第301話 違和感
「なんと……賢者殿であらせられるか! 貴殿の御高名はかねがね……!」
ガウラが挨拶がてら、握手を交わそうと歩み寄る。
以前、もう一人の賢者 兼 里長である周治刻宗の助力を得た際に、ノーストは眼前の人物から『結界と愛珠の関係性』を詳しく教わったことがあると話していた。同時に夕鈴とトレチェイス失踪の件について、何らかのかたちで関与していた可能性も高い存在だったはずだ。
(加えて……わしが古代魔法に触れた折、本来会っていたやもしれぬ御仁じゃな)
ウーやフルーカのちからを借り、"書庫"を閲覧するという裏道を通ってきたガウラにとって、彼との邂逅はある種の本道ともいえる、いずれ果たすべき必然のイベントであった。お近づきの印として差し出されたゴツゴツの手を見て、賢者は嬉しそうにそれを取る。
「ふふ……どうやらきみが、此度の資格者のようだね」
「? はて、資格者とは……」
次の瞬間、賢者から立ち昇っていた銀のオーラが赤くなり、ガウラを包み込んだ。どこか様子がおかしい。
「! ガ、ガウラさん!」
「お、おいおい賢者様よ、ガウっちにいったい何をするつもりだ!?」
「――心配しないで。青生生魂を扱うに足る魂かどうか、確かめるだけだから」
その言葉を聞き、ノーストの脳裏に当時楓也が言っていた"試験"の二文字がよぎる。
(……案の定、ディメンションアイテムの洗礼を受けなくてはならぬらしいな。もっとも相手は賢者の名を冠し、この魔境に顕現せしめた月の意識。まして、ガウラも並々ならぬ光をもっている人間だ。ここは両者を信じ、見守るしかあるまい)
刹那、賢者はガウラの持っている記憶の世界を覗いた。
◇
『誰がために剣を揮うか。それはわしのためであり、お主のためでもある。何故なら我らは一心同体――いつ何時も連れ立ってきた、魂の同胞なのだから』
「~~! やっぱり何度プレイしてもカッコいいなぁ、ガウラは!」
中学に上がったばかりの須藤めぐる。彼は幼少期から親しんできたゲームのワンシーンを見て、思わず感嘆の声を漏らした。もう何周したかわからぬが、やり込むたびに新たな発見があり、その時々で受け取れる教訓も変化するこの作品は、今後もずっと飽きずに楽しめることだろう。
(自分もガウラみたいになりたいな! 人を助けるのは当たり前……それでいてみんなを縁の下から支えて導いてくれるような、そんなカッコいい大人に!)
興奮さめやらぬ表情でこぶしを握り、自室の天井を仰ぐ。すると不意に、テーブルの上で冷たくなっている夕飯を視界の端に捉えた。あれは仕事で海外へ飛んだ両親に代わり、今日から住み込みで働くようになった家政夫がつくってくれたものだ。一気に現実へ引き戻されためぐるは、はぁと短くため息をついて立ち上がった。
(……お父さんとお母さんは、自分たちにしかできないことをするのに忙しいんだよね。でもそれはきっと、ガウラも一緒で……誰かのために一生懸命がんばってる証拠なんだ。とても素晴らしいことじゃないか。息子がワガママ言って、足を引っ張るわけにはいかない)
寂しさを振りほどき、グラスに入った水を一気に飲み干す。そうして電子レンジを開け、彼は幼い感情で蔑ろにしてしまった料理を温めながら己を省みた。先刻はつい「赤の他人がつくったものなど」と思って知らんぷりしてしまったが。
(……家政夫さんに謝ろう。そして明日からは、ちゃんとできたてを頂こう)
◇
「おーい須藤。折り入ってお願いがあるんだけど」
教室移動で渡り廊下を歩いていると、急に後ろから呼び止められる。めぐるは「え……な、な、なんですか?」と言って硬直した。口下手で引っ込み思案な性格をしている彼は、基本的にクラスメイトたちと絡むことがなく、ゆえに"話しかけられる"という不測の事態に遭遇すると、いつもこのように吃ってしまうのだった。
「はは、なんで敬語? 普通に話していいって。……んー、ここだとアレだから、場所変えてもいいか? こっちこっち」
手招きしながら、有無を言わさず先導する男子生徒。慌てて後を追ったところ、人気のない階段の踊り場に到着した。
「わりぃ、話しづらい内容だったんで」
「……だ、大丈夫。そ、それでお願いって……?」
「――唐突なんだけどさ。おれんち、すんげー貧乏なのよ」
「……は、はぁ」
「どんくらい貧乏かっていうと……そうだな。まともに給食費が払えないくらい」
「……そ、そ、それは……大変だね……」
「おう、惨めだからみんなには黙っといてな? んで、こっからが本題。実はさ……うちの親、めちゃくちゃひどいんだわ」
「?」
「なんか将来的に、偏差値70近い高校を受けさせるつもりでいるらしくて。だから今の時期から勉強やれやれって毎日死ぬほどうるさいんだよ。まだ一年なのにだぜ?」
「……」
話が見えず押し黙るめぐるをよそに、男子生徒は尚も続けた。
「第一、マジでそこ狙うんだったら過去問とか参考書とか、たくさん買わなきゃならんわけ。なのに肝心の金がまったく足りてないっつうか……月にくれる小遣いが少なすぎて、まるで手が届かない状況なのよ」
「……」
「で、親にそれ言うと"勉強は教科書だけで十分"とか言ってきて……じゃあなんで世の中には塾があんだよって感じじゃん? おれ別に天才じゃねぇし、道具も無しに戦えるわけないっしょ。…………あ~つまり、なんだ。おれの言いたいこと、須藤ならわかるべ?」
「……きょ、教材費を、工面して欲しいと……?」
「ッそう! まさにそういうことなんだよ! いやぁ~さすがは須藤、理解が早くて助かるわ! じゃあ協力してくれるってことで――」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「? なんだよ?」
「その……ど、どうして……どうしてそんなお願いを、自分に……?」
「ん? そりゃ決まってんじゃん。お前んち、超がつくほど金持ちなんだろ?」
「!」
「実際、小遣いどんくらい貰ってる? もしアレだったら、そん中からイケる分だけ助けてくれる感じでもいいからさ! 頼むよ、このとおり!」
「……」
めぐるは逡巡した。要するにこれはお金を貸す――否、譲渡する話である。彼の言うとおり、確かに実家は経済的に裕福であり、小遣いに至っては実質無制限。家政夫に欲しいものを伝えればなんでも買ってもらえるし、金額を言えばいくらでも現金を手渡してくれる。しかしその出処が親の懐であるという事実に、拭えぬ違和感が纏わりつくのだ。
「……や、やっぱり、お金のやり取りは……ま、まず大人の許可を……」
「それはダメだ! 大人が出てきたら絶対面倒事になるって! この話自体なかったことにされちまうよ……。なあ、ゴショーだからさ。おれたちの中だけで話進めてくんねーかな? こんなこと頼めるの、お前しかいないんだよ……」
「…………。きょ、教材費は……いくらくらい必要なの?」
「! とりあえず、受験に必要な全科目分をカバーすんのに二万くらいは……ああ、でも問題解き終わったら、また別の参考書を買わないと。って考えると、できれば定期的にサポートしてくれたらありがたいんだけど」
「……な、なるほど。……ち、ちなみに……勉強するのは、嫌じゃないんだ?」
「へ?」
「だ、だって、要は親の期待にこたえようとしてるんでしょ? 本当は勉強なんかしたくないって思っているなら……こ、こんなお願いはしないだろうなと思って」
「……あ、ああーそうなんだよ! まあ親孝行も兼ねてるっていうか? とにかく、先立つものさえあればすべてがうまくいくはずなんだ。だから明日、金持ってまたこの時間にここへ来てほしい。くれぐれも、先生とかには内緒で頼むぜ?」
「あ……、う、うん……」
なかば押し切られたような気もするが。こうしてめぐるは、クラスメイトに施す運びとなった。依然として先の違和感は消えないものの、少し角度を変えてみるなら、この施しは"自分の境遇でしかできない人助け"とも言えるだろう。実際問題、自分は金に困っておらず、彼は貧しさに喘いでいるのだから。ともすれば、特に悪いことではないのかもしれない。
(……そうだよね。彼は頑張って勉強して、いい学校に入って……親を安心させてあげたいんだ。すごく立派な心がけじゃないか。それを後押ししてあげられるのは自分だけ――ガウラもきっと、「力になってやれ」と言ってくれるはず)
普段ゲーム以外で出費しないめぐるにとって、この金の使い方はむしろ他者を活かし得る有意義なものにすら思えてきた。これはガウラという理想に近づくためのチャンスだ。そう自分に言い聞かせ、男子生徒に金を渡し始めてからしばらく経ったある日のこと。気づけばめぐるは、見知らぬ不良たちに囲まれていた。
大晦日に不穏な感じで恐縮ですが、めぐる回です。
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