第322話 呵責
(俺のせいだ)
火葬の待ち時間。味の覚束ない食事を口呼吸で飲み込んだ佳果は、「ちょっと腹ごなししてくる」と嘘をついて建物の外に出た。
敷地内にある休憩スペースで、ひとり天を仰ぐ。今頃、母と弟だったものは輪郭を失っていることだろう。
快晴の空は眩しく、あまりにも広い。見つめていると、際限なき蒼の世界に吸い込まれそうになる。いっそ、このまま消滅できたらいいのに。
(……ざけんな。てめぇにはまだ、やることがあんだろうが)
悪魔のささやきを払い除け、そばにあったベンチに腰掛ける。膝にひじを立てて項垂れると、股の隙間から蟻の行列が見えた。せっせと何かを運んでいる。
「……」
自分はこの蟻たちにも遠く及ばぬ存在だ。為すべきことをなさず、その怠惰が愛する家族の未来を奪ったのだから。
――もっと周りを見ていれば。不穏な気配に気づいていれば。“考えること”から逃げなければ。こんな結末、回避できたに違いない。
(俺のせいだ)
大切な人が周りから消えてゆく。だがその呪わしき運命は、愚鈍な己が引き寄せた当然の報いに他ならない。罪を贖わぬ限り、容赦なく次が起こる。ならば今やるべきはただひとつ。
「あいつを……夕鈴を守ると誓え」
口に出して言い聞かせる。そう、自己嫌悪に浸っている暇などない。一刻もはやく、真実を追求しなくては。母と弟の死に何らかの“意味”があったとして、それを改ざんし、弄んだ存在を白日のもとに晒す。さもなくば、いずれ彼女にも魔の手が伸び、毒牙に掛けられることになるだろう。
(……んなこと、絶対にさせねぇ。俺が必ず、すべて暴いて――)
「佳果くん」
数歩先から馴染みのない声をかけられた。母の知り合いを自称し、なぜか阿岸家の支援を買って出たという謎の老人――雨知小鉄である。しかし顔を合わせたのは今日が初めてで、その名にも覚えはなかった。正直、この状況にかこつけて何かよからぬ企みをしている大人ではないかと疑ってしまう。
佳果は俯いたままそっけなく返答した。
「……いま気持ち悪いんで。あんま人と話したくないんすけど」
「無理もなかろう。本当なら喉も通らぬところを、気迫だけで流し込んでいたようだからな。俺たち大人の顔を立てつつ、夕鈴ちゃんを安心させるために」
「……」
「……ひとつ問いたい。きみはこれからどうするつもりだ」
「どうって……別にどうも。こんな厄介者のことを本当に助けてくれるっていうなら……今までどおり、ただ普通に生きるだけです。まあ中学出たら働いて、すぐに恩を返すつもりっすけど」
さきほど食事の折に聞かされた話によると、いま佳果が住んでいるアパートは大家が気を利かせてくれたそうで、彼が社会人になるまで家賃を免除してくれるとのことだった。その間の生活費用や学校などについても、この老人がいっさいの面倒を見てくれるらしい。
本音を言えば、赤の他人に負んぶに抱っこで暮らすのは甚だ不本意ではある。だが自立しようにも、まだ長い時を要するのは事実だ。当面は甘んじて、己の未熟さを受け止めながら生きるしかなかろう。
「今までどおり、か。しかし……子どもの一人暮らしは様々な危険を伴う。きみが同世代の子と比べて達観しているのはわかるが、それだけで渡ってゆけるほど世の中は単純にできていない。言われずとも、今回の件で身に沁みているとは思うがね」
「……なにが言いたいんすか」
ようやく顔を上げる佳果。その目には案の定、蒼き激情の炎が揺らいでいた。少年にあるまじき炯眼――直前まで逡巡していたが、もはや迷う余地はない。彼の行く末を案じ、小鉄は“道”を示すことにした。
「道場に来なさい」
「……!」
「さすれば、きみの渇望する“強さ”を授けると約束しよう」
「……」
「無論、強いるつもりも、急かすつもりもない。今はそういう身の振り方もあると、心に留めておくだけでよかろう。ただしこれだけは忠告しておく。きみの生き方を決められるのは、あくまできみ自身だけだ」
小鉄は憂いを帯びた表情のまま、静かに去っていった。
強さ――そう。まさに目下、早急に手に入れなくてはならぬ代物である。偽装を暴き、夕鈴を守り、罪を償うために。だが強さとは与えられるものにあらず。怠惰を戒め、己の手で掴み取る真の未来に同義である。
(……やってやる。誰にも頼らずに、俺ひとりの力で)
立ち上がり、覚悟を決める佳果。もう“考えること”からは逃げない。
「――?」
ふと、火葬場の出入り口に目がいった。屋内に人影がある。遠目のため出で立ちまではわからないが、どうやら母の火葬炉前に立っているようだ。
(……スタッフの人か……?)
否、それにしては不自然に直立不動で、何か仕事をしている素振りもない。佳果は妙な胸騒ぎを覚えた。正体を確かめるべく、おもむろに火葬場へ足を向ける。
刹那、唐突に人影が振り返り、はたと目が合った。その視線には深い悲しみと怒りの念、そして底知れぬ悪意が感じられた。思わず全身が総毛立つ。あれはおそらく、そっちの関係者だ。
「……!」
佳果が走り始めると、人影はすぐに死角へ姿をくらました。その跡を脇目も振らずに追いかける彼であったが――結局どこを探しても発見できず、この日、人影が何者なのか突き止めることはできなかった。
◇
「忌々しいガキどもめ……」
従業員用の通路を使い、外部へ脱出した七三分けの眼鏡の男。白衣を靡かせ、彼はよろよろと裏手にある小型焼却炉に辿り着いた。
(あと一歩で薬は完成していた……千歳さんは正気に戻り、僕との愛を思い出してくれるはずだった……なのに……)
男は懐から小瓶を取り出すと、憤怒の形相で灰出し口を蹴破り、燃焼している炉のなかへ薬をぶち撒けた。
(紛いもの風情がぁ……! 貴様らさえ生まれてこなければ……!)
男にとって、千歳が和歩の後を追ったのは想定外だった。そしてそれは、先ほど佳果の視線に感じた“彼女の意志”もまた然りである。
「……地獄の底で指を咥えているといい、阿岸直幸。貴様の遺した偽りの愛も、あと一匹始末すればしまいだ。完膚なきまでに断罪したのち、僕は必ずあの世で彼女と本当の愛を育んでみせる。この僕を……友を裏切ったこと……死してなお後悔させてやるぞ……フフ……フフフッ……!」
少年佳果は、自分が何かから目を背けてきたと思っているようです。
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