第42話 本当の自分
「あ、あんただれ!?」
「そんな些末なことはさておいて――あなた、彼らが憎いですよね?」
「え……」
「彼らはこの村を乗っ取り、皆を奴隷にした。家族は傷つけられ、あなた自身も二度踏みにじられた」
「……ああ」
「これほどの所業を前に、煮え返るはらわたを鎮めるというのは……いかんせん酷な話だと思いますが」
「なにが言いたい」
「彼ら、無防備ですよねぇ。無防備でしょう?」
そう言いながら、黒ずくめの男がシムルの肉体側に触れた。すると浮かんでいた自分はそちらに吸い寄せられ、元通り動けるようになる。だが、周囲の時間は止まったままだ。次に男は、警備の者から槍をとりあげてシムルに手渡した。
「これで頭でも心臓でも突けば、時が動き出したあと彼らは死にます」
「…………」
「しかもこの瞬間に起きたことは、何一つとして証拠が残らない。やるならまさに、千載一遇のチャンスです」
「……なんでこんな真似を? あんたも、おれをはめようとしているのか」
「ククク、あるいはそうかもしれません」
「くそっ……なんなんだよ……やっぱりおれは、こういう運命なのか? どうしていつも……」
「悩まれている間に、もう少しお膳立てしておきましょう。国を騙るというのはたいへんリスキーな行為でしてね。彼らに肩入れするような愚かしい陣営など、目下存在しておりません」
「……どういう意味だ?」
「要するに、彼らさえつぶしてしまえば第二第三の悲劇は起こらない――俄然、やる気が出てきたんじゃないですか?」
「なるほど……でも」
「?」
「おれがこいつらを始末したところで、この世からこういう悪意自体がなくなるわけじゃないだろ」
「……ほう」
「兄ちゃんが言ってた。理不尽な世界は、変わることを知らないって。それってつまり、悪意は不変って意味なんだろうと思う。すごく嫌な解釈だけど」
「……続けてください」
「おれは今、こいつらをすぐにでも殺せるよ。だけど、たぶんそれはこいつらと同じ不変の悪意を、おれ自身もまとうことになるんじゃないか? こいつらを殺したら、きっとおれは別の悪意も殺さずにはいられなくなる……でも兄ちゃんは、変わらない土俵でやり合うなとも言ってた。だから……」
「ふむ。ということは、あなたにとって勝たなければならない相手は彼らでなく――あくまでも自分であると?」
「ああ。それにさ。おれにはもう負けられない理由もできちまってるんだ」
「……ヴェリスさんですか」
「そうだ。おれは、おれがそうしてもらったように……これからもあいつを助けられる存在でありたい。だから、二度と負けるわけにはいかない」
「しかし、それは負けた自分を切り捨て、勝った自分を選択することとも言えます。よいのですか? 負けた自分が、本当のあなただったかもしれないのに」
「あんたずいぶん意地の悪いこと言うな……そうじゃなくて、負けた自分がいたから勝てた自分がいるんだ。どちらも本当で、どちらも偽物で……うまく言えないけど、おれたちはそうやって"おれ"になった。そしておれがおれである以上は、もう迷ったりする必要はないのかなって、ちょっとそう思っただけだ」
「……クク……フフ……ハハハ」
「おい、なに笑ってんだよ!」
「いえいえ、楽しいときに笑わないでどうするんですか。そんなことじゃ長生きできませんよ?」
「いやなんの話だよ……」
「さて、あなたの意志はよく理解しました。ならばこれは彼にお返ししましょう」
黒ずくめの男は槍を元の位置に戻した。
そうしてふわりと浮かび上がると、振り向きざまに言い放つ。
「これから時を再開しますが、あなたは依然として窮地のなかにあることをお忘れなく。ただ、結構楽しませてくれましたからね……餞別として、一つ助言をさしあげましょう」
「助言……?」
「一撃もらいなさい。それでは」
「あっ、待って! あんたは一体!?」
シムルの問いに答える間もなく、彼は消えていった。
同時に時が動き出し、眼前の男二人がたじろぐ。
「!? お前、いま膝をついていたはず……」
「くっ、隊長さがってください! 何らかの幻影魔法かもしれません!」
「なに!? ……小僧、こちらの厚意をむげにしたな! この場で切り捨ててやる!」
動揺して武器を構える二人を、不思議なほど冷静に見つめるシムル。
黒ずくめの男は変人極まりなかったが、時を止める絶対的な力を持っているのに、まるで自分を試すかのような問答をするだけして、結局なにもせずに去っていった。彼を信じるわけではないが、もらった助言の向こう側にはきっと、思いもよらない何かが待っているのだろう。そんな予感が、シムルをいつになく強気にさせた。
「切り捨てる……? こんなこども相手に、武器がなきゃ立ち向かえないのかよ?」
「なっ……! き、貴様、本性をあらわしやがったな……!」
「あ、そっか! へなちょこパンチしか打てないからか! うわぁ、すぐに気づいてやれなくてごめんな。威張り散らしてるだけで、本当はクソ雑魚だったんだよな!」
「――どけ、望みどおり殴り殺してやるからよ」
挑発にのった隊長が、感情のままに拳を振るう。それを甘んじて受けたシムルは、扉を突き破って吹き飛んでいった。
「これだけで済むと思うなよ! まだまだ痛めつけて……!?」
壊れた扉から複数の兵士が入り込み、またたく間に二人を取り囲んだ。状況が理解できない隊長は、呆然と自らに突きつけられた剣の刃先を見つめている。
「王国軍だ。現行犯で貴様らを捕縛する。あとの仲間は鉱山だな? これまでの狼藉をふくめ、洗いざらい吐いてもらうから覚悟しておけよ!」
「ば、ばかな……! どうしてここがわかって……!」
大の字で倒れているシムルは、そのやり取りを聞いてくしゃっと笑った。
(ああ、変われてよかった。変わらなくて……本当によかった)
正義と悪意は表裏一体。
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