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第324話 猫の功名

「やあ、お嬢さん。待たせてすまないね」


「いえ……わたしの方こそ、突然お邪魔してすみません」


 応接室に通された夕鈴は、緊張の面持おももちで白衣はくいの老人に頭を下げた。

 受付うけつけで阿岸の名前を出したところ、労せずしてこの対面まで漕ぎ着けている。こちら(・・・)もまた、事件のあらましを気にしているのかもしれない。


「とりあえず座って。……で、あなたは阿岸佳果くんの友達なんだって?」


「はい。彼の幼馴染で同級生の、押垂夕鈴といいます。佳果くんや彼の弟――こちらに一時入院していた和歩かずほくんとは、家族ぐるみの付き合いでした」


「……そういうこと。なら、まずは追悼ついとうを。この度は本当にご愁傷しゅうしょう様でした」


 れたての紅茶が入ったカップを二人分テーブルに置いてから着座し、神妙な顔で黙祷もくとうを始める院長。そのかしこまった態度に、嘘の気配けはいは混じっていない。やがて目を開けた院長は、香り立つ紅茶の湯気ゆげの向こう側で言った。


「それで、私にきたい話というのは」


「ええ。さきの事件について、先生のご見解をおうかがいできればと」


(ふむ……案の定というべきか)


 まっすぐな瞳に射抜いぬかれ、白髪はくはつの後頭部をかく院長。おおかた興味本位で何かを調べに来たのだろうが、こども相手にどこまで話してよいものか。彼は両腕を組んでうなった。


「うーん。正直、守秘義務もある手前でなかなか難しいんだけど……まあ、可能な範囲はんいで力になるよ。私もあの事件に関しては、ちょっと思うところがあるからね」


「ありがとうございます。……それと、恐れながらもう一点」


「?」


「実は今、佳果くんがどこにいるのかわらなくなってしまっていて」


「え……」


「家にいないんです。いないとわかったのは今朝なのですが、もしかすると昨日の夕方くらいから帰っていない可能性もあって……だから今、さがしている最中なんです」


「それは……なんというか、穏やかじゃないねえ」


 院長は紅茶を口に含むと、左上の方を見て「じゃ、あれきり消息しょうそく不明かもしれないってことか」とつぶやいた。思わず夕鈴が身を乗り出す。


「やっぱり彼もここへ来たんですか?」


「うん、昨日の19時頃にね。あなたと同じで、“事件に関する話がしたい”って訪ねてきた。……それにしても、まだほとぼりも冷めないうちに今度は失踪しっそう疑惑かい。あまりこういう言い方をするのはよくないんだろうけど、なかなか複雑なご家庭のようだ」


「……」


「……失敬しっけい、気に障ったかな。でもね、私も少々参っているんだよ。また連中から質問攻めにうのかと思うと、今から憂鬱ゆううつな気分にさせられる」


「連中?」


「警察のことさ。例の事件のあとも、捜査そうさに協力しろと根掘り葉掘り訊かれて……ま、もともと和歩くんをこっちでていたのは事実だし、当然といえば当然なんだけども」


 右手の拳でタンタンと左肩を叩く院長。かなり辟易へきえきしている様子である。


(捜査協力……確か、刑事ドラマとかだと“任意”だって言ってた気がする)


 ともすれば、けむたがる素振そぶりこそ見せているものの、この御仁ごじんは予想にたがわず、事件究明(きゅうめい)に対してそれほど消極的ではないのかもしれない。

 ――好都合だ。佳果との会話内容も含めて、ここは遠慮せず情報を集めにかかろう。


「あの。ちなみに、そのときの佳果くんはどんな様子でしたか?」


「落ち着いていたよ。これは私の所感でしかないけれど、精神的にまいってるふうには見えなかった。むしろ精力的に何かを追いかけているような……あの子がいま行方不明だというなら、家出いえでたぐいではない気がするねえ」


「……」


「いずれにせよ、もう少し捜して見つからないときは、早めに捜索そうさく願いを出したほうがいいと思うよ。何かあってからでは遅いのだから」


「はい、肝に銘じておきます。……あまり考えたくはありませんが、誘拐ゆうかいなどの可能性も否定はできませんので」


「(ほう、それも見越して訪問してきたのか)……あなた、礼儀れいぎ正しさといい、年齢としわりに大人びているね。それとも、今の子たちはみんなこんな感じなのかな。ふふ、だとしたら我が国の未来は明るいねぇ」


「そんな、身に余るお言葉です。わたしは自分のために(・・・・・・)猫をかぶっているだけですから」


(……!)


 はにかむ夕鈴に驚く院長。ここまで半分、こどもの探偵たんていごっこに付き合う感覚で構えていたが、彼女の苦笑いと言外げんがいには、何か強い意志が宿っているのがわかった。それは同世代の医師が時折ときおりみせる、酸いも甘いも噛み分けた表情となんら遜色そんしょくのない、含蓄がんちくのあるうれいを帯びていた。どうやらあのギラギラした少年も含めて、生半可なまはんかな覚悟で事件をぎ回っているわけではないようだ。


(……失礼なことをしてしまったな。事件の概要がいようを聞き、曇天どんてんの下を歩かされているのは私も同じじゃないか。ここは――)


 彼はふっと表情をやわらげると、冗談めかしく前言ぜんげん撤回てっかいをおこなった。


「なるほど、猫をね。……実をいうと、私はあいびょうなんだ。家には自慢の猫が五匹もいる」


「……へ?」


「猫はいい……自由気ままで、何者にも縛られない。我々はいつもその姿に心を洗われ、救われている」


「は、はあ」


「そして、彼らほどじゅんしん無垢むくな生き物はいない。なぜなら、彼らは決して人間をだましたりしないからだ。ゆえに人間もまた、彼らを騙すべきじゃない。隠し事なんて卑怯ひきょうな真似、私は断固だんこ反対だね」


「……あ、あの……?」


「というわけで、私は今から通りすがりの猫さんと腹を割って話をしようと思う。それこそがもっとも自然で、もっとも美しい関係に違いないのだから」


 謎の高説を披露ひろうした院長は、おもむろに部屋のすみにある冷蔵庫へ向かった。そして中から高級そうな箱を取り出すと、美しくつやめくケーキを切り分ける。なんでも“とっとき”の一品らしく、本当は今晩こんばん独り占めしようと考えていたところを、特別にお裾分すそわけしてくれるそうだ。

 突飛とっぴな言動に固まっていた夕鈴だが、院長の意図をんだ瞬間、表情を明るくした。話せばわかる先生らしい。


「えへへ、重ねて感謝いたします。では、まず手始めに……佳果くんは先生になんと?」


「ああ。和歩くんの病気は“本当に原因不明の奇病だったのか”。そこを確認されたよ」


「奇病……たしか細胞がどんどん壊死えししてしまう病気、だったんですよね」


「そう。……あんな症状、前代未聞さ。私は知識も経験も人脈も……ありとあらゆる手を尽くした。でも結局、あれがどういう原因で引き起こされているものなのか特定できなかった。現代医療の敗北を感じたね」


「……転院先の南藤病院では、治療に成功したようでしたが……」


「問題はそこに尽きる。あちらさん、それなりに歴史のある病院だし、うちでは助けられない案件である以上、代わってもらうしかないという判断で親御さんの転院手続きを受諾したんだけどね。あとから確認したら、やっぱり向こうも病気の正体は突き止められなかったみたいなんだ」


(そういえば、具体的な病名とか説明とか、聞いた覚えがないかも……千歳お母さんはそのあたりのこと、詳しく聞いていたのかな)


「にもかかわらず、和歩くんは投薬によって治癒ちゆしたことになっている。……私はここが妙に引っかかってね」


「? でも、転院後すぐに、和歩くんの意識は回復していました。そこから事件当日までは日に日に顔色も良くなっていって……わたしは、そのお薬の治療がうまくいったんだとばかり思っていたのですが……」


「ところが、それは考えづらいことなんだよ。……いかんせん、実際に回復していたというところが話をややこしくしてしまうんだけど」


「どういうことでしょう?」


「和歩くんに投与された薬の情報については、医療データベース上に共用の記録が残っていてね。それを見る限り、確かに細胞死の進行を遅らせるのに有効な薬が使用されていた。ただ、それはすでにうちでテスト済みで、“症状の改善自体は不可能である”と断定した薬だったんだよ」


「!」


「もちろん、申し送りはあらかじめしてあった。つまり、あちらさんは何か別の治療を平行していた可能性が高い。が、その治療に関する記録は見当たらないし、直接問い合わせてみても、要領を得ない回答が返ってくるばかりだ」


「……あの、先生。憶測おくそくでモノを言いますが」


「いいよ、言ってごらん」


「わたしはお見舞いで、何度も和歩くんの病室に行ったり本人ともお話ししていました。でもお薬以外で特別な治療を受けていたような気配はなかったんです。……なので」


「うん」


「その処方されているお薬自体がニセモノ(・・・・)という線も、考えられるのではないでしょうか」


「――奇遇きぐうだね。あなたもそう思ったかい」


 院長は立ち上がり、窓から外の景色を見ながら言った。


「まさしく、私はその線を疑っている。ただ……司法解剖も含め、警察の捜査で特に不審な点は出てこなかったそうだ。加えて、そもそも和歩くんの死因は絞首こうしゅによる窒息死となっているし、あちらさんはこの件に関して、真実を追求しようという姿勢も誠意もまるで感じられない」


「……」


「好意的に受け止めるなら、和歩くんの一時的な復調は何か私の知らない東洋医学的なアプローチによる成果だったのかもしれない。しかし亡くなる直前の不可解な昏睡こんすいしかり、あまりに状況が不自然といえる。……さしずめ、佳果くんもそう考えて昨晩ここへやって来たんじゃないかな」


「……先生は、彼にもこのお話を?」


「いや、どうやら彼は“病気の正体が解明できなかった事実”だけを確認したかったみたいだね。うちとあちらさんの診断結果について少し説明したら、そそくさと出ていってしまったよ」


「そ、そうですか(あれ? なんだろう、この違和感……)」


「いま聞いたことは、改めてあなたから彼にしてあげるといい。……早く居所がわかって、一緒に心の整理をつける時間を設けられたらいいね」


「……はい、本当にありがとうございます」


「どういたしまして。……また何かあったらおいで。それと、老婆心ろうばしんでこれも伝えておこうかな。大切な人のために、知的好奇心を抑えられないのはわかるよ。私も医者であり、科学者だからね。でも……根を詰めて危険なことに首を突っ込むのだけはやめておきなさい。あなたも佳果くんも、まだ前途ある若者なのだから」


 振り返った院長は、またふっと表情を和らげて微笑ほほえんだ。



 大学病院を後にした夕鈴は、歩きながら佳果の行動を分析する。


(昨日の19時……火葬場で解散した数時間あとだよね。その時点で佳果は“でっち上げ”を確信していて、だから先生にカズくんの病気のことを訊きにきた? そこからもう、ほぼ丸一日くらいっちゃっているけど……)


 依然として彼の所在は霧掛きりがかったままだ。これを晴らすためには、事件の舞台――南藤病院への訪問を、避けては通れぬだろう。

過去一番で夕鈴が喋っている気がします。


※お読みいただき、ありがとうございます!

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