第325話 南藤病院
(また、ここへ来ることになるなんて)
南藤病院の入り口を前に、表情を曇らせる夕鈴。――あの日は本当に愚かだった。和歩の誕生日プレゼントを片手に、鼻歌まじりでスキップしていた自分を呪いたくなる。
せめてもう少し早く到着していたら。
もっと虫の知らせに気を配っていれば。
常日頃から、己を顧みるようにしていたら。
(……)
違う未来だってあり得たかもしれない。
起こる結果が変わっていたかもしれない。
――佳果に、あんな顔をさせずに済んだかもしれない。
病室での光景がフラッシュバックし、ぐるぐると負の感情が再燃してゆく。
(……ダメ。もう十分泣いたでしょ)
この感情は生涯、戒めとして引き連れなければならぬものだ。ただ、それを口実として歩みを止めるような自分を、彼女は肯定したくなかった。
(後悔したってあの日々は帰ってこない。……今なすべきは、佳果をまもること。彼の光になるの。わたしは押垂夕鈴。佳果の幼馴染で、親友で――いつかは、家族にだってなりたいと思ってる。だから……心の闇になんて負けてあげられない)
意を決して中へ入る。一歩進むたび、事件当日をトレースしている感覚が襲う。彼女は首から下げたお守りを両手でそっと包み、深呼吸を繰り返した。
『彼を連れ戻せるのはきっと、“本来の彼”を知るきみだけだ』
(……はい、お師匠さま)
心を奮い立たせ、恐怖心を抑制する。やがて待合室まで辿り着いた彼女は、佳果の痕跡を調査すべく、受付のカウンターへ向かった。ところが、誰一人としてスタッフが見当たらない。
(? 忙しい、のかな)
呼び出し用のベルを鳴らしてみるも、依然として反応はない。外はもう暗くなりつつあるが、まだ受付時間は終わっていないはずだ。
たまたま間が悪かったのかもしれないと思い、夕鈴は近くの椅子に座って待つことにした。室内を見回すと、ちらほら患者が散見される。この病院はそこそこ規模が大きいわりに、いつ来ても人が少ない印象を受ける。此度の件を踏まえると、やはりそのあたりにも裏事情があるのだろうか。
夕鈴はぎゅっと握った拳を膝の上でほどき、ふうと息を吐いて気を鎮め直した。天井から吊るされたテレビの小さな音が、やけにうるさく感じられる。
「――お姉さん。どこか悪いの?」
ふと、後ろの席から小声で話しかけられた。振り返ると、声の主は気さくそうなおばちゃんだった。おでこに冷たいシートを貼っている。
「あ、いえ……わたしは元気なんですけど」
「あらあら、じゃあ誰かのお見舞い? なら早く行ってあげたいよねぇ。……まったくスタッフさんたちは何をやっているのかしら」
ちらと無人の受付を一瞥し、小さくため息をつくおばちゃん。夕鈴は「はい、できれば行きたいのですが」と相槌を打ちつつ、状況を確認する。
「あの……受付っていつから止まっているんですか?」
「おばちゃんが来た時にはすでに止まっていたわね。そこからもう1時間以上は経ってると思う。……信じられる?」
「そんなに長い間……もしかして、何かトラブルがあったとか……」
「かもしれないけど、今のところなんの説明もないのよ。……失礼しちゃうわ。こっちは朦朧と駆け込んできたっていうのに、事情もわからずこんなに待たされるなんて」
「えと、けっこう高いんですか? お熱」
「40℃よ40℃。歳を食ってからのコレ、本気で辛いんだから……はぁ~、なんだかやけに喉も渇いてきたし、ホント勘弁してほしいわぁ」
「! おばさま、それは脱水症状かもしれません。わたし、何か飲みもの買ってきますね」
「へっ? ああ、いいのよそんな!」
「お気になさらず」と微笑んで、夕鈴はすぐさま外にある自販機に向かった。差し当たり冷たいスポーツドリンクと栄養剤を購入して戻ると、おばちゃんは申し訳なさそうにそれらを受け取った。
「……うふふ、ありがとう。あなた優しいのね」
「いえ、困ったときは助け合いですから。……でも、早くお薬も貰わないとですね。受付の人、そろそろ戻ってきてくれるといいんですが」
「本当にねえ。……あ、でもお姉さんはお見舞いしに来ただけなんでしょ? ならいっそのこと、こっそり行ってきちゃってもいいんじゃない?」
「えっ? だ、だめですよ、怒られちゃいます……」
「大丈夫 大丈夫! 別に悪いことしようってわけじゃないんだし、あなたカワイイからきっと病院の人も大目に見てくれるわ」
「い、いえ、でも……」
「それに、もう前例だってあるのよ」
「?」
「おばちゃんと同じタイミングでここに来た男の子がひとりいてね。ちょうどあなたと同い年くらいだったかしら……その子もしばらくここで待っていたんだけど、途中でなかへ入っていくのを見たわ。キレイな花束を抱えていて――きっと一刻も早くお見舞いしたいのに、待ちぼうけを食らって痺れを切らしたんでしょうね。うふふ、おばちゃん ああいう思い切りのいい子は好きよ♡ 帰ってきたら飴ちゃんあげようかしら」
(! 同い年くらいの男の子って……)
予想していなかった方向から重要情報が舞い込んできた。詳しい特徴を聞かずとも直感でわかる。その少年は佳果に違いあるまい。
「そんなわけだから。あなたも少しくらい、今のうちにヤンチャしておきなさいな。もしお咎めがあったら、おばちゃんのことを盾にして……ってあら?」
辺りを見回すおばちゃん。しかし、少女の姿はすでに待合室から消えていた。
病院で待たされることはよくありますが、
受付が無人なのはちょっと妙ですよね。
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