第350話 結託
長い時を過ごした感覚があるが、アスターソウルではあれからいっさいの時が流れていなかった。帰還した一同は、まだ湯気を立てている零子の料理を見て我にかえる。
「帰ってこれたんですね……」
「ああ。借りができたな、ホウゲンよ」
「借り? ……あの折、魔獣化したおれを正気に戻したのは誰だったか」
「──ふっ。ならば此度で清算、ということにしておこう」
零子を間に挟んで談笑するホウゲンとノースト。ホウゲンの姿は戻っているようだ。しかし、角だけ両側ともに消滅している。頻繁に変わるその風貌に、佳果は思わず心の中でぽつりとこぼした。
(……神も洒落に気を遣ったりするのか? だったらアーリアさんや楓也とは気が合うかも──)
「……やれやれ、俗きわまりない発想だな。だがまあ、なすべきをなすために目眩まししているという意味ではさして変わらんか」
彼が腕を組むと同時に、今しがたの掛けあいと“目眩まし”の意味が直接、全員の脳に伝えられる。どうやらホウゲンは、陽だまりの風が力を合わせてやっと成し遂げた情報の一斉共有を、息をするのと同じくらい容易におこなえるようだ。
「これが神業……」
「なるほど、この御力をもって、共有の続きをやっていただけるわけじゃな」
楓也とガウラが興味深そうにホウゲンを見る。いっぽうシムルは、ほんの少し前までシリアスモードだった兄の妙なモノローグに苦笑しつつも、今しがた伝わってきた目眩ましの意味を咀嚼した。
──これまで、角の生えた神霊には三柱ほど出会ったことがある。目の前の二柱以外だと、明虎に協力している牛頭天王ゾグだ。彼らに共通しているのは、他の神仏とは異なり、こうしてアスターソウル内に顕現できる点であるが、そこには“灰色”が関わっている。灰色とは、以前チャロが夕鈴の過去の記憶を話してくれたときに教わった“誠神と魔神の間に位置する波動を持つ存在で、黒に対して斥力を受けづらい”という特性のことを指しており、その特性を成り立たせている証が角、ということらしい。
角は自身の周波数を4次元以下の低度に合わせるための共振器官で、これを持つ神仏は一帯を次元上昇させずとも、本霊で下位次元に顕現できる。ただし、現在ホウゲンは他の宇宙にかかる勢力に目をつけられているため、意図的に角を消すことによって、敵方に居場所を悟られないようにしているそうだ。
「特異点に視られた瞬間は、奴らに気取られたのかと肝を冷やした。しかし角を消している以上、我が魔剣を媒介に直接、誰かが信号を寄越しているのだとすぐに考え直してな。ノーストでないとすれば、残る候補は一人だけだった」
(それが、わたし……)
「とはいえ、おれが元居た場所──黄泉比良坂からあの次元へ飛ぶには結局、位相を探るのに角を生やす必要があった。ゆえにいかんせん逆探知の危険がともなう博打にはなってしまったが……結果、奴らの切り札と思しき衛星をこちらの手駒に加えられた成果はすこぶる大きい。釣りとしては十分といえよう」
「確かに……まだ詳しい使用条件などはわかっていませんが、先の力を阿岸佳果がうまく扱うことができれば、ここから盤面をひっくり返すこともできるでしょう。しかし、相手は文字どおり規格外です。あなたの移動経路が実際に逆探知されていて、次の作戦に組み込まれる可能性は非常に高いかと存じます」
「ああ。よって、しばらく黄泉比良坂には戻らぬつもりだ。その間、“呪い”の研究はとどこおるが……背に腹は代えられん」
「──先刻の次元については既に閉鎖済みゆえ、割り出されたとて悪影響はなかろう。そして角を消している今、ここが突き止められる心配はない。……うぬが言うように、黄泉比良坂にさえ迂闊に近づかなければ当面、問題ないだろう。なに、多少足踏みしようとも勝機は吾らにある。焦らずまいるとしよう」
ノーストの言葉に、ホウゲンとチャロがうなずく。──ここからが本題だ。
◇
「では、質疑応答の形式でいきましょうか。おのおの何か疑問があれば、ホウゲンさんに」
楓也の一声を皮切りに、もろもろの答え合わせが始まる。
最初はシムルが手を挙げた。
「単刀直入に聞きます。幼い頃のおれたちが、あの神社で黒い光を浴びたとき……禍津神様はどこに?」
「……」
「当時、留守だったことは察しております。御祭神だと伺いましたが……もしかして、単にあの時はまだそうじゃなかったとか」
「……違うな。結論から言うと、深手を負って天界で治療していた」
「!?」
「例の大則に抵触するためここでは仔細を割愛させてもらうが、要するに、手薄になっていたところをまんまと出し抜かれたのだ。あれのせいで、どれだけの因果が狂ったことか……」
「……それはやっぱり、おれが死んだ本当の理由とも?」
「ああ、繋がっている。しかし当然それだけにはとどまらない。現在の時間軸における数多の理不尽は、おしなべてあれを分岐点としている」
「……」
「おれたちはつい最近まで、その元凶が暗黒神であると錯覚させられていたのだが。お前たちがアパダムーラを退けた後、真相は別にあるのだとようやく認識できた」
「真相……別の宇宙の存在か。しかし、錯覚させられてたってのは?」
「おれたちよりも上の次元にいる神々。とりわけ創造神と暗黒神が、そうなるように仕向けていたと考えられる。……これだけ聞くと、誰に責があるのか混乱するだろうな。ただ、上の目的を知れば見えてくるものはある」
「上の目的……」
「──さっき兄ちゃん自身も言ってたけど、別の宇宙による謀略は魔神側にとって“沐雨”だったんだよね? で、彼らのトップは“安寧”を望んでいた」
「ということは、表向きは対立しているように見えますけれども……最終的に目指しているのは誠神側と同じ、調和の方向だったと考えるべきですわね」
「なるほど。つまりこの星の神々は、別の宇宙から飛来する呪いへの対抗手段を得るために動いてきた、ということでしょうか……?」
この推測が正しければ、ホウゲン──否、彼だけではない。おそらく黒龍や世界悪意、太陽神すらも“錯覚”のなかで足掻いていたことになるだろう。
零子の問いかけに対し、ホウゲンは直接うなずかず、別の切り口で返答した。
「……知ってのとおり、呪いは相互不干渉の厄介な性質を持っている。ゆえに一度はその機微を見抜けず、不覚を取ったことがあった」
「それが先ほどおっしゃっていた深手の理由、ですか」
シムルがそう尋ねると、彼は目を伏せ、今度は静かに首肯する。
「まだお前たちが生まれる前の話だ。……思えばあれも布石のひとつだったのだろうな。当時からおれは、その件を“魔神どもが灰色にも通用する新たなエネルギーを創造し、愛の誘発のためにやったことである”と思い込んでいた。なぜなら魂魄に受けた損傷に斥力の影響が認められた──あくまでこの星の理に則った“毒”が仕込まれていたからだ。天界での静養で中和できる程度の傷であったことも、その誤認に拍車をかけた。しかし実際のところは……呪いに毒を付与した、一方的にこちらを害することのできる未知のエネルギー。外の理が関係していたとわかった」
「……あんたがその結論に辿り着いたのは……」
「先ほども言ったように、つい最近のことだ。本来ならば、おれの留守を狙ってお前たちが襲われた時点で思い至って然るべきだったのだが……あいにく、黒い光に関する記憶が消し去られていたのはお前たちの頭の中だけではなかったのでな」
「? どういう意味だ」
「この世界そのものの記憶から、まるごと抹消されていたという意味だ。それをやられてしまっては、おれたちとて錯覚から逃れることはできん」
「世界そのものの記憶……ふむ。もしや、わしがウー殿に乗って訪れた“書庫”のことかのう」
「だね! でもあそこは絶対不可侵領域に指定されている。たとえ神々であっても書き換えはできないはずだよ」
「──そう。この宇宙においてあれを改ざんできるのは、生みの親である創造神だけだ。つまり上は、おれたちがこの時間軸に至るよりも前の段階で、呪いと対峙することを忌避していた考えられる。そして何よりも……重要なのは、魔神側がその改ざんを織り込み済みで動いていた節があること。でなければ、配下から“沐雨”などという表現が出てくる道理はない」
「……いよいよ全体図が見えてきた気がします。でも、そうなると……ぼくの見当違いでなければ……」
楓也の視線を受け止め、ホウゲンは断じる。
「安心せよ、おれも同意見だ。──創造神と暗黒神は結託している」
本作における複雑な勢力関係が鮮明になってきました。
上が結託しているということは……?
次話では、その掘り下げと未解消の疑問に触れていきます。
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