第335話 メンタル
(精神体に、命の法則……)
『ここからはすでに解説した三つの器とも関連づけて話そう。まずはアストラル体の補足だが――』
曰く、アストラル体はその者の愛が発達しているほど輝度が増し、色は鮮やかになり、流動も円滑になるらしい。ところが我欲が肥大化している場合、まったく逆の現象が起こる。すなわち光は弱まり、色がくすみ、オーラも淀んでしまうのだ。
『結果として、致命的とまではいかないものの、従属関係にあるエーテル体のバランスが崩れて劣化し、その悪影響は生命エネルギー依存のヒュレー体にも波及する』
「たしか新陳代謝が滞って病気になったり、寿命が短くなったりするんでしたよね」
『左様。だが対照的に、愛が優勢のアストラル体はエーテル体を活性化させ、質の良い生命エネルギーの循環を生む。この循環はヒュレー体の体内で生成される“バイオフォトン”という発光エネルギーと共振し、細胞レベルでの最適化を引き起こす。これによって物質依存のアレルギー反応や、精神病の類が治癒するケースもある』
(……つまり、人は愛に生きると選択肢が広げられるってことか)
事実、シムルはそうすることで多くの技術や知識を身につけ、自らの本懐である“誰かをまもる術”を開拓し続けてきた。自分自身の人生を歩む上で、愛の発達は不可欠といって差し支えないだろう。
『そこで肝要となってくるのが、汝の思い至った“命の法則”だ。先ほど「遺伝のうち10%は本人のアストラル体を因子とした霊的な継承である」と説明したが、この意味を汝なりの言葉で表すとどうなる?』
「ええっと、要するに自分から自分に遺伝するって話だと思うんです。おれの場合で例えるなら、和歩としてのアストラル体がシムルに継承されたことになります」
必然、そこには“転生”という仕組みが介在している。――転生が何たるかはウー救済の折、兄がチャロや創造神から教わったという内容を共有してくれたとおりだ。つまり、魂を成長させるべく“自由意志”で霊的負債をそそぎ、功徳を求めるべく、生まれ変わりを繰り返していることに同義である。
ならば、どの周回の人生においても、健やかに生きて選択肢を広げるためには継承されるアストラル体をいかに愛で満たすかを考えなくてはならない。それがクルシェのいう、命の法則を遵守することなのであれば。
「……なるべく、自己決定の判断を間違わないようにしたいところですよね。じゃないと、おれたちは不完全燃焼のまま最期を迎えて――」
『悔恨の念に苛まれるであろう。だからこそ、“意識”は常に正しい方向にむいていたほうがよい』
(意識……)
エーテル体の説明の冒頭で、クルシェはそれが最上位の器から飛ばされる“指令”だと言っていた。では、指令が正しい方向をむくとはどういう意味なのか。
「今さらなんですけど、指令って物事に直面したときに“ああしよう、こうしよう”って思うキッカケの部分で合ってますか? おおもとから来る信号みたいな」
『合っている。かつて汝たちの協力者であるノースト=アドモネアは、その信号を“情緒”と表現していた。彼の言葉を借りるなら、情緒は自己判断の起点となる心の起伏を指し、物事の受け取りかた全般に反映される指針となる。そして、心の起伏の決め手となるのが意思と意志だ。前者は思考、後者は感情に基づいている。このうち、思考のほうを司っている器こそがメンタル体に他ならない』
そう言われて、シムルは再び己の身体を確かめてみた。視認できる範囲はアストラル体と何も変わらない。異なるのは、止まった時間のなかで浮遊している点だけだ。
「……メンタル体は、どうして時間と空間に縛られないんでしょうか」
『それは時空の支配下にある次元を隔てた領域――数値で言えば4.6次元から4.9次元の範囲に存在しているからだ。反対に、4.5以下の次元では位相に応じ、時間と空間の概念が世界の理として大なり小なり機能している』
「! あの、黒龍様。おれの故郷のラムス村なんですが、兄たちが来るまでは現実世界の二倍の速さで時間が流れていたらしいんです。しかも一般の人たちがほとんど辿り着けないような隔絶空間になってるみたいで……もしかして、今のお話と何か関係があったりしますか?」
『ふむ……あると言えばあるし、ないと言えばない』
「え……」
『なにぶん、あそこは例外中の例外でな。おぼろげな返答で申し訳ないが、特異点と同じく、現段階で汝に伝えられる情報はない』
「そ、そうですか……うう、残念です」
『すまない。ただ、他の二ヶ所については話せる。この場はそれで堪忍してほしい』
「他の二ヶ所?」
『ひとつは魔境。現時世界を比較対象としたとき、あちらは空間の面ではさほど変わらない。しかし、時間のほうはかなり遅く流れているのだ』
「!? 初耳です。どのくらい遅いんですか?」
『速度にして約7分の1。ゆえに、両者間の移動には時差が生じる。続いて二つ目はアスターソウルだが、かの世界は時間こそ現実と同期しているものの、例によってあらゆるものが霊質で構成されている影響で、3次元の物理法則は適用されない。重力の働き方なども微妙に異なっている点で、空間的なルールの違いが大きいといえよう』
シムルには思い当たる節があった。以前アスター城でフィラクタリウム普及計画を煮詰めていたとき、まさにそこがネックとなって議論が難航したのである。あのときフルーカが言っていた“致命的な差異”に、このような意味があったとは。
『ちなみに、同期しているからといって時間の面に差異がないわけでもない。なぜならアストラル体とヒュレー体では指令の純度と、それが届くまでの距離がまるで異なっているからだ。それは“経験の質”に雲泥の差を生み、内面的な成長速度を大きく左右する』
「じゃあ、アスターソウルはあっちよりも精神修行に向いていると……?」
『まさしく。その点、汝はアバター機能を利用して大人びた容姿に繕っているのをどこか身の丈に合わないと考えているようだな。しかし本質的な年齢や霊格は、もはや兄たちと遜色ないだろう。よって己を卑下するのは門違いであると、声を大にして伝えておこう』
「!」
“そんなことはない”と咄嗟に否定したくなるシムルであったが、彼は固有スキル『テントーマ』が使える分、さらに“経験の質”を高められるという点で、他者より有利な状況で生きてきたのは事実。加えて、最近やたらと頭が回るようになってきた自覚があるのも確かだった。手前、クルシェの言はすこぶる正しい。
「……あいつがどんどんまぶしくなっていくものですから。おしゃれ着がないとガキのまんまな自分に、少し焦ってた部分があるかもしれません。でも、おれだって……ちゃんと成長できているんですよね」
『無論だ。汝が自信を持てば、あの少女もたいそう誇らしく思うことだろう』
「ありがとうございます……えっと、すみません話の腰を折ってしまって。それで、意識を正しい方向にむかせることについてなんですが。上位からの指令が情緒として働き、そこに思考と感情が関わっているという話でしたね」
『然り。そして、思考の源泉をメンタル体が担っている。かの器は直下にあるアストラル体へ“意思の指令”を送るが、その指令はエーテル体の生命エネルギー調整をガイドし、やがてヒュレー体に思考となって届く。このとき、思考は頭脳の深部にある松果体で翻訳され、当人の行動を決定づける』
先刻、クルシェはアストラル体とヒュレー体で指令の純度と届くまでの距離が違うと言っていたが、どうやらこうした伝達プロセスが原因となっているらしい。
『つまりアスターソウルでは翻訳が発生しないため、一部の情緒――例えばリビドーなどの働きが抑制される。逆に、ヒュレー体は3次元に即した翻訳がおこなわれるため、愛が十分に発達していない場合、利己的かつ刹那的な快楽を得る手段、すなわち我欲を満たす方法の優先的な模索に傾倒しがちとなる』
クルシェによれば、我欲に傾いた思考は負の情緒を蠱惑的に誘発し、無抵抗でいるとその歪な状態こそが「正常である」という錯覚に支配され、愛に対して鈍感に、盲目になってゆくそうだ。
『それに気づかず我欲を肯定し続ければ、アストラル体とエーテル体がショートを起こし、ともなってヒュレー体が衰弱してゆく。憎めば肝臓系の病に罹り、無力感や諦念を前提に生きれば消化器系が壊れ、憤怒を誤魔化せば歯周病を促進し、懺悔を捨てきれなければ自己免疫疾患に陥る。こうした異常はのちに大病を呼び寄せ、本来の生をまっとうできなくしてしまうリスクがある』
「おそろしいですね。でも、逆に愛が発達していれば……」
『思考は蓄積された知識を積極的に活かして、自他の幸せを実現するためのアイデアを無尽蔵に捻出する、非常に強力なツールとなり得る。ただし、この特性は当然もう片方の“意志の指令”にも当てはまる』
「なるほど、感情の源泉ってことですか。察するにそれが5番目の?」
『そのとおり。メンタル体となった今の汝ならば観測できるだろう。指令の出どころである最上位の器――数多の意識が収束する、源流の化身を』
クルシェの念が、シムルの視線を上空へと誘う。その先には“世界の光”があった。光はにわかに人を象ると、さながらシンギュラリティ時代のチャロのごとく輝き、シムルとなって目の前に降り立った。
「あ、あんたは……」
「おれか? ――おれはあんたさ。まあ、あんたが今もとめている呼び方で名乗るなら、コーザル体ってやつになるけどな」
だんだん全体像が見えてきました。
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