第310話 ノースト
「神霊だと……!? そのようなはずは……」
「無いと言い切れる? じゃあどうして、きみだけが全ての魔物と繋がる魂を持っているんだろう。なぜ生まれたときから傍に魔剣ドゥシュタ・ニル・ガマナが在り、守護魔という役目を負う運びとなったのかな。愛の光を誘発するためとはいえ、ムンディがアスターソウル派遣の筆頭にきみを選んだ理由は?」
「そ、それは…………わからぬ。わかるわけがなかろう」
自分が自分として誕生した背景を知っている者などいるだろうか。否、誰もがその答えを知らぬまま、先天的に備わっていた能力、境遇、環境を甘んじて受け入れ、日々を生き抜いているに違いない。
そこからどのような志が形成され、どのような道を進むことになり、誰と出会って、何が遺るのか――よしんばすべてが自らの選択による帰結であろうとも、"今"を生きる者にその淵源を観測する術はないのだ。
「でも、枷が外れた"今"なら辿り着ける。さあ、恐れずに集中してみて」
「しかし……」
「表層の黒が斥力を起こして、きみのなかで本能的な忌避が働いているのは理解できるよ。けど今は、私が自由意志を度外視して神気を授けた意味をどうか汲み取ってほしい。このタイミングできみが生の動機と本懐に気づくのは、陽だまりの風として重要な仕事なんだ」
「!」
月読命の指摘どおり、ノーストはこれまで己の魂を捉える機会を本能的に遠ざけてきた。正直なところ、それが普段精霊や神仏といった上位次元の存在に向けている色眼鏡――斥力に由来した同族嫌悪だったという実感はある。
どうやら月読命は、その同族嫌悪を乗り越えて深層の光に意識を合わせろと言いたいらしい。重要な仕事と付け加えたのは、遂行できなければ陽だまりの風に支障が出ると暗に警告しているようにも聞こえた。逡巡するノーストを見て、ガウラがつぶやく。
「……とんと事情は見えぬが。ひとつだけ確かなことがあるのう」
「ええ。つまり今度は、ノーストさんの番がやってきたというわけですね」
「なはは! なーんか躊躇ってるみたいけどさぁノスっち。要はあんたが"自分はすごい魂だった!"って認めちゃえばいいだけの、簡単ちぃな仕事だろ? そんなのここにいる三人はとっくに知ってるんだしさ。今さら隠してもしょうがないじゃん!」
(なんだその"簡単ちぃ"とは……)
「ふふ、彼らの言うとおりだよ。きみは陽だまりの風に乗った刹那の闇。今こそ、あのときの約束を思い出して!」
以前、白竜と化したホウゲンが放っていた言葉を引用し、意味ありげに焚きつけてくる月読命。ノーストは呆れ顔でひとつ深呼吸すると、佳果たちを思い浮かべた。瞬間、不思議と自らを識る抵抗感が薄れてゆく。
(……神霊上等。あやつらと、こやつらのためにも。吾がなぜ吾たり得るのか――見極めさせてもらおうか)
刹那、ノーストの光が一帯を覆い尽くした。
◇
遠い昔のこと。金色の雲海に浮かぶ、白い柱がたくさん立ち並んだ神殿のような建造物の内部で、二柱の神が会話していた。
『やあホウゲン、ここにいたのか』
『……誰かと思えば"ツキの"か。何用だ』
『定刻になっても姿がみえなかったから、迎えにきたんだ。……みんなとても心配していたよ?』
『……ふん。おれが出ようが出まいが、さしたる影響もあるまいに。神議りなど、穢れなき誠神連中だけでやっていればよいのだ』
『ふふ、そう言っているわりには、わざわざ天界まで戻ってきたんだね? 黄泉比良坂から遠路はるばると』
『……』
『本当はきみも、最初から出席してくれるつもりで――』
『どうにも緊張感が足りんようだな。この際だから忠告しておこう。お前たちが出雲の領域に出払っている今、有事の危険性は甚だ高まっている。ここで慎重を期さずして、如何に他星の謀略を阻止できようか? まったく……必要な恒例行事とはいえ、迂闊なことこの上ない』
『……なるほど。まあそこは心配しなくても、御主とスーリャがうまくやってくれていると思うけどね。でも今の言葉で、きみがこの地球を大切に想ってくれているのはよくわかった。当代の禍津神はとても優しいって、戻ったらみんなにそう伝えさせてもらうよ』
『や、やめろ気色の悪い……』
『おい、見つけたぞ!』
不意に空から颯爽と現れたのは、ホウゲンと同じく二本角を生やした神だった。彼は少し慌てた様子で両者の前に降臨したが、月読命を見て目を丸くする。
『ぬ、随分と珍しい組み合わせではないか。何かあったのか』
『なに、別段行くつもりのない会議の招換に付き合わされていただけだ』
『会議? ……ああ、出雲の。そういえばもう、そのような時節であったな』
『こんにちはノースト。相変わらず、直毘神として彼を助けているんだね。……それで? 今しがたの"見つけた"とは、何を意味するのかな』
にわかに、穏やかながらも迫力のある表情に切り替わる月読命。ノーストはちらとホウゲンに目線を送り、意向を図った。
『言っても構わん。こいつに角はないが、その手の事情には比較的理解がある』
『心得た。……セレーネよ、うぬも耳にしていると思うが、昨今の幽界は混迷を極めている。特に近頃の魔境は、あまりにも異様な情況だ』
『……具体的には?』
『修羅道を選んだ者において、魔珠の獲得や武の向上を目的としない、不純な殺戮が急増している。奴らは血に飢えた享楽的な狼藉を繰り返すうち、自らの負の生命エネルギーを暴走させ、やがては強力な魔獣へと変貌を遂げる』
『そして集落や里などを、片端から滅ぼすようになるわけだ。これは縄張り内で餌を探し回っているだけの他の魔獣とは一線を画す。加えて、なまじ戦闘力に秀でているせいで、度胸試しに太刀打ちしようと息巻き、犬死にする空け者が後を絶たない』
『ふむ……現地の魔物たちが手に負えない脅威の発生か。確かに、瘴気問題で逼迫しているムンディの負担を考えても見過ごせない情況だね。すると"見つけた"というのは差し詰め、そのなかでも突出した力量のある魔獣さん、とかかな?』
『然り。まあ、本来そういう時のために仏力が控えているのだが……いかんせん、最強格のゾグが難色を示した兇手でな。液状の珍妙な生態を持っていて、先日アパダムーラと命名された』
『! アパダムーラ……稀代の牛頭天王でさえ、手に余る相手であると?』
月読命が驚いたのも無理はない。幽界には牛頭天王や不動明王といった仏が、連合を組んで常在している。これは斥力によって彼の次元へ干渉できない誠神に代わり、秩序を保つために置かれた特別機構だ。しかし、中でも特に平定するちからに長けた前者のトップ――ゾグが対応できない案件となると。
『畢竟、上位かつ黒をいなせる、おれたちが出張る他にない。そこでノーストには、天界からアパダムーラを捕捉するための座標を探ってもらっていた次第。それが判明した今、時は満ちたといえるだろう』
『……』
『だがいくら吾らの神気といえども、ゾグの仏力で捕縛できぬ相手を無条件で制圧できる可能性は低い。そも神気は、そうした用途に向いておらぬからな……つまり選択肢は、別のかたちで斥力を無視できる特殊な切り口に限られる』
『特殊な切り口……そうか。龍神時代の長かったホウゲンなら、魄の貯蓄を利用できるわけだね』
魄とは、神々の掲げる禁則――自由意志の侵害に抵触せず、また次元間における理の隔たりをすり抜けて、神意を具現化する力である。主に龍神が、己の功徳を変換して扱える権能だ。
『ああ。だがおれは、この機に乗じて星魂に付け入ろうとする輩にも目を光らせておく必要がある。……たとえ上がどんな予防策を講じていようともな。よって目下、本霊はここに残し、魔境には分霊を送る算段だ』
『ただし、相手の実力からして分霊程度のエネルギー量では制圧はおろか、膠着状態に陥るのが関の山。ゆえに此度、ホウゲンには"封印の魄"を付与した刀剣としてあちらに顕現してもらう。そして現場でそれを揮い、奴を僻地の底へ沈める役は吾が務める。無論、そちらは本霊で臨む所存』
『え? ノースト、それってつまり……』
『うむ、吾は魔境へ転生する。そのための手筈もすでに整えてある』
◆補足
黄泉比良坂というのは、現実世界と幽界のはざまのような次元を指しています(数字的には3.05次元くらい)。ホウゲンは5次元より上の神様なので本来その次元には留まれないのですが、魄を消費することで無理やり可能な状態にしているそうです。
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