第328話 利用価値
「……!」
佳果が喋るたび、院長がひどく動揺しているのがわかる。夕鈴は物陰に隠れ、なかば呆然としながらお守りを握りしめた。緑色の小瓶に、共犯者というワード。予感はあったものの、まだ頭の整理が追いつかない。今はただ、彼でない彼の言葉に耳を傾けるだけで精一杯だ。
「そういや自己紹介がまだだったな。俺は阿岸佳果――てめえらに殺された母親と弟の遺族だって言えばわかるか?」
「ッ……なるほど……そういうことか……では警察に“違法薬物”があるなどと虚偽の通報をしたのはお前の仕業だな! 舐めた真似しやがって……ただでは済まさんぞ!」
怒り心頭の院長が、右手を上げて合図する。すぐに両脇の黒服が動こうとするも、佳果は眉ひとつ動かさずに言った。
「いいのかよ? 俺を捕まえたところで、まだ他にも“いろいろ”出てくるかもしれねえってのに」
「!? どういう意味だ!」
「……順を追って話してやる。てめえには聞かなきゃならねえことがあるからな」
不敵な笑みを浮かべ、佳果は続けた。
「まず、てめえの言うとおり警察を誘導して撹乱したのは俺だ。案の定ビビッて人払いしてくれたおかげで、情報集めはかなり捗ったぜ? この部屋の認証コードも大して労せずに割り出せた……事務員まで駆り出したのは迂闊だったな」
「な、なに……(こいつ、まさか事務所を漁って!? だが認証コードに関する情報は私しか知らないはず……いや、今それは重要じゃない。問題は警察の動きだ。ガキの通報ひとつで捜査令状まで持ち出してきたとは考えにくい……よもや、グルだとでも言うのか? しかもこのガキ、例の件についてすでに私やそれ以外を疑っている節がある。ならばどこまでが虚勢で、ここに入った目的は……)」
目まぐるしく思考し、心をかき乱す院長。鎌をかけられている可能性も考慮すべきだろう。ただ、眼前の少年が自室へ侵入した挙げ句、実際にあの小瓶をちらつかせているのは紛うことなき現実。その背後にもし警察がいる場合、ここで選択肢を間違えるわけにはいかない。なぜなら、それはあまりにも“致命的”だからだ。とはいえ、おいそれと情報を漏らすわけにもいかない。
己の助かるルートを脳内で必死に模索し、院長はだらだらと脂汗をかいた。そこへ追い打ちをかけるように、不気味な少年の視線が突き刺さる。
「――いっちょ前に考えてやがんのか。上等だ。その調子で追いついてみろよ」
「ッ……クソガキがおちょくりやがって……お前など、話が済み次第すみやかに消してやる! いいからとっとと続きを吐け!」
「おいおい、いい歳したジジイがそう醜く焦るもんじゃねえぜ? ……さっきも言ったろ。てめえは売られたんだってな」
「くだらんハッタリを……だいたい、お前の家族は勝手に死んだのだ! おかげでこちらは大迷惑を被った。それをいけしゃあしゃあと、よくも事実無根の戯れ言を――」
「証拠ならある。それも決定的な証拠がな」
再び小瓶をぷらぷらと見せびらかす佳果。
院長の額に青筋が立った。
「おのれ、まだそれをダシにするか! そんなもの、お前が勝手にそう言っているだけで……ははあ、読めたぞ。さてはその瓶もお前が用意したものだな? 中身は普通の薬で、私を罠に嵌めようと……!」
「やれやれ、この期に及んでまだそんな門違いの言葉を口にできるとはな。ちゃんちゃらおめでたい野郎だぜ」
「なんだと!?」
「確かにラベルや錠剤の形状は“元の薬”と同じように作られているみてえだし、まだその情報を掴んでねえ警察の連中は、これがクロだと気づくのに時間が掛かっただろうよ。だからこそ、てめえは堂々と“探しもの”の指示を身内に出せた。警察の捜査を出し抜いて、まんまと回収せしめるために」
(こいつ、そこまで勘づいて……)
「だが冷静に考えてもみろ。“あるはずねえ”と思ってたもんが自分の懐から出てきたんだぜ? ……そうとは知らずにこの部屋を調べられてたら、てめえはどうなってた」
「くどいガキめ! だからそれはお前が仕組んだことで……」
「ところがどっこい。この薬からはしっかり陽性反応が出てやがる」
「!?」
「……院長室に、そういう“責任逃れの証拠”があるってことは確信していた。あらかじめこいつを用意しておいて正解だったぜ」
佳果はポケットから、小さな試験管のようなものを二本取り出した。双方とも、中に満たされた液体が青みがかっている。それを見た瞬間、院長はまた急激に体温が下がるのを感じた。
「ぐっ……お前、科捜でも気取っているつもりか! そんな子ども騙し、私に通用するとでも――」
「こいつは然るべき研究機関から拝借してきた正真正銘、本物の検査キットだ。一つはてめえの共犯者が処分しそこねたもの。もう一つはこの瓶に入っていたものから検出した。……どちらもまったく同じ反応を示している。これが何を意味すんのか、てめえも医者やってんなら流石にわかるだろ」
「け、研究機関……? お前は……お前はいったい何を言っている!?」
「昨日、火葬場で妙な奴をみかけてよ。そいつの痕跡を追っているうち、敷地内の草むらでこの薬を数錠発見した。少し離れた位置には焼却炉があってな……ピンときたぜ? こいつは事件の首謀者が薬の隠滅を図ったとき飛び散った――そう見せかけるための小細工だってことによ」
(! じゃあ、佳果は……)
ここまで彼らの応酬を唖然と静聴していた夕鈴だが、両者の熾烈な毒気に当てられているうち、かえって平静さを取り戻していた。――今しがたの話で、彼がこの一日、何をしていたのかが氷解する。おそらく大学病院にて「和歩の奇病は科学的に説明がつかず、直せる薬など存在するはずがない」と確信したあとは、自分と同じく“処方された薬がフェイクである”という仮説を立て、手がかりとなりそうな場所を総当たりしていたのだろう。合理的な立ち回りだ。
(でも……)
佳果は普段、論理立てた思考に基づいて行動し、物事を先回りするタイプの人間ではない。まして、此度のごとく盤面を牛耳って翻弄する狡猾さも、それを是とする流儀も、巧みな語彙で相手をなじるような話術も――生来持ち合わせていないことを、夕鈴はよく知っている。
ゆえに、よしんばこれが佳果なりの筋を通すために繰り広げられている復讐劇で、それを成すための変化を彼が無理やり肯定しているのだとしても。そのやり口は明らかに身の丈を超えており、甚だ似つかわしくない。
彼女は、自分のなかで強烈な違和感と焦燥感が膨れ上がってゆくのを感じた。露知らず、佳果の暴走は留まるところを知らなかった。
「薬は当然、検査可能な機関に持ち込んで分析してもらった。最初はガキがなんの冗談だって渋られたけどよ……なにせ、うちの家族を奪った可能性のある劇物だからな。司法解剖をくぐり抜けるような新型の“違法薬物”かもしれねえって粘ったら、案外早く折れてくれたぜ? で、本当にヤバイ成分が見つかったもんだからそっからは大騒ぎさ。……なら、次の一手は単純だ。俺は薬が南藤病院の403号室から出たと嘘をついた」
「なっ……」
「立場のある機関からそんな“通報”が入った日にゃ、警察も動かざるを得ねえ。しかもそれが直近の事件で調べ尽くしてシロと判断されたばかりの場所とくれば、殊更にな」
「お、お前……やはり虚偽の通報を……!」
「家宅捜索が始まっちまえばこっちのもんだ。寝耳に水のてめえは、あるはずのねえ薬を我先にと躍起になって探す。……その隙を突かない手はねえ。あとは“責任逃れの証拠"さえ先に押さえちまえば、一丁上がりって寸法さ」
「……解せんのはそこだ。そもそも、お前はなにをもってやれ共犯者だの証拠だのとほざいている? なにゆえ、この部屋にそんな薬があると……」
「まだわからねえのか。……生前母さんや弟から聞いた話を統合すりゃ、外部に共犯者いる可能性なんざすぐに行き当たった。その上で、不用意にも火葬場に薬が転がされていた意味を考えりゃ、答えは自ずと見えてくる。あれは隠滅と見せかけた小細工――つまり、意図的な工作だったのさ」
「工作……」
「共犯者の野郎もなかなか慎重だよな。放っときゃ誰にも見つからず、そのうち風化してなくなるような場所にばら撒いておきながら……それでも万が一、事件を嗅ぎ回り続けるような奴が現れ、見つけちまったときのために保険をかけた――てめえを陥れるための餌としてな」
「!!」
「ようやく理解してくれたようで嬉しいぜ。そうだ。たとえ尻尾を掴まれたとしても、濡れ衣を着せられる傀儡人形。使い勝手のいい捨て駒。替え玉の主謀者。……それがてめえの利用価値だったんだよ」
「くっ……くそっ……」
「どうやら俺の読みどおり、てめえらは一枚岩じゃないらしい。まあ、せいぜい今後もそうやって無様に仲間割れし続けてくれや。こっちとしても、そのほうがやりやすいからな」
佳果の嘲笑に反論できず、あまりの屈辱にわなわなと打ち震える院長。今の話が事実なら、他にも“いろいろ”保険がかけられているという先の言は看過できない。しかし、少年はまだそれらの場所を具体的に把握しているわけではなさそうだ。院長は怒りを鎮め、にわかに反旗を翻す。
「……説明ご苦労。しかし残念だったな、お前はもう用済みだ。子どもだからといって容赦はしない……丁重に嬲り殺したのち、磔にして湾に沈めてやろう。光の届かぬ昏き水底で魂に刻むがいい。所詮、ガキが大人に勝てる道理などなかったのだとな」
「おっと、そういう捨て台詞は身を滅ぼすって昔から相場は決まってんだ。……警察、まだ撤収しきってないだろ。このタイミングでこいつらを暴れさせたらどうなるだろうな」
今度はポケットから防犯ブザーや爆竹と思われるものを複数取り出す佳果。院長はぎょっとする。
「……どこまでも舐めやがってッ……!」
「先に舐め腐ったのはてめえのほうだろうが。……いいか、少しでも妙な動きをしたら騒ぎを起こす。そっちの三下どもも肝に銘じておけよ」
「……」「……」
場がしんと静まり返る。
静寂を人質にとった佳果が取る行動はひとつしかない。
そう、握った主導権を最大限に利用するのである。
「前置きはここまでだ。本題に入るとするぜ」
「本題、だと?」
「俺の要求を飲んでもらう。当然、てめえらに拒否権はねえ」
「……この私をゆするつもり気か」
「まさか。俺はただ家族の無念を晴らして、あるべき未来を守りたいだけだ。そのためには手段なんか選んでられねえ。……そこだけ切り取りゃ、てめえら大人と同じ穴の狢かもしれねえけどな」
「チッ……」
「さて、洗いざらい吐いてもらおうか。――共犯者の素性について教えろ」
ちょっぴり推理モノ(?)っぽい展開になりました。
※現時点でいくつか大きな矛盾点があるのですが、
それらについては後ほど言及されます。
※お読みいただき、ありがとうございます!
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