第85話 夜のとばり
佳果が神社へ訪れていた頃。
楓也はひとり、冥土の湖畔までやってきていた。現在、目的の湖まであと数キロの地点にある森林地帯に潜伏中だ。アーリアと約束した定期連絡のチャットを打ち終えると、彼は呼吸を整えた。
(ひらすらに暗いな)
この一帯は常夜らしく、ぼやけた月明かりを除いて光源はない。そのうえ例によって強力な魔獣が跋扈しているため、視界の悪い森のなかを闇雲に進むのは非常に危険である。
(まあ隠密の観点から見れば、かえって好都合かもしれないけどね)
クイス時代に愛用していた黒装束を身にまとい、石橋をたたく楓也。この装備は自身の存在感を消すことができる代わりに、防御力が0になるというデメリットがある。元々は劇場で黒衣用に使われる代物なのだが、彼にとっては懐かしき仕事服だ。
(あの頃はまだ押垂さんも……ぼくがもっとしっかりしていたら、違う未来もありえたのかな。……ってダメだダメだ。後悔ばかりじゃ、また阿岸君に笑われちゃう)
アラギで一緒に入った温泉のあたたかさを思い出し、心に勇気の炎をともす。この仕事が終わったら、本当の意味で隠し事はなし――密かなる決意を胸に、彼は湖まであともう少しの地点へと到達した。
(ふう、ラムスを出てからもう数時間。このゲーム、こんな高難度のマップもあったんだね……それにしても、さっきから妙だな)
楓也の隠密は、こちらが先に危険を察知することで無駄な戦闘を避け、適宜迂回や滞留といった選択を行う主導権をにぎり、安全な任務遂行を優先するスタイルだ。よって魔獣を発見すれば、基本的にその場を離れるか息をひそめるかの二択になる。
ただし運わるく複数体に挟まれるような状況に陥った場合のみ、シムルから貰ったブレスレットを装備して、魔除けで切り抜けるかたちとなるのだが――湖に近づけば近づくほど、目に見えてその効果が弱まってきているのだ。ウーはこの場所にある"夜の水月"がフィラクタリウムの対になると言っていたが、まさか。
「グォォオオオオオ!!」
茂みのかげで熟考していた楓也の背後に、突如クマ型の大きな魔獣が現れ咆哮した。ビリビリと鼓膜が振動し、驚きのあまり心臓が飛び出そうになる。
「な、なんでバレたの!?」
案の定、騒ぎを聞きつけた他の魔獣も多数あつまってくる。あわてて装備をもとに戻し距離をとってみるが、既に囲まれてしまっているようだ。
「くっ……あとちょっとなのに、最初からやり直しなんて御免だよ!」
彼は固有スキルの《フォルゲン》を発動させる。しかし魔法が発生することはなく、スキルはそのままクールタイムに入ってしまった。
「なっ……!?」
焦燥感に駆られる。アスターソウルは魂に応じてステータスの伸び方が異なるためプレイヤーごとに得手不得手があるのだが、楓也は知力や魔力の高い魔道士系であるゆえ、魔法が使えないとなると戦略的な幅が一気に狭まってしまうのだ。それを補うために訓練した会心撃の技術も、この状況とロケーションでは満足に発揮することもできない。
「キシャア!!」「ン゛ン゛ン゛!!」
「うわあ!」
泣きっ面に蜂。次々と襲いかかってくる魔獣はすべて、割合ダメージと固定ダメージの複合攻撃を使用するようだ。一撃かすっただけで体力の10%以上が持っていかれた事実に、戦慄が走る。
(レベル差無視ってこういうこと!? こんなのどんなプレイヤーだって……! ま、まずい……このままじゃ落ち――)
「まったく詰めが甘い」
不意に頭上から声がする。
気がつくと、楓也は上空から湖畔の森を見渡していた。
「あなたは……」
「空も飛べないなんて不自由だねぇ、もぷ太くん」
粘りつくような声と黒ずくめの姿。
それは紛うことなき、波來明虎であった。
お読みいただきありがとうございます。
忘れた頃に出てくる明虎さん。
※よろしければ下の★マークを1つでも
押していただけますと励みになります。




