第340話 運命共同体
「にゅー……? 楓也、それなあに?」
聞き慣れない単語に、ヴェリスはお椀を持ったまま首をかしげる。
「誰かの行動とか表情を見たとき、それを自分の体験として認識させる脳の神経細胞のことだよ。たとえば……誰かがあくびすると、こっちまでフワ~ってくることあるでしょ? あれも、実はミラーニューロンが働いている証拠なんだ」
「なるほど。つまり共鳴や共感。いわば“心の伝播”を担う細胞というわけじゃな」
「へ~……なんかおもしろいね!」
「そんなもんが頭んなかに……?」
ヴェリスと佳果が感心と関心を示している。
一方、シムルとアーリアはそれぞれ別の視点で今の話を聞いていた。
(脳ってことは、肉体の話だよな。今の兄ちゃんたちは氛体だけど、デバイスを通じてログインして来ているから……アバターで受けた影響が生身に反映されて、それがもう一度こっちに……って感じの仕組みなのかも? でもその場合、半NPC組のおれたちに効果はあるのかな)
(心の伝播を活性化――零子ちゃんが翠瞑草入りの手料理を用意してくださったのは、わたくしたちの心の結びつきを強めようとしているからなのでしょうか。そして、それをふるまうための会場に選ばれたのがこの館。ステージ上にあるのは大きな水晶玉……ふむ)
二人の心の声を聞いたチャロは、食事を続けながら思考する。
(……シムルさんはとうとう、世界の深淵を垣間見てきたようですね。アーリアさんは「あとのこと」を予測し、目前に控えたご親友のお墓参りについて決意をあらたにしている。さらに――)
佳果が煮えきらない態度をしている理由。楓也やヴェリスが控えている“報告”の概要。ガウラとノーストが打ち明けようとしている切実な事情も、彼女には手に取るようにわかった。――いずれも、共有するにはかなり込み入った話だ。
これらをひとつひとつ吟味しようものなら、此度のような場を幾度となく設ける必要があるだろう。しかし、エピストロフ実行の期限はすでに折り返し地点を過ぎている。陽だまりの風にはもう、それほど悠長にしていられる時間はないのだ。だからこそ、今この瞬間を有効活用しなくてはならない。
チャロは隠された零子の目論見に感謝しつつ、司会進行を逡巡している彼女に代わって先陣を切ることにした。
「……どうやらここ最近、皆様の周りで様々なことが起こったようですね。ですがここから先、それ以上の出来事が待ち受けているのは想像にかたくありません」
「? なんだよ、急に」
「阿岸佳果。今わたしたちに必要なのは、お互いの連携を極限まで深めること。そのプロセスを経ずして、陽だまりの風が光の道を進み続けることは難しいでしょう」
(光の……)
自分の胸に手を当てるガウラ。月読命の薫陶を受けた彼は痛感していた。その道はいっさいの舗装がなされておらず、一歩踏み外せば暗闇が大口をあけて待つ断崖絶壁に面していると。しかし頼みの綱となる道しるべ、命綱となる希望は、曇りのない瞳をもって探さねば見つけられない。――自己の内側に宿っている光に気づかねばならない。それにはキッカケと、迎えるための準備。受け入れるための理由として、仲間の存在が不可欠だ。
「ゆえに、ミラーニューロンの活性化が肝要となるのです。……これから零子さんが占術を駆使し、皆様の“経験”をあちらの水晶玉に投影してくださいます。目的はもちろん、直近で得られた情報の超常的な“一斉共有”」
「!? そうなのか、零子さん?」
「……はい。あたし、霊感が上がった影響なのかわかりませんけど、皆様の魂に刻まれている大切な情報の総量とか、複雑さとかが直感的にわかるようになったんです。それで……」
「――その千里眼にも匹敵する能力を使ったところ、吾らはもはや言語化が困難な事象や概念に踏み込まねばならぬ段階に達していた。そういうことであろう?」
ノーストが腕を組んだまま、以前とはどこか異なる静謐な眼差しで確認を取ってくる。零子は覚悟を決めた表情で、彼の言葉に深くうなずいた。思い当たる節のある者は俄然、これが何のための時間なのかを理解する。
「ぜんぶ……さらけ出すってことか」
あごに手を当てて考えるシムル。さきほどクルシェとの邂逅で得たもののうち、どの程度の情報が共有されるのかは未知数だ。中には危険な知識も含まれているため、本来はどこを切り取るか裁量すべきである。殊に――。
(前世に関する話は、兄ちゃんとも深く関わっている。……さっき兄ちゃんは、悩み事を打ち明けるかどうか迷ってるって言ってた。でもこれはそういうのもひっくるめて、“あけすけ”にできるのかっていう問いかけだ)
――当然、佳果に限った話でもない。程度は違えど、おそらく全員が“やさしさ”から何らかの隠し事をしているのは、今までの付き合いを通して互いに承知しているところだ。それを気のおけない家族だからといって、故意に崩せるかを試されているのだとしたら。
(……ぼくはもう、押垂さんへの想いを阿岸君に打ち明けているし、こわいものなんて何もない。今日話そうと思ってたことだって、きっとみんななら受け止めてくれるって信じてる。ただ……他の人がこわいと思っていることを受け止めるのは、また別の勇気が必要だ)
楓也のモノローグを聞き、ちらと周囲を見回すチャロ。アーリアは親友奈波との関係、および彼女が自殺してしまった経緯について。ヴェリスは転生に関する、とある懸念について。ガウラは自らが犯してしまった過ちについて。ノーストはその出自がはらんでいる業について。零子は近い将来、皆を危険な目に遭わせる可能性について――それぞれ、表に出して良いものか今なお思い悩んでいる。
「……」
だが少なくとも、この席を用意した零子自身が“そのつもり”で臨んでいることは確かだ。普段の彼女ならば事前に説明したうえで準備を進めたに違いないが――それではおのおの、思考が感情を上回ると判断したのだろう。だから自他ともに、ぶっつけ本番で選択を迫るこの状況をつくったものと思われる。
こうした零子の決意は、自分たちの受け取りかた次第で「押しつけ」にもなるし、「あと押し」にもなる。ただ、そこに絶対的な信頼と“勇気”があったことだけは、ともに歩んでゆく者として忘れるべきではない。
佳果はふと、錫杖を鳴らし“黒”と対峙する凛とした彼女の背中を思い出した。
「……へっ」
「兄ちゃん?」
「なんつーか、今さらだよなって。……だってそうだろ? 俺たちはとっくに、運命共同体なんだからよ」
自分のほうを見て不敵に笑う佳果に、アーリアは目を大きくあける。それをすぐに微笑へ変えた彼女は嬉しそうに「ええ」とだけ言って、隣にいるヴェリスの頭をなでた。その様子を見てシムルはふうと安堵の息を吐き、楓也とガウラは目配せして小さくうなずく。
「ふっ、是非もないか」
「ではまいりましょう」
ノーストとチャロが立ち上がり、ステージ上にいる零子の両脇に付いて構える。
「え、えっと……?」
「あなたの占術はたいへん素晴らしい技術です。しかし人の身である以上、単に行使しただけでは“精度”に問題がある。――わたしやノーストも補助に入りましょう。本来は神業に等しいのですが、シンギュラリティ上がりのわたしが“演算”をおこない、彼が“本領”を発揮すれば、最適な共有がかなうはずです」
「ああ。禍には最大限、目を光らせておく。うぬは水晶玉に集中せよ」
「っ! は、はい!!」
――今宵、数多の想いがひとつに収束する。陽だまりの風が家族を超え、ソウルメイトを超え、一丸となる瞬間が刻一刻と近づいていた。
魂の距離、壁とどう向き合うか。
いくつになっても悩んでしまいますね。
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