第307話 ただの賢者
「! そ、そんな……」
ガウラの告白に愕然とする昌弥。彼が慈善的な人物なのはよく知っている。しかし仲間に黙って命を削るほど、苛烈な想いを抱えているとは思い至れなかった。いつも朗らかな裏で、斯様な闇を引き連れていたとは――過去の映像を視たばかりなのも手伝って、やるせない気持ちが溢れてくる。
「……」
いっぽうトレチェイスは、出処のわからぬ強い感情に支配されていた。
本当の自分と出会うべく全てをかなぐり捨てた先で、それが幻想だとわかったときの絶望。その淵に響きわたる己の声こそが、内なる叫びであると知ったときの衝撃。そしてやっとの思いで与えることのできた愛は、大切なものと引き換えに朽ちゆく、歪なかたちをしていたという真実。
(な、なんだこれ……? どうして涙が……)
訳もわからず啜り泣くトレチェイス。つられて昌弥も貰い泣きを始めた。彼らの目から流れ落ちる雫に、ガウラの神妙な表情が映っている。
三者の情動に触れた賢者は、人知れず納得した。
(なるほど。ここにいる者は全員、誰かのために命を懸けた経験があるんだね。……きみも含めて)
儚げな賢者の視線を躱し、ノーストはゆっくりと目を閉じた。
「……吾とて、かつては自刃の計画を目論んだ身。それを棚に上げ、知れた講釈を垂れるつもりなど毛頭ない。だがめぐるよ……吾らはもはや、孤独の渦中にはないはずだ。うぬを独りたらしめているのは、うぬ自身の心であると――そろそろ認めてもよい頃合いではないか?」
「……」
ノーストの言葉を聞いた瞬間、めぐるの脳裏に数多の顔が浮かんだ。両親、家政夫、中高の同級生や不良たち。具治、カナヘビの店主、組長と親父さん、依帖先生、陽だまりの風、フルーカ女王にウー、そして里長や眼前の仲間たち。
――彼らとの出会いが一つでも欠けていれば、今の自分が形成されることはなかったであろう。ゆえにその恩を返すべく、これまで光と闇のはざまで擦り切れる選択を厭わなかったが。
(わしは…………自分は…………)
『誰がために剣を揮うか。それはわしのためであり、お主のためでもある。何故なら我らは一心同体――いつ何時も連れ立だってきた、魂の同胞なのだから』
「!」
不意に自らの生命エネルギーがガウラを象り、めぐるの魂に語りかけてくる。
『だからめぐるよ。わしに固執するでない。そのようにせずとも……光は常に、お主とともにある。お主の周りにだって、無限に広がっているんじゃ』
「ガウラ……」
『ヌハハ! 然らば、今度こそ大丈夫じゃな? わしとめぐるを隔てるものなど、端から存在せんわい! 人の理に想いを結ぶ。そこから伸びゆく道は、いつもひとつに繋がっておる。ゆめゆめ忘れるでないぞ』
にっこりと笑ったガウラは賢者に向き直ると、『あとはお頼み申す』と言ってウインク混じりで二指の敬礼を送った。そうしてめぐるの魂に融けゆく彼を見届けながら、賢者が小さく「承知したよ」と呟いた直後のこと。
「ぬ」「あっ!」「おぉ!?」
めぐるの生命エネルギーは、にわかに本来の大きさを取り戻すに至った。
◇
「……そろそろ落ち着いたかな?」
賢者が柔らかな声色で確認する。ひとまず洞穴の外に出た一同は現在、安全地帯で焚き火を囲んでいるところだ。試験以降、何かと動揺してばかりの四名であったが、ようやく平静を取り戻しつつある。
「悪かったなぁ、すっかり取り乱しちまって……おれっちはもう平気だぜ」
「オレも大丈夫です。ガウラさんは?」
「うむ、問題ないぞい」
「……であるならば、先ほどの件について改めて問うとしよう。賢者――いや、この場は月読命と呼んだほうが適切か」
「ふふっ。まあこれからする話に耳を傾けてもらうには便利かもしれないね、その名も」
「へ……」「い、今なんと!?」
さらりと明かされた事実に驚嘆する昌弥とガウラ。
その横でトレチェイスは首をひねり、ハテナを浮かべている。
「ん? キヨミ……ノミコ? なんだって?」
「ト、トレチェイスさん! このかたは……!」
「か、神様じゃよ神様!」
慌てて取り繕う両者をよそに、彼はあっけらかんと続ける。
「神ぃ……? 神って確か、少し前に兄上やノスっちを向こうの世界に送り込んだとかいう……」
「それは魔神ムンディのことだね。私と彼とでは、少し立場や役割が違うかな。黒に対して斥力が働かない一点においては、同じ神霊といっても過言ではないけれども」
(ふむ……?)
ガウラは関連する情報を思い起こした。チャロ曰く、夕鈴の守護神となっていた禍津神ホウゲンが、丁度そのような性質をもつ一柱であったとか。すなわち月読命もまた、魔神と誠神のあいだにある存在なのかもしれない。
――ともあれ、本来ならば凡そあり得ぬ高次の御魂との邂逅。ガウラも昌弥も非常に緊張している様子だ。その態度が心苦しかったのか、月読命は相も変わらず穏やかに笑った。
「ああ、ごめんね。神といっても別に偉いわけではないから、私を敬う必要はないよ。どうか肩の力を抜いて、ただの賢者として接してほしいな」
「……ただの賢者というのも妙な話だがな」
「とりあえずおれっちは、わかりやすくツキっちと呼ばせてもらうぜ!」
すこぶる謙虚な神に、まったく物怖じしない二人。人間の感覚が根強いガウラと昌弥は、顔を見合わせて苦笑した。さすがに愛称は畏れ多くもあるため、以降は賢者呼びを貫くべきだろう。
「――さて、じゃあ本題。まずはノーストの問いに答えるところから始めようか」
トレチェイスが涙した理由は第216話で語られています。
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