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第321話 見知らぬ少年

『…………』


 シムルによる前世の追体験。その過酷な顛末てんまつを見届けた黒龍クルシェは、やるせない表情で目を閉じた。


(……彼の意識はもうじきここへ戻ってくる。しかしその前に、改めてこの続きを確認しておくべきだろう。我々(・・)が現在どのような状況に置かれているのか――それを肝にめいじるためにも)


 クルシェによる“神の視点”が、再び過去の因果律を捉えてゆく。



 小ぢんまりとした斎場さいじょうのなか。大小だいしょうふたつのひつぎを前に、うつろな瞳をした少年がたたずんでいる。その痛ましい背中にかけるべき言葉が見つからず、幼馴染の少女は数メートル後ろで立ち尽くし、静かに泣いていた。


(佳果……)

 

 ――不治ふじの奇病におかされ、意識不明となった息子の首をめて殺害。その後みずからも何らかの手段をもって窒息死し、心中しんじゅうげたかなしき母親。現場に残されていた痕跡こんせきから、大人たちは阿岸家に起きた惨劇をそう結論づけたようだ。しかしたとえ天地がひっくり返ろうとも、斯様かような馬鹿げた話、起こるはずがないのだ。


(病気が再発したから手にかけた? ……そんなわけない。千歳ちとせお母さんは、最初にカズくんが助からないって言われたときもあきらめずに可能性を模索もさくしていた。強くて、優しくて……本当に家族思いの人だった。それなのに、佳果を独りぼっちにして居なくなっちゃうなんて……絶対に、絶対にあり得ないんだから……!)


 ぎゅっと握りしめたこぶし小刻こきざみに震える。阿岸家のきずな間近まぢかで見てきた夕鈴にとって、今回の件はあまりにも荒唐こうとう無稽むけいだった。にわかには信じがたいが、何者かが故意こいに仕組んだとしか考えられない。

 だが両親にそう主張したところ、父は「お前の言うとおり、不自然なのはみんなわかっている。でも……現状それを裏付ける証拠がないそうなんだ」と目をせてしまった。つまり、大人たちでさえ太刀打たちうちできない巨大な闇が背後にあると考えてしかるべきである。


(……いったい誰が、どうしてこんな…………ううん……わたしは今まで、なにを見て生きてきたの……)


 虚偽と真実をすり替え、人を破滅させんとする悪意の存在。それが自分にとって最も大切な人たちをしいたげたという現実。

 「子どもだから」は言い訳にならない。佳果のそばにいながらこの運命の帰結を許してしまったのは、黒にまみれた大海たいかいを知らず、井の中にあり続けた己の卑小ひしょうさが招いたことなのだから。

 無力の感情に支配され、夕鈴は止めどなく涙を流した。


「――これだけですか」


 不意に、白い口ひげをたくわえた喪服もふくの老人がやってきて、奥にいる両親に小声こごえで話しかけた。“これだけ”とはおそらく、この場の人数を差しているのだろう。無理からぬことだ。押垂おしたり夫妻と夕鈴、佳果を除けば、あとは葬儀屋のスタッフしか見当たらないのだから。

 そのままひかえ室に入ってゆく三者さんしゃを見て、夕鈴はそっと後を追いかけた。ドアは開けっぱなしになっており、耳をそばだてれば会話が聞こえそうだ。


「あなたは、雨知あまち道場の……」


「ええ、雨知小鉄(こてつ)と申します。……実はと千歳さんには、ちょっとした縁がありましてね。家内かないはいま遠方えんぽうにいる関係で来ることができなかったのですが、ならばせめて私だけでもということで、こうしてせ参じた次第です」


「そうだったんですか……私どもは、阿岸さんの家の近所に住んでいる押垂と申します」


「千歳ちゃんや直幸なおゆきくんとは、二人がまだしてきたばかりの時からの付き合いでした。……二人ともすごく素敵な人で……歳の近い子どもがいたのもあって、日頃から懇意こんいにしてくれていたんです。それが……直幸くんに続いて、まさかこんなことになるなんて……」


 両手で顔をおおう夕鈴の母。小鉄は「……お気の毒さまです」と、悲しくもどこか安堵あんどしたような表情で返した。


(死因が死因なだけに、純粋にとむらってくれる参列者はいないやもしれぬと思っていたが……この夫妻や娘さんも、心から故人をいたんでいるのが伝わってくる。そこだけは不幸中の幸いか)


 ちらりとドアのほうへ視線を向ける小鉄。

 壁際かべぎわから半分(のぞ)いていた夕鈴は、あわてて顔を引っ込めた。


「それで雨知さん。さっき受付で、施主(せしゅ)を申し出たとうかがったのですが……一体どのような経緯いきさつで?」


「はい。今回の葬儀そうぎは本来、直幸殿が喪主もしゅを務めるのが通例です。しかしご存知のとおり、彼はいま行方不明の身。……そしてどうやら、阿岸家の親族方しんぞくがたはこぞってご遺体いたいの引き取りを拒否されているようで」


「! そ、そんな……なぜ……」


「……聞けば、直幸殿はまだ失踪宣告しっそうせんこくを受けられる時期に達していません。その関係で遺産相続などの手続きが宙ぶらりんになっており、各種引き継ぎが難しい状況になっているとか。加えて千歳さんは、過去に原因不明のぜん生活せいかつ健忘けんぼう――重度の記憶喪失になった病歴があると発覚しています。……そんな二人の息子である和歩くんは、直近で生命をおびやかすほどの奇病をわずらっていた」


「……」


「こうした尋常ならざる背景を聞いて、皆一様みないちよう尻込しりごみしてしまったようですな。何より、此度のことは世間的に“事件”というくくりにされています。触らぬ神にたたりなし……差し詰め、そういうことなのでしょう」


「……なんという……」


「学校などの公共機関についても、同様の理由から参列を見送ったものと思われます。……ともあれ、今回はやむを得ず佳果くんが喪主もしゅ相成あいなりました。ですが、いかんせんあの子はまだ年端としはも行かぬ少年です。精神的にもこの苦境くきょうをひとりで乗り越えるのは困難でしょう。そこで私は家内と話し合い、施主を申し出ることにしました。前後にかかる諸費用についてはもちろん、今後は全面的に阿岸家の後ろだてとなる所存です」


 右手のこぶしを胸に当て、りんと宣言する小鉄。

 押垂夫妻は彼のんだ瞳に、一縷いちるの希望を垣間かいま見た。


「ありがとうございます……きっと千歳ちゃんも、雨知さんのようなおかたが名乗り出てくださって、喜んでいると思います」


「微力ながら、私どももできる限りの協力はさせていただきます。必要なことがあれば、何でもお申し付けください」


御心みこころ、痛み入ります。では以降の段取りについて、改めて確認を――」


 打ち合わせが始まり、夕鈴はそっとその場を離れた。

 改めて、この世が不条理で満たされていることを思い知らされた気がする。それでもなお、信用できる大人がいてくれる事実には救われるが。


(……でも……)


 佳果の胸中きょうちゅうはかり知れない。まだ中学にも上がらぬ身空みそらで、家族全員を失うという悲劇。挙げ句、絶望のふちに差し伸べられるのは身内でなく、他人の手ばかりなのだ。


 彼は今、どれほど明日をのろっているだろうか。

 どれほど孤独にさいなまれているのだろうか。


 うつむいたまま、とぼとぼとホールに戻る夕鈴。刹那せつな、彼女は不注意にも、誰かの身体にドンとぶつかってしまった。


「っ! ご、ごめんなさ……」


「おいおい、ちゃんとマエ見ないと危ねえだろ?」


 鼻を押さえながら、恐る恐る声の主を確認する。

 すると、そこには見知らぬ少年が立っていた。


(え)


 ――いな、彼は阿岸佳果その人だった。

 ただ一瞬、誰だかわからなかったのである。

 だって、彼はいつもと変わらぬ調子でニカッと笑っていたから。


「俺なら大丈夫だ、夕鈴」


「……」


「だからさ。そんなに泣くなよ」


 ハンカチで涙をいてくる佳果。その笑顔があまりにいびつで、はかなくて。夕鈴はいよいよ、大声で泣いてしまった。

佳果の過去編です。


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