第66話 二つの黒
佳果は淡々と語り始めた。
夕鈴に異変が起こったのは、今から五年ほど前――彼が十二歳の時だった。それは依帖稔之の謀略によって、母親と弟の命が奪われた年のこと。
家族を失って深い絶望のなかに囚われていた彼を助けようと、夕鈴は毎日お見舞いに来てくれていた。しかしその甲斐もむなしく、無気力と自傷のはざまで磨り減り、衰弱してゆく佳果。そんなある日、彼女は「お願いしてきたよ」と言って明るく笑ったそうだ。
「お願い、ですか?」
「ああ。誰に何をお願いしたのかは今でもわからねぇ。だが……」
その日を境に、佳果は重くて仕方のなかった頭が徐々に軽くなるのを実感していった。そして数日も経つと、あれほど苛まれていた鬱症状が、まるで嘘のように回復してしまったのだ。決して心の傷が癒えたわけではなかったが、食事もとれるようになり――この劇的な復調は、彼自身もたいそう驚いたという。
ところが同時に、足しげく通っていた夕鈴の姿が見えなくなっているのにも気づく。"お願い"の意味を含めて違和感をおぼえた佳果は、彼女の家を訪ねるも留守だった。そこからは思い当たる場所を総当りして、最終的に彼女が発見されたのは地元の山深く。しかも滝にうたれていたらしい。
「たきってなに?」
「うーん、崖の上から落ちてくる川とでも言えばいいのかな。この町の近くにも一箇所、観光スポットがあるんだけど」
「おれ、本で見たことあるぜ。確か修行で使われたりもするって書いてあったな」
「滝行のことですわね。……でも、この場合の目的はおそらく」
「アーリアさんの想像どおりだ。俺はあいつに"いったい何してんだ"って聞いた。そしたらよ」
彼女はしぶしぶ、浄化を行っていたと打ち明けた。いわく佳果の苦痛を強制的に半分ほど受け取ったそうで、それがあまりに黒く重いものであったがゆえ、急遽ここまで来たとのことだった。
「どうやらあいつは……俺を助けるために、人から苦痛を受け取れるっつう能力を得ちまったらしい。超感覚はその副産物なんだとさ」
「そんなことが……」
「なあ、その苦痛ってアーリア姉ちゃんがさっき言ってた"黒"と関係あるんじゃないか? そういえば、波來明虎も白黒がうんたらかんたら言ってたけど」
「……ヴェリスちゃんはどう思います?」
「わたしは、夕鈴が受け取ったのは――外側にある黒いもやもやだったんだと思う」
「外側? どういう意味だ?」
「あのね、黒いもやもやは、どんな人でもちょっとずつ持ってるみたいなの。でもそれはあくまでも最初から内側にあるもので……他にも、どこか別の場所から来たもやもやがあるみたいなんだ。わたしがこわいな、嫌だなって感じるのはそっち」
「別の場所……過去の阿岸君は、その外側にある黒モヤがくっついていたと?」
「たぶん」
「……夕鈴ちゃんは浄化を行っていたと説明したんですのよね? つまり彼女には、佳果さんの症状が心理的な原因だけでなく、非科学的な原因にも由来しているのがわかっていた――そして後者が、滝行によって対処できるものであると知っていたことにもなります」
「けど姉ちゃんは元々、普通にお見舞いしてくれてたんだよな? ならそれまではそんな能力、持ってなかったはずじゃ……」
「……要するに、根本にあんのは"お願い"ってわけか。あいつが目覚めたのは俺のせいだが、目覚めさせたやつもいるって考えたほうが自然だろうな。いずれにせよ、そのあたりに詳しそうなチャロは神出鬼没なやつだし、現時点でこれ以上のことはわかりそうにねぇ。ただよ」
佳果がヴェリスの頭に手をぽんと置く。
「受け取る能力にしろ超感覚にしろ、夕鈴がそれで苦しんでいた部分があるのは事実だ。んでお前にも同じ力が宿ってるってんなら……俺は全力でお前を助けるぜ。あの時は外に出られなくなったあいつを励ましに行くことくらいしかできなかったが、今の俺には、制御の足がかりになる奥義もあることだしな」
ニカっと笑う佳果につられて、彼女もにんまりと笑った。見た目の年齢差はあまりなくなっている二人ではあるが、この関係性が失われることは今後もないだろう。
「兄ちゃん、おれも頑張るからそこんとこ忘れんなよ!」
「へっ、頼りにしてるぜシムル」
「えへへ……じゃあ、そろそろ鑑定結果の話に移ろうか」
「ええ。いったん町中に戻って、おやつでも食べながらお話しましょう!」
◇
ログハウスのカフェにてパンケーキを平らげつつ、ヴェリスはそれぞれの魂が発していたあの内なる声について説明した。内容は人によりけりだが、こうしたい、ああしたいという願望がともなっているという共通点がある。
「ふむ……前向きな願望を抱いているのは、みなさん同じなんですのね」
「たしかにネガティブな感じはしねぇな。だが濁っていた部分に願望があったとなると……」
「たとえ善行を介するにしても、成就させるべきなのか、遠ざけるべきなのか判断しかねるね」
「でも普通に考えれば、良いことはどんどんした方がいいと思うけどなぁ。そういうのってお互いに嬉しいし、損もしないじゃん?」
「フフフ。皆様、また子羊モードであらせられるようで」
パーテーションを挟んだ向こうの席から不意に声がかかる。そこに座っていたのは、数時間前に世話になった占い師――和迩零子だった。
お読みいただきありがとうございます。
苦痛を受け取れる能力。
色々と問題はあるのでしょうが、
筆者は昔から欲しいと思っています。
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