第333話 エーテル
クルシェによると、肉体が摂った栄養素や熱量から生成される物質エネルギー、ならびに日夜浴びている太陽光や月光に含まれる霊質エネルギーをブレンドしたものをエーテルと呼ぶそうだ。
半霊半物質のエーテルは非常に微妙なバランスで成り立っており、少しでも配合の比率を誤ればエネルギー同士の折り合いがつかず、飽和と臨界を迎えて大変なことになるらしい。
「具体的にはどうなるんですか?」
『端的に言うと、絶命する』
「ぜ……えっ!?」
ぎょっと驚くシムル。しかし、クルシェは声色を変えずに続けた。
『つまりエーテルとは“生命”の維持にあてがわれる精気に相当し、もし過不足があれば死に直結する必要不可欠の代物。よって生きとし生けるものは内外のエネルギーを補給し続けなくてはならない。だが先に述べたように、肝要となるのは配合の比率だ。むやみに補給したところで融和が見込めず、絶命は免れない』
「! じゃあ、エーテル体の役割というのはもしかして」
『うむ。物質と霊質、これら相反するエネルギー同士を黄金比で結びつけ、より高次の波動に昇華する機能。いわば止揚を担っている器といえよう』
空体なくして、生きること能わず――衝撃の事実に、シムルは早くも面食らってしまった。とはいえ、まだまだ腑に落ちない点も多い。例えば、今しがたの説明を踏まえると、エーテル体とは実質的に生命エネルギーそのものであると見做してよいだろう。
(でも、生命エネルギーってコレのことだよな……?)
傍にある“和歩”と自分を交互に見つめ、首をかしげる。魄で再現されたほうは、生前のヒュレー体と同じ外見をしているようだが――彼の疑問符を察知し、クルシェは間髪いれずに補足をおこなった。
『それに関しては、あくまで追体験に即した例外的な顕れ方だったと言っておこう。本来ならば、いま汝が視認しているそちらのほうが正しい』
「あ……そういうことですか。なら、この“透明のモヤ”が……」
シムルは自分自身から立ちのぼる透明のモヤ、エーテル体をまじまじと捕捉した。クルシェと念話している現在、神気纏繞を行使しているためコレが視える。
――視えるがゆえに、新たな疑問が湧く。なぜ、モヤは凹凸だらけなのか。追体験の直前に仄めかされた、“意図的な精神不統一”との関係が気になる。
「……エーテル体って、普段は湯気みたいな感じでホワホワ漂っていますけど、過集中に入っている時なんかはウニョウニョ動きますし、こんな風にデコボコするパターンもありますよね? 追体験で、おれはこの状態こそが霊感の正体だと確信したのですが……実際、どういうカラクリなんでしょうか」
『順に説明しよう。まず、エーテル体は通常“1/fゆらぎ”と呼ばれる不規則ながらも均衡のとれた揺れ方をしている。ところが変性意識――普段とは異なる“指令”が届くようになると、目的に応じて燃焼効率が変化し、揺れ方が変わる』
「燃焼効率……?」
『前提として、エーテルは燃料のようなものと考えてほしい。生きているだけで常に一定量が消費され、それが生命の灯火という霊的な現象に置き換わり、陽炎がモヤに視えているイメージだ。斯様な“霊象”は、指令の内容次第で一時的に燃料コストが増減し、その機微がゆらめきにも反映される仕組みとなっている』
「な、なるほど(現実世界では物が燃えるのに“酸素”が必要だってチャロ姉ちゃんから教わったことがある。その消費量が、意識の種類に応じて変わる感じかな)」
『そして、使用されたエーテルの補填と最適化――これら“生命エネルギーの新陳代謝”ともいうべき大役を同時に務められる能力こそが、さきほど止揚と評した機能。エーテル体の真価といってよいだろう』
曰く、新陳代謝が不十分であれば老化が早まったり、病に冒される確率が上昇し、後天的に寿命が短くなってゆくのだとか。なお、先天的な寿命は個々人で千差万別らしい。
『――さて、次は凹凸の仔細を紐解いてゆこう。その状態の生命エネルギーは“霊媒”と呼ばれ、故意に発生させたわけではない場合、無差別にさまざまな存在と波長を合わせる“霊感”として作用するのは、すでに汝が確信しているとおりだ』
「やっぱりそうなんですね……ちなみに、あの時おれを襲ってきた魔獣みたいなやつらは……?」
『彼らはヒュレー体が朽ち果て、エーテル体のみで黄泉を彷徨う御魂――浮遊霊やモノノケなどを筆頭とする、新陳代謝のできない存在に当たる。得てして、比率の崩れた自身のエーテルを修復すべく物質エネルギーを求めるが、もはや直接の吸収が叶わぬため、霊感のある生者に覆いかぶさり、同調をはかることで渇きを潤す』
「狙われた人が、正常な生命エネルギーを吸い取られるかたちで肩代わりするわけですか……」
『左様。糅てて加えて、彼らは足るを知らない。放置すれば遠からず、生者を死の淵へと引きずり込む。すべからく、霊感のある者は生命エネルギーを均し、これに対処しなければならない。……最悪の場合、肩代わりによって疲弊したエーテル体を目印に魔神が現れ、死よりも重き顛末を強いられるケースもある』
「! ひょっとして、おれが追体験の最後に受けたアレは……」
『斥力の関係で私も全容は把握できていないが、汝の器に何らかの干渉があったのは間違いなかろう。とはいえ、いかなる存在も神々の大則を反故にはできない。破れば必ず、相応の報いを受けることになる。少なくとも汝の母が浄化したあの個体は、今ごろ無明荒野にて全霊を悔い改めているはずだ』
(無明荒野……前に、ラムスで兄ちゃんたちがそんな話をしてたな)
『……しかしながら、あの凶行を止められなかったのは誠神の落ち度でもある。同じ次元にある者として、汝には心から謝罪させていただきたい。当時は力になれず、本当に申し訳なかった』
「い、いえそんな……悪いのは相手のほうですから。それに、おれは“黒”にも存在しなきゃならない理由や都合があるんだって、ちゃんと理解してるつもりです。……正直、一矢報いたいと震えるくらいには酷い目に遭いました。でも、そういう感情に流されてしまったらヴェリスやみんなを守れない。だから今、こうして学びを深めて別の道を模索している手前です。どうか引き続き、ご鞭撻をお願いします」
『――汝は勇敢だな。その光が潰えぬ限り、未来は燦然と輝くだろう。兄もしかり、まこと頼もしい限りだ。やはり必然を勝ち取っただけのことはある』
暗黒神が退いた直後と同じ言葉を並べ、阿岸兄弟を褒めたたえるクルシェ。シムルは照れくさそうに、そして誇らしそうにニカっと笑った。
『よし、では続きとまいろう! 霊感とは逆に、凹凸を故意に生み出す能力がある。私は先んじてこれを“意図的な精神不統一”と形容したが、正式には“零感”と呼び、レイの表記は零気のそれと一緒だ』
「!」
『知ってのとおり、零感会得の道のりは困難を極める。第一に、ヒュレー体を動かしている顕在意識をゾーン状態――変性意識に移行させなければならない。また、移行の際は汝らがウニョウニョと表現する“生命エネルギーの変調”をきたすゆえ、今度はそれを均一化し、鎮める必要がある』
クルシェが言うには、潜在意識の“指令”を操作できれば、ウニョウニョを鎮められるそうだ。だが潜在意識とは無意識と同義であり、それを感覚的に捉えて操るのは非常に難しいのだという。事実、かつて佳果は超感覚の目を持っているヴェリスの指示を受けることで。シムルは彼の固有スキル“テントーマ”で無意識を引きのばすことで、ようやく制御に成功していた。
『もし生命エネルギーの均一化が成れば、己のなかにある神気との親和性が強まり、万象との一体感が得られることで無我の境地へ突入する。この“精神統一”を経て、第二に要求されるのが神気の顕在化だ。これは愛の光が一定水準に達した折、縁の深い神が情況に応じて許可を与えることで発生する。アスターソウルではSS項目にあるグナの値で許可の判別がつくようになっている』
(縁の深い神、か……おれたち陽だまりの風は全員、太陽神様から許可をもらったから、グナが*になっているんだよな)
『そして精神統一と神気の顕在化をも両立できた場合、それを土台として、護符などの依代を媒介に外部の神気と一方向での同調をはかる“神気廻心”が行使できる。廻心は条件さえ揃えば誰にでも扱える技術だが、その一方で、たとえ媒介がなくともよりひろく外部の神気と双方向で繋がれる“神気纏繞”は、霊感の強い者にしか扱えない。なぜなら、“さまざまな存在と波長を合わせる”感覚を持ち合わせていなければ、接続がうまくいかないからだ』
和歩の場合、生前に飲まされた謎の薬の影響によって霊感が極限まで上昇し、それが転生後のシムルに引き継がれた。彼は仲間たちとの旅路を経て能力を徐々に開花させ、やがて自己の神気に接続を図り、神気纏繞に成功したという経緯がある。
(……もしおれに霊感がなかったら、きっとここまで来ることはできなかった。だから前世で起きた出来事ぜんぶが悲劇だったわけじゃない。でも……)
複雑な表情を浮かべるシムル。この件はいずれ、兄と真剣に語らねばなるまい。
『――第三に、その神気纏繞と霊媒すらも同時に行使し、“精神不統一”という上位の止揚をおこなうこと。以上が零感会得の道のりであり、誇張なく、これほど難しい条件を満たせる者は極少数にとどまる。だが汝は此度、瞑想を通して自力で解に辿り着き、あまつさえ追体験で霊感とはなんたるかを自覚し、見事狭き門を叩いてみせた。もはや当初の目的である“零気纏繞”の真髄は、目と鼻の先といえよう』
やっと零気の語が出てきました。
でもまだあと3つ器の説明が残っているという……。
なるべくコンパクトにおさまるようがんばります。
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