第318話 狂気
「く、来るな……!」
もう何度目であろう。迫りくる魔獣――否、それよりもっと恐ろしい未知なる醜怪に貪り喰われるのは。頭をかかえて小さくなったシムルは、咀嚼の瞬間をただ震えて待つしかなかった。
「!!」
直前の恐怖を引きずったまま飛び起きると、もはや見慣れた光景が広がっている。そう、ここは深夜の病室。あの晩に戻ってきたのである。
「はぁ……はぁ……また、失敗か……」
理由はわからぬが、彼はこの理不尽なループから抜け出せずにいた。しかも毎回、敵の数や配置、退路が微妙に変化するせいで攻略の糸口がまったく見えず、依然としてゴールがどこなのかすらわからない。彼の心は摩耗の一途を辿った。
(いつまで続くんだ……もういっそ、本当に――)
すっかり憔悴しつつも、ちらりと時計を確認する。リスポーンした直後、つまり起きてすぐの30分間、何も起きないことは検証済みだ。しかし部屋の入口には決まって鍵がかけられており、なぜか窓も消失してしまっているため、逃げ出すことは不可能。よって今は刻一刻と迫るデッドラインに打ち震え、この逃走劇を終わらせる方法を考えるほかにない。
(異臭がしたら、まもなくゾンビが鍵をあけて入ってくる。それを合図に、速攻で部屋を出て右へ、途中の階段を下に降りたら左へ……ここまでは確定事項だ。問題はその後どのルートで逃げるかだけど……結局どこを通っても、なぜか最後は袋小路に行き当たってしまう。なら、どこかに抜け道は……)
そういえば、最初に意識を失ったときに通ったあの長い廊下。あそこはあれきり見ていない気がする。これまで動転していて頭が回らなかったが、よく考えると、意味深な会話を繰り広げていた二人組にもあれ以降遭遇していない。
(あいつら、おれが倒れてる前で嬉しそうに薬の完成がどうとか言ってたっけ。片方は西沖院長……もう片方は名前を聞く前に気絶しちゃったからわからないけど、たぶん声色的にも神社にいたおっさんと同一人物のはずだ)
ともすれば、“薬”という単語には符号する点がある。察するに、自分が服用させられている怪しい錠剤のことを指していたのであろう。その薬のおかげで体調は回復し、実際に細胞死も止まっていると担当医は言っていたが――やはり何らかの副作用があったと考えるべきか。
(他に手がかりになりそうな言葉は……確か「ペース」やら「進捗」やら、計画めいた発言もしていたよな。つまりおれがこうなっているのは、何かの途中経過ってこと? じゃあ、あいつらが目指してるものって…………まさか)
ふと、名前のわからぬ方が「正気に戻す」という表現を使っていたのを思い出す。――果たして、今の自分は“正気”といえるだろうか? 答えは明白である。
「くそっ……! こんな“狂気”、おれひとりだけで十分だよ!!」
孤独に叫び、ぜえぜえと肩で息をするシムル。しかし、ここまできて真実を追求せず追体験を終わらせてしまっては、それこそ奴らの思う壺かもしれない。悪意に踊らされぬためには、自分が死んだ原因をもっと深く理解する必要がありそうだ。
「なんとしても見つけてやるぞ! この霊感に対処する方法を……!」
◇
「身体に異常はないんですけどねえ」
ベッドに横たわる和歩を見て、担当医が難しい顔をする。再び倒れた息子は、命に別状こそないものの、またもや原因不明の昏睡状態に陥っている。この病院ですら匙を投げる事態に、千歳はひどく落胆していた。
「……本来なら大元の病気を治すこともできなかったはずですから。先生方には心より感謝しております。あとはこの子次第なのかな、とも思いますので……」
「そう言っていただけると助かります。……では失礼。何かございましたらお知らせください」
おもむろに退室する担当医。窓からそよそよと風が入ってくる。千歳は窓台に手をついて、澄み切った晴天を仰いだ。佳果や夕鈴は、まだこのことを知らない。今日の下校後、お見舞いのタイミングで知らせることになるだろう。二人はまた絶望するに違いない。
「うう……」
悲しい。涙が出てくる。あの神社で“浄化の光”を受けてからというもの、かなり持ち直していたはずだったのだが。こうも厳しい現実に直面すると、やはり堪えきれないらしい。千歳は脆い自分が心底嫌になった。今、どんな情けない顔をしているのだろうか。反射の加減を調節して、ガラスに映った己を確認する。
(え――)
そこには、目尻を下げて嬉しそうに笑っている“わたし”がいた。
改めて過酷すぎますね、この親子……。
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