第329話 血染めの手向け
「……」
佳果の脅迫に対し、院長は露骨に目を逸らしながら沈黙している。
「……どうした。なんとか言えよ」
「言えない」
「あ?」
「それだけは、口が裂けても言えない……」
「……おい、まだ庇い立てするつもりか? そんな義理がねえってことくらい、もう――」
「うるさい! 無理なものは無理なんだ!」
鼻息を荒くした院長の大声が響き渡る。
佳果はため息をついて頭をかいた。
「つくづく腐り切った関係で吐き気がするぜ……仕方ねえ。じゃあやり方を変えてやる」
彼は再び、苛烈な炎を瞳に宿して言った。
「共犯者は弟が治ると騙り、母さんに近づいてきた張本人だ。だが蓋を開けてみりゃ、治療に使われたこの薬は服用した人間をやがて死に至らしめる劇物だった。……当然、正規のルートじゃ製造も販売もできるわけがねえ。なら裏側と繋がりのある人間が候補に挙がってくる。ここまでは、てめえが口を割らずとも予想できる範囲だ」
「……」
「ただ、前提の部分にひとつ大きな謎がある。“動機”ってやつさ」
「……」
「死後に証拠の残らねえ殺人薬――そんなクソみてえな凶器が実際に使われたとして。じゃあ共犯者が裏の立場から病院を盾にしてまで、わざわざうちの家族を狙い撃ちにした理由はなんだ? そもそも、弟は放っておけば遠からず病気で死ぬと宣告されていた。なのに敢えて薬を投与し、“殺し直した”意味は?」
「……ふん、私の知ったことか。無論、知っていたとしても答えるつもりはないがな」
「そうかよ。ま、喋るつもりがないなら、もうそれでも構わねえ。なにしろ、ここまでの問答ですでに“解”は見えてきているからな」
「なに……?」
「“目は口ほどに物を言う”とはよく言ったもんだ。てめえの場合、そのマヌケ面を見てるだけでも勝手にピースは埋まっていく。……手間が省けて助かるぜ」
(……次は読心術の真似事か? くだらん。何やら根拠のない妄想で悦に入っているようだが、所詮は自己陶酔したガキの戯言。研究機関から盗んだとかいう試験管に関しては捨て置けんが、証拠能力のない虚勢など、恐るるに……)
「――今、俺を侮っただろ? 『根拠のない妄想』、『ガキの戯言』、『証拠能力のない虚勢』……クク、手に取るようにわかる」
「!?」
「ダダ漏れなんだよ、てめえが“そうであってほしい”と望む心の声がな。……せいぜいそのままダンマリを決め込んでいるといい。さて、推理の続きはこうだ」
「や、やめろ……」
「違法な成分が検出されている以上、この薬に人間の正常な認知能力や判断能力を奪うような非人道的作用があったことは間違いねえ。母さんのほうは事件の直前、おそらく何者かにこれを大量に飲まされて正気を失った。結果、息子の首を絞めちまうような狂人に貶められ……最期は呼吸の仕方すら、わからなくなっちまったんだろうよ」
物憂げに目を伏せる佳果。しかし瞳の炎はいっそう激しく燃え盛り、院長の精神をジリジリと焼き焦がす。――少年の話には、なまじ己の明日を運命づける情報が多分に含まれている。耳を塞ぐのは簡単だが、それが悪手となり得る以上、拒絶することもできない。かといって、内容を吟味すれば心を読まれてしまう。
黙秘さえ逆手に取られた院長の視界は、その心中を表すようにグラグラと揺れていた。
「いっぽう弟は前日まで普通に意思疎通ができていた。そして、前の病院にいた時と比べると復調していたのも事実だ。……これは共犯者の野郎が、とある事情を把握していた可能性を示している」
(……とある、事情……)
「詳しいメカニズムまではわからねえ。だが麻薬が医療でも使われるように、この薬は量を調整することで、人を秘密裏に壊す効力にとどまらず、“細胞死の抑制”っつう副作用が得られるものだったんじゃねえか? なら共犯者はそれを織り込み済みで、おれたち家族に取り入ってきたことになる」
「ッ……」
「……図星か。となりゃ、いよいよ大詰めだ。どうして弟は一時的に“延命”させられた? あのタイミングで母さんが狂わされなきゃならなかった理由は? ……導き出される結論はひとつ。どっちも確認が絡んでやがる」
「!!」
「――なあ、てめえも知ってるんだろ? うちの父さん、ずっと前から行方不明なんだけどよ」
(くっ……) (えっ……!?)
同時に反応を示す夕鈴と院長。前者のそれは、ここで彼の父親が出てくると思っていなかったことに対する驚愕。対して後者のそれは、遅かれ早かれこうなることを予期していたからこそ、“もはや後戻りできない”という心逸りだった。
「……ガキ、どこまで勘づいた? 返答次第では、すぐにでもお前を殺す。……騒ぎたくば好きに騒ぐといい。私にも守るべきものはあるのだ」
「……なるほどな。……ぷっ……くくく……」
「な、なにがおかしい!」
「くく……いやなに、考えると覚悟を決めた途端、こうもすんなり事が運ぶもんかよって、ちょっと笑えてきちまってな。……そうだ、もっと早くこうするべきだったんだ」
「またわけのわからないことを……!」
「てめえの“言えない事情”、理解したぜ。つまり、この事件には父さんを拐った奴が関係している。弟と母さんは、それに関する何か重要な手がかりを手に入れてしまった可能性があった……しかもつい最近な。だから“確認”のため、弟はこの病院で治療をおこなうっつう建前で監視を受けていた。そして、その事実に母さんは気づいちまったんだ。……よって親子ともども“口封じ”で始末することにした。それを共犯者自身がやったのか、あの神社に何があんのかは、これからじっくり検証させてもらうとして」
「……」
無言のまま、院長が左手をポケットに忍ばせる。右手ではハンドサインをつくり、黒服たちに指示を飛ばした。それは、かの少年が一線を越えたことを示す合図だった。ところが佳果は臆するどころか、敵方に先んじて折り畳み式のナイフを取り出し、その鋭い刃先を院長へと向けた。そうして今までとは比べものにならないほど鬼気迫る表情になると、まだ声変わりしたばかりの低い声で、一世一代の哀しき啖呵を切ってみせた。
「なりふり構わねえってんなら受けて立つ。……花束をてめえらの血で染め上げて、死んだ家族への手向けにしてやらあ!」
「上等だッ! おい、もう遠慮はいらない! あいつを即刻、八つ裂きにして――」
「動かんほうがいい」
刹那、首筋に何者かの手刀が突きつけられる。院長は本能的に息を止め、その場で硬直した。視線だけを動かすと、さきほどまで立っていた黒服たちはなぜか床に倒れている。
「だ、だれだ……貴様は……」
「ふむ。訊かれたからとてホイホイ名乗るわけにもゆくまい。なにしろ、お主らは“そういう手合い”なのだろう?」
「――」
その返答が決め手となったのか、院長は瞬発力を使って背後の存在に不意打ちを仕掛けようとする。しかし何者かはこれを巧みに躱し、まもなく反撃で経穴を突いて気絶させた。
瞬時に制圧され、俄然脅威の去った院長室内。呆気にとられていた夕鈴は、我に返ったように叫ぶ。
「お師匠さま……!」
「やあ夕鈴ちゃん、遅くなってすまない。お守り、活用してくれたようで何よりだ」
入り口のほうを見ると、ドアがプスプスと煙を上げている。どうやら小鉄が認証コードなしで無理やりこじ開け、破壊したらしい。規格外の腕力に苦笑している夕鈴に、彼は顎髭を触って弁明した。
「ちと高くつくかもしれんが、緊急事態ゆえ致し方なし。……それよりも」
おもむろにデスクのほうへ歩み寄る小鉄。みしみしと草履が小さな音を立てるたび、佳果は露骨に不快感を募らせた。
「――言ったはずだ。きみの生き方を決められるのは、あくまできみ自身だけであると。……その物騒なナイフが、きみの出した答えなのか?」
「……つくづくありがた迷惑な爺さんだぜ。これは俺たち阿岸家の問題だ。関係ねえやつはすっこんでろよ」
「……」「佳果、そんな言い方……!」
「どっから聞いてたのかは知らねえ。だが、もう察してんだろ? こいつらは本物のヤバすぎる連中だ。あとのことは俺がうまくやっておくから、あんたは夕鈴を連れてすぐこっから出ていってくれ。そして二人とも、もう二度と……俺の前に現れるな」
「っ……」
悲痛な顔を浮かべる夕鈴。それを横目に、小鉄はため息をついた。
「……目に余る傲慢ぶりだな。きみはそんなものが“強さ”だとでも主張するつもりか? もし本気でそう思っているのであれば、亡くなったご家族はさぞかし浮かばれぬだろうよ」
「てめえ……ふざけんのも大概にしろよ! 赤の他人のくせして、さも知ったかのようにうちの家族を語ってんじゃ――」
バシッ
乾いた音が反響する。小鉄は少し意外そうに目を剥いた。
――佳果の隣へ歩み寄った夕鈴が、彼の顔をひっぱたいたのである。
「ふざけているのはあなたでしょう」
「…………」
「こんなやり方、誰も望むわけがない。カズくんも、千歳お母さんも、直幸お父さんも」
「…………」
「……なにも言わないんだ? わたし、お師匠さまと同じで“赤の他人”なのにね」
「!? い、いや、お前は他人なんかじゃ……」
「他人だよ。だってそうでしょ? わたし、阿岸家の人間じゃないもの。それに……あなたと会うのは、今日が初めてなんだから」
「なにを、言って……」
「わたしの知っている佳果はね。人を蔑ろにしてまで、自分の都合を優先したりしない。……あなた、受付が止まってたこと知ってるよね?」
「!」
「その間ずっと、診療を受けられずに苦しんでいる患者さんたちが何人もいた。……なかには、命に関わるような病気を悪化させてしまった人がいるかもしれない」
「……そ、それは悪かったと思ってるさ。けどよ! こいつらの悪事を暴かねえことにゃ、次の被害者が生まれちまう………お前が危険な目に遭うかもしれなかったんだ! そんな可能性、1ミリたりとも残しとくわけには……」
「じゃあなに? 今回のことは、わたしを助けるためにやむを得なかった。こう言いたいの?」
「あ、ああ、そうだ。当たり前だろ!? だから早く、そこの爺さんと逃げてくれよ! こんなところを見られたら、お前も無関係じゃいられねえ。まごついている暇は……」
「――ね、やめてちょうだい。そうやって平気な顔で嘘をつくの」
「……は?」
「あなたはわたしのためと言うけれど、本当はわたしのことなんてこれっぽっちも考えていない。無理もないよね。頭のなか、自分のことでいっぱいみたいだから」
「おま……んなわけねえだろ!」
「あるよ。……わたし、あなたに助けてなんて一言も言った覚えはない」
「ッ……! おい、一体どうしちまったってんだ!? 気が動転してんのか知らねえが、これ以上妙なこと言うなら……」
「言うなら? さっきみたいに、わたしもそのナイフで脅してみる?」
「……クソッ、いい加減にしやがれ!」
興奮を抑えきれず、だんとデスクに両手を叩きつける佳果。その衝撃で、花束から複数の花びらが滑り落ちた。
「……いい加減にするのも、あなたのほう」
「ああ!?」
「こんなにきれいなお花たちを……見舞客のフリをして、忍び込むためだけの道具にするなんて」
「なっ……ちげえよ! こいつは事がぜんぶ済んだら、墓に供えようと思って用意したもんで……」
「ふうん。じゃあ大切な献花なのに、血で染めて手向けにするとか言ってたんだ? ずいぶん悪趣味だね。あなたのそれと同じくらい」
「………!」
夕鈴の目線は、彼の頭上に向けられていた。そこには黒くて小さい、脳みそのような皺が入った不気味な暗雲が浮かび上がっている。
夕鈴さんは怒るとこわい。
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