶賛お礼参り中なんだよね。後輩どもが世話になったからよぉ」
勘のよい楓也にはすぐわかった。
この者たちは、例の事件に絡んでいる連中だ。
そして、おぞましい悪意をもってここへ来たことも。
「んでまあ、まずは夕鈴と親しい関係の奴を片っ端から殺ってくことになったんだわ。阿岸佳果は最後にとっとくとして、次のターゲットはお前。ご愁傷さん」
「な、なんで……そんな……」
「あいつ今、家に引きこもってんだろ? 早いとこ引きずり出してちゃんと落とし前つけさせねーとさぁ、こっちが上にどやされてたまんねーんだよ」
「つーかお前、最近よくウワサされてる青波? 三年でも有名だぜ、中庭に爽やかイケメン君がいるってよぉ…………ぺっ、お高くとまりやがって。そういうのマジで虫酸が走んだよ。クソ以下の分際でいっちょ前に息してんじゃねぇっての」
「だはは、まったくだぜ! あ~ダメだお前の顔見てたらすげぇムカついてきちまった。この庭もなんかうざってぇし、今すぐ全部ぶっ壊してやるから待っとけや」
ぶっ壊す? 落とし前? 上にどやされる?
あいつら何を言ってるんだろう。
……いや、呆けている場合じゃない。
あれが常識の通じるような相手に見えるか?
捕まればきっと、半殺しじゃ済まないぞ。
今はとにかく逃げろ。さあ早く!
高速回転する思考と防衛本能に背中を押され、楓也は冷や汗をかきながら逃亡を試みる。だがどういうわけか、足に根が張って頑なに動かない。すくんでいるわけでもないのに、一体なぜ? 彼は鉄塊と化した足を凝視し、今一度こころの声に耳を澄ませる。
……逃げるだって?
ここでぼくが逃げたらどうなる?
……そうだよ、押垂さんが狙われるんだ。
彼女がまた危険な目にあうんだ。
それだけじゃない。
二人で過ごしたこの場所が破壊される。
あの子が楽しいと言ってくれたこの庭が破壊される。
そんなの、そんなの絶対に嫌だ!
だったらぼくがすべきことはひとつじゃないか。
あの日、彼がそうしていたように。
立ち向かうんだ。
あらがって、たたかって、うち克つんだ。
ぼくはきっと阿岸君にはなれない。
でも彼のように真っ直ぐ、つよくあろうとすることはできるはず。
そうだ。
本当の気持ちを殺すために、自分に嘘をつくのではなく。
本当の気持ちを活かすために、自らを騙し通せばいい。
ぼくは今度こそ、大切なものをまもり抜く。
そのためなら、ぼくはぼくを辞めることだって厭わない。
「――上等だ。その"上"にいるゴミ共も含めて、オレが一網打尽にしてやるからよ。せいぜい腹くくってから来いや」
楓也が豹変する。刺すような目つきと、絶対的な威圧感。凄まれただけで皮膚が焼けただれそうな鋭い視線は、およそ堅気とは思えないほどの殺気を帯びていた。
「!? あいつ、なんか急に雰囲気が……」
「あ、あの目……組の兄貴たちと同じだ……! さっきまで縮こまってたのはフェイクか!? なんで一年坊主にこんなやべぇのがいる!?」
うろたえる不良たち。スイッチの入った楓也は誰もが恐れおののくオーラをまとっているが、実際に身体能力が向上しているわけではない。このまま戦わずして場がおさまれば御の字なのだが――やはり思い通りにはいかなかった。
気圧され、後ずさりを強いられた己の醜態が許せなかったらしく、不良の一人が「なめやがって!」と刃渡りが50cmほどもある凶器を取り出してきたのだ。
「これでクソうぜぇ雑草ともども、斬り伏せてやるよ!」
(……正気の沙汰じゃねぇな)
白昼堂々、仮にも学ランを来た高校生が殺人まがいの非行に走っているという状況。これが"上"の指示なのか私情によるものなのかはわからないが、なりふり構わなくなった者ほど恐ろしい存在はいない。不良は振りかぶった凶器を勢いよく下ろしてきた。
(ここまでか)
観念した楓也が覚悟して目をつぶる。ところが、一向に痛みが生じる気配はない。おそるおそる目を開けると、刃はすんでのところで止まっていた。否、止められていた。
「夕鈴のために気張ってくれたのか? ……あんがとな」
白刃取りを成功させ、楓也にお礼を言う金髪の青年。
その背中を見紛うはずもない。彼は、阿岸佳果その人だった。
お読みいただきありがとうございます。
第3話のとき、四行くらいで
描写したところの掘り下げです。
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