第57話 カタルシス
※前話を読み飛ばしたかたは、あとがきの要点をご覧ください。
「本物は初めて見るかい?」
「っ……! 阿岸君、逃げるよ!」
動かない佳果を無理やり引っ張って、楓也が脱出を試みる。しかしここはゲームではなく現実世界。丸腰の男子高校生が、武装した大人から逃れられる道理はない。バァンという音とともに、頭上のつらら石がパラパラと落ちてきた。
「駄目じゃないか。君は見届人なのだから、ちゃんと立ち会わなきゃ」
「ぁ……くっ……」
このまま背を向けていれば、あの男は容赦なく自分たちを撃ってくるだろう。再び威嚇射撃にとどまったとしても、跳弾の危険性がぬぐえない。楓也は手を上げて、ゆっくりと振り返る。
「無抵抗の未成年を相手に、正気の沙汰じゃない……!」
「では、君の言わんとする狂気を生み出したのは誰なのかね? 青臭い稚拙な考えを押しつけるのはやめたまえ」
(くそっ、話にならない……! というか、かなり前に通報したはずなのに警察はまだ来ないの!? このままじゃ阿岸君が殺されて……ぼくが時間を稼がないと!)
楓也は庇うように佳果の前へと立はだかり、稔之へ問う。
「そもそもなんで心中になる? あんたの目的は逆恨みを晴らすことだけのはずだ! 散々ひとを殺しておいて、今さら自分も死のうなんて虫がよすぎる!」
「下手な挑発だねぇ、そんなこともわからないのかい? ……僕の計画は彼が死んだ瞬間に完遂する。つまり、そこでやっと千歳の罪がそそがれるというわけだ。だがいくら穢れが落ちようとも、肝心の彼女はもうこの世にいない――ならばとっとと後を追って、あの世で結ばれる以外に選択肢があるわけないだろう?」
(……この人、本当に気が触れて……!)
「ここはその幕引きにふさわしい場所なのさ。彼女がくれた真の愛を抱きながら、偽りの愛を祓ってあの世へと旅立つ。君はその真実を目に焼きつけ、心に刻み、残った者どもへ伝える努力をすればいい。さあ、青波君……どけ」
「……どかない……」
「なに?」
「阿岸君は……阿岸君は、ぼくが一番こわかった時に駆けつけてくれた! 大切なものを守ってくれた! 罪悪感で押しつぶされそうだった時だって、笑って励ましてくれたんだ!」
「……だから?」
「ぼくはどかない! 殺させやしない!! あんたなんかに負けてたまるか!!」
稔之はため息を吐いて、銃口をこちらへ向ける。
経験したことのない、底なしの悪意が楓也に覆いかぶさる。
本能の警鐘が鳴り響き、全身の震えが止まらない。
雨と汗、涙と尿が彼の心を、感情と理性をグシャグシャにしてゆく。
逃げ出したい。痛いのは嫌だ。死にたくない。
それでも、ここで引いたら彼の隣へ立つことはできないから。
かつて彼がそうしてくれたように、今度は自分が守りとおすのだ。
だから今は、ありったけの魂を――。
「醜い友情だな。……仕方がない、君も一発くらうといい。なあに、急所は外すよう努力するよ。そのままじっとして」
「ぅぅうううぁぁあああああああ!」
「!?」
刹那、稔之が突き飛ばされて地面に倒れこんだ。何が起きたのかわからず視線を戻すと、そこにいたのはめぐるだった。どうやら捨て身で体当たりを敢行したらしい。彼は稔之の手からこぼれ落ちた銃の一つを蹴り飛ばして、力いっぱい叫んだ。
「はぁ……はぁ……楓也くん、佳果くん!! 今のうちに逃げろぉぉお!!」
我に返った楓也は、佳果の手をつかんでとっさに走り出す。
しかし。
「ガキがぁああ!!」
起き上がった稔之はめぐるの顔面を殴り倒し、持っていたもう一つの銃で楓也めがけて発砲した。弾はふくらはぎをかすって、バランスを崩した彼は佳果もとろも転んでしまう。
「く……くぁ……!」
暗くてよく見えないが、あたたかいものが流れだしている感覚がある。苦悶の表情で後ろを確認すると、めぐるは気絶し、稔之が据わった目で銃を構え、こちらへ歩み寄ってきていた。
「……万事休す……かな……」
「――――」
倒れた衝撃により、意識が飛んでまっしろに染まっていた視界が徐々に戻ってくる佳果。彼は目の前で楓也が憔悴し、横たわっている現実に気づいた。そしてぬるぬるする手のひらを見ると、血がべったりとついている。
「ふ……うや……?」
「えへへ、不思議だなぁ……こんなにやばい状況なのに、君が喋るとなんだか大丈夫な気がしてくるよ」
「ふうや……楓也!」
慌てて現状を把握する。迫りくる稔之、倒れためぐる、笑ってうなだれる楓也。
この地獄絵図は、不甲斐ない自分のせいで生まれたものなのだろうか。
否、今はあやまちに苛まれている場合ではない。
佳果は視界のすみに黒い物体をとらえる。それは稔之が持っているものと同じだった。ならばせめて――彼は銃に手を伸ばし、片膝をついたまま両手で構えた。
「!」
「おいセンコー。それ以上ちかづくんじゃねぇ。ちかづいたら撃つ」
「っ……さっきあいつが蹴り飛ばしたのか……! だが思い上がるんじゃないぞ! この距離で、素人の君が正確に急所を撃ち抜けるはずがない。初動の差で返りうちにしてやるだけだ!」
「てめぇは素人じゃねぇってか? なら、確かに分は悪いかもな」
「ふふ、ふふふ……そういうことだ、わかればいいんだよ。僕の死は僕が決めるものであって、君に決められる筋合いはない。……それに君は、そもそも人を撃てるだけの器量なんてないはずじゃないか。なにせ、殺意には捕まらないんだろう?」
「……なあ、一つだけ聞いていいか」
「? ふん、冥土の土産にサービスしてあげるよ」
「てめぇは俺の家族が死んだとき――殺したとき、何を感じた? 何を満たしたんだ?」
「……はあ、揃いも揃って愚問ばかりだ。そんなの決まっているだろう」
「……」
「"愛"さ。僕と千歳さんの、永遠の愛だよ」
「……そうか。もう聞きたいことはねぇ」
ひどく黒ずんだ瞳になった佳果が、引き金にかけた指に力をいれる。すると不意に、手の甲を冷たいものが包み込んだ。すぐに、それは楓也の手であるとわかった。
「楓也……?」
「ごめんね阿岸君。ぼく、君の親友なのに……君を止めてあげられそうにないや」
「……」
「だって君はこんなにも傷ついていて、こんなにも優しいから」
「……」
「――ぼくも背負うよ。大丈夫、君を一人にはしないさ」
「……すまねぇ……ありがとう……」
「ま、待て……一体なにをしようと……!」
覚悟を決めた佳果と楓也。
彼らが引き金をひこうとした、まさにその瞬間である。
空間に勲章のマークが現れ、銃口がそれに触れた。
にわかに投影されたのは、AI――チャロの姿。
夕鈴の顔で悲しそうに微笑む彼女を見て、佳果は思い出した。
『もう二度と、誰かのためにあなた自身を傷つけないで。憎しみに負けないで』
『わたし達、こっちで待ってるから。必ず帰ってきてね』
どこまでも当たり前で、どこまでも有難き約束たちが、彼の瞳に光を灯す。
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よろしければこれからもお見守りいただければ幸いです。
【第56話の要点】
・担任教師である依帖稔之に連れられ、鍾乳洞へ入る佳果。
・奥のほうで“おまもり”を見せられる。
・“おまもり”は自分の母である阿岸千歳から譲り受けた物だという。
・先生の様子が豹変。死んだ母に対する盲目的・一方的な恋慕の情を語りだす。
・次第に、ついぞ想いが通じなかったことに対する恨み辛みをぶつけられる。
・逆恨みの一環で、自分の父親や弟も他殺されていたことが判明。
・先生を動かす謎の声、ならびに先生が動かす謎の勢力が存在することが発覚。
・茫然自失の佳果の前に“真実”を知った楓也が駆けつける。
・現在進行形で、ヴェリスも"黒の侵蝕(精神破壊)"に遭っている模様。
・先生は息子である佳果を殺し、千歳の罪をそそぐ計画を完遂すると表明。
・しかし構えた銃は二丁あり、なぜか片方は先生自身に向けられていた。