第50話 トックン
「! だからあの人、普通では知り得ないような情報まで……!」
「ばあさん、今チャロって言ったよな。あいつ自分のことAIだって言ってたけどよ、元々名前があって、一緒に旅してたってことは……?」
「ええ、あの子はヴェリスちゃんやシムルくんと同じく、ゲーム内にのみ身体を持っている現実世界の魂です。……その在りかたは、以前と大きく変わりましたが」
(在りかた?)
「いずれにせよ、私が現段階でお話しできるのは明虎さんによる超感覚制御の訓練方法だけ――佳果さん、シムルくん。"ウニョウニョ"とは過集中、いわゆるゾーンに入っているときに身体をおおう生命エネルギーのオーラを指すのですが、この場でそれを再現することは可能でしょうか?」
「え! きゅ、急にそんなこと言われてもなぁ……おれは闘技場の時しかやれたことないし」
「無理は百も承知なのですけれど、どうしても必要になってくるものでして。難しい場合は他の手段も検討いたしますが……佳果さんはいかがでしょう?」
「ゾーンか……たぶんあれだろ。俺が使ってる古武術で免許皆伝の奥義になってるテクのことじゃねぇかな。習得すんのにスゲー苦労したが、やれんことはねぇぜ」
「ま、マジかよ兄ちゃん!?」
「阿岸君にそんなトンデモ技術を教えた人はいったい何者なのさ……」
「うふふ、佳果さんには規格外な方が集まりやすいのかしら」
「おお……これは僥倖です。プロのアスリートですら意図的に引き出すのは難しいとされる境地を、まさかその若さで……! ゾーンに入ることができれば、すぐにでも超感覚制御の訓練方法を伝授できますよ」
「そうか。ま、よくわからねぇがヴェリスの将来に必要なことみたいだし、ここはひと肌脱ぐとするぜ!」
「佳果、ありがと」
「おう。ただちょいと時間かかるかもしれねぇから、入るまで適当にしゃべっててくれや」
そう言って佳果は立ち上がり、バルコニーのすみまで行くとシャドーボクシングを始めた。適宜キックも混じるムエタイ式に近い動きだが、前にシムルへ教えた"型"のように、一撃一撃が全力であることに加えて、ペースが異常に速い。
「うわぁ、あんな激しい動き、ぼくだったらすぐ動けなくなっちゃうな……」
「あるいはそこが肝なのかもしれませんわね」
「姉ちゃん、どういう意味?」
「わたくしもあまり詳しくはないのですが、あれは身体に過度な負担をかけることによって変性意識を誘発し、その状態でルーチン――つまりパターン化された行動を繰り返すことで、入る確率を操作しているのではないかと思いますの」
「?? ぜんぜんわからないぞ……」
「……すごい型?」
「あはは、たぶんそういうことだね」
その後、佳果は五分ほどの全力運動を経て無事ゾーンへと至る。成功の印として、ヴェリスの目にはウニョウニョしたものがはっきりと映っていた。佳果本人にも自覚はあるらしく、フットワークを維持したままフルーカへ呼びかける。
「入ったぞ! 次はどうすればいい!?」
「では、そのまま全身の生命エネルギーを均一に保ってください! ヴェリスちゃんは、ウニョウニョの偏りがあったら佳果さんに教えてあげて」
「わかった」
佳果はヴェリスの指示にしたがって、見えないモヤを感覚で均していった。やがてエネルギーの凹凸がなくなると、彼自身に劇的な変化がおとずれる。
「んだ……こりゃあ……」
「どうしたの阿岸君!?」
「いやよぉ、なんつーか……死ぬほど静かなんだ。世界ってこんなにわかりやすかったか? 俺とかお前とか関係ねぇ気がしてきたぞ……まさか奥義の先にこんなもんがあったとは」
「? フルーカさん、なんか支離滅裂みたいですけど、これって大丈夫なんでしょうか……」
「問題ありません。佳果さん、今の感覚を忘れないようにしてください」
「ああ……」
「そしてヴェリスちゃん。佳果さんの瞳と、彼の周りで丸くなっているウニョウニョを同時に見つめてください。意識はからっぽにして、彼のエネルギーにすべてをゆだねる感じで」
「うん」
彼女は言われたとおりに佳果の瞳に焦点を合わせ、周りのモヤとともに全体を見つめてみた。すると、まるで共鳴するかのごとく自分自身の心も凪いでゆくのがわかり、彼の言っていた"静か"の意味が俄然明らかになった。
これは無だ。
無が何かなんて知らないはずなのに、無という表現以外が浮かばない。
これは無だ。
何もないはずの意識には光があって、世界と結ばれているらしい。
これは無だ。
光の向かい側にある暗くて黒いもの、あれはたぶん避けないとダメなやつ。
これは無だ。
そう、自分だけに見えていたものは、きっと魂の脈動で起こった波――。
ヴェリスの瞳が宇宙のように変化する。それを見て楓也はまっさきに明虎の顔を思い出したが、ここでは口にしなかった。
フルーカはうんうんとうなずき、彼女の頭をなでる。
「ヴェリスちゃん、黒い"もやもや"が見えるかしら?」
「ん」
「あなたはこれから先、それがもっとくっきり見えるようになるの」
「そうなんだ……でもあれ、ちょっと嫌。囲まれた時は、どうしたらいいの?」
「光をたべてみて」
「光をたべる?」
「ええ。お口でたべるんじゃなくて、心でたべるんです」
「……」
彼女は直感的に、自分の意識にある光を佳果のそれと重ねた。すると世界はつながり、たちまち己の魂があつくなって輝きを増してゆくのがわかる。この衣さえあれば、きっと何があっても大丈夫だろう――そう絶対的な安堵を感じていたのも束の間だった。
「だぁ、集中がきれちまったぜ」
佳果のゾーンが終わるのと同時に、ヴェリスも元の状態へ戻ったのだった。
過集中をコントロールできたら
かなり人生が変わってきそうです。
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