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第332話 五つの器

『……』


 天界の一角いっかくにて。阿岸兄弟の過去を振り返った黒龍クルシェは、自身の役割の一つであるオゾン層の修復作業を並行しつつ、あらためて現在の因果律を俯瞰ふかんしていた。


(かの記録は、直近の神議かみはかりでも議論が尽くされたところだ。黒き光に、佳果少年の“外のちから”。ひいては、彼が一時的に滅びる未来に続く道を歩んでいたという事実――やはり本件に御主おしゅうや暗黒神殿(どの)が関わっていたのは確定的といえる。反面、太陽神(スーリャ)世界悪意(ムンディ)の動向を見るに、直属の彼らでさえ真実は知らされていない……ともすれば、もはや特異点の役割は明白。すべては陽だまりの風にゆだねられたといっても過言かごんではないだろう)


「う……うぅ……」


『――目が覚めたようだな』


 追体験を終えて帰還した彼の意識に、念話で語りかけるクルシェ。ここは化霞かかの滝の奥地に存在する、次元のはざまである。覚醒したシムルは“はく”の海に揺蕩たゆたいながら、大粒の涙をこぼした。


「黒龍様……おれ……」


『無理をせずともよい。なんじは過酷な試練を乗り越えてきたばかりだ。得られたものも多かろうが……それ以上に、うしなわれたものの大きさに気づいたはず。今はただ、息を整えることに集中を。なけなしではあるが、私の功徳(グナ)も融通しよう』


 クルシェがもくもくとただよう魄を操作し、シムルに吸わせる。すると乱れていた彼の魂は徐々に鎮まり、彼のなかに“和歩”としての記憶が定着していった。


「……ありがとうございます。ちょっとずつですが、落ち着いてきました」


『重畳。そのまま、とくと安心して深呼吸を続けるように。今この時において、なんじを脅かす存在は皆無。仮にあったとて、私が何人なんぴとたりとも干渉(ふれ)させはせぬ』


「はい……! へへ……かっこいいですね、黒龍様は」



 しばらくして。無事に復調したシムルは、心の整理をつけるべく、さっそく追体験から持ち帰った“戦利品”の吟味を始めた。


「黒龍様。おれ、追体験(あっち)でいくつか気づいた点があるんです。色々と確認させていただきたいのですが、よろしいですか?」


『無論だ。順を追って話してみるとよい』


「ありがとうございます。まず、おれ――いや、おれたち人間という存在ですが、実は複数の身体を持っているんじゃないでしょうか。例えば、いま黒龍様と念話しているこの身体はプレイヤーの人達がアバターと呼んでいる、わばアスターソウル専用の姿です」


『ふむ』


「でも、“和歩”は現実世界の身体で……他にも追体験の間、おれは二つほど別の身体を動かしています。意識体として宙に浮かんでいた身体と、霊感の急上昇で気絶してしまったとき、潜在意識で動いていたあの身体です」


『……察するに、汝はべ四つほど、分類上の“器”が存在すると主張したいわけか』


「おっしゃるとおりです。さらにいえば、それぞれの器にできることとできないこと、役割のようなものがあるんじゃないかと。まあこうして口に出すと荒唐無稽な話に思えてきますけど……一方で、身をもって確かめたからでしょうか。間違いないと確信している自分もいます」


『……』


「とはいえ、この確信が自分勝手な妄想もうそうって可能性も否定できません。なので、もし差し支えがないようでしたら――」


『よかろう』


「!? いいんですか……?」


『うむ。時期的にも、そろそろ開示すべき頃合いだしな。……さりとて、この知識はときに他者の自由意志を狂わせる危険性をはらむ。活かせば功徳(グナ)にも繋がるが、あずかり知らぬところでカルマを背負うリスクもある。あらかじめ、十分じゅうぶんわきまえておくように。特に今後、仲間内で話す際は慎重を期さねばならない』


「! わかりました、肝に銘じておきます(そうか……いつも明虎さんが一線を引いてるのは、そのあたりの危機管理(リスクヘッジ)も兼ねていたんだ。おれも注意しないと……)」


『では、さっそく解説に入るとしよう』


 そう言って、クルシェは生前の和歩の姿を魄で再現した。顔がウーになっている以外は、精巧せいこうな仕上がりである。


『――汝が現実世界でまとっていたこの器は“肉体”。別名、ヒュレー体と呼ばれるものだ。顕在意識()で活動する、極めて物質的なうつわといえる』


「ヒュレー体……えっと、物質的というのは?」


『それを語るには、まず物質を定義する必要があるな。物質とはエネルギーが凝縮された形態のことを指す。エネルギーが何かと問われれば、要するに波動だ。波動が凝縮されると物質になる、とも換言できよう』


「……うう、すみません黒龍様。いきなり混乱してきました……」


『ふふ、よい。汝は幼くしてラムスへ転生を果たしたゆえ、こうした概念を知る機会に恵まれなかったのだ。だが近い将来、兄たちの助けになると思えば、ここで正しい知識を身につけておくのもやぶさかではなかろう。難しくとも、今は理解に努めてみなさい』


「! はい、がんばります!」


『では、もう少し具体的な説明をする。現実世界(あちら)は物質を原子、分子、素粒子などに分解し、量子という単位で認識するが、これらの粒子はみなエネルギー、つまり波動を根源としており、本質的には同じものだ』


「粒子、ですか? じゃあこのはくも……」


『左様。ただし、波動はそれ自体が“生じた理由”によって構造や凝縮の度合いが変化し、様々な性質へ転ずる。……“生じた理由”については人智の及ぶところではないゆえ、今は捨て置いて構わない』


「は、はい(今、さらっと物凄いことを言われた気が……)」


『重要なのは、波動が“次元に応じて最も適した形態を取る”という事実だ。先に挙げた原子などの粒子は、3次元特有の形態。つまり極めて凝縮され、物質としての性質を獲得した波動にあたり、ヒュレー体もまた、これらが有機的に結びついて構成されている物質的な集合体に他ならない』


「……? もしかして肉体って“物”なんですか」


『器として定義するならば、そうなるな。ちなみに骨、肉、血、毛、臓器などの要素に個人差があるのは、DNAやRNAといった遺伝情報が関係している』


「遺伝情報。おれ、けっこう本とか読むほうなんですけど……どこかで見た覚えがあります。確か父ちゃんや母ちゃんから引き継がれるんでしたよね?」


しかり。遺伝情報は物質的な特徴を約90%、次世代へ継承させる。親子が得てして、似たヒュレー体を形成するのはこのためだ』


「なるほど……では、残りの10%は?」


『それについては後ほど補足する。今は汝の疑問を解消するのを優先しよう。ヒュレー体が物なのか、という質問にはまだ続きがあるのだろう?』


「あ、はい。単純な好奇心なんですが、もし生前のおれがただの物だったのであれば、どうして動くことができたのかなぁって。石とかの無機物は、ひとりでに動けませんよね? やっぱり顕在意識が動かしてたから? なら、顕在意識ってなんなんでしょう。肉体と同じで、物質的な波動なんですか?」


『よい着眼点だ。ヒュレー体が自動するのは、人が単に物質のみで成立している存在ではないことを示唆しさしている。……以降は次の器も関連づけて話すとしよう』


 にわかに、シムルのそばに浮かんでいた和歩が変貌へんぼうする。新たに出現したのは、霊感の急上昇で気絶し、悪夢を繰り返していた和歩の姿である。


『この器は“空体くうたい”。別名エーテル体とも呼ばれ、汝が突き止めた真相にたがわず、“潜在意識”によって動いている。いっぽうヒュレー体は顕在意識が主導(しゅどう)しているわけだが……双方に共通する“意識”とは何かを先んじてつまびらかにするならば、より上位の器から飛ばされてくる“指令”と捉えて問題ない』


「より上位の器……?」


『ああ。汝は最初に四つの器が存在すると仮定していたな。しかし実際には五つの分類がある。中でもエネルギーが最も凝縮された状態がヒュレー体。次点がエーテル体。加えて、この上に三つ他の器が据えられている。うち“指令”を飛ばすのは最上位の器なのだが……話が前後するゆえ、これも後ほど適切なタイミングで補足をおこなう』


「しょ、承知しました(うへぇ、かなり複雑になってきたぞ……。置いてかれないようにしないと)」


『――“なぜ動けるか”という着眼点に戻るが、今しがた説明したように、ヒュレー体はより上位の器から届いた指令に従って動いている。しかし、その指令内容を実行するためのエネルギーが備わっていなければ、ヒュレー体そのものがひとりでに動ける道理はない』


「! ということは、人と無機物とで違っているのって……」


『うむ、まさしくエーテル体の有無うむだ。この器は“生命”を帯びている』

ここからしばらく、解説的な内容が続きます。とても大事な話なのですが、もし眠くなってしまったかたは睡眠導入薬として当該エピソードをご活用ください 笑


※お読みいただき、ありがとうございます!

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