第299話 あかし
「トレチェイス殿……!?」
ガウラの頭上で歯を食いしばるトレチェイス。その背には岩型魔獣の滝が傾れ込み、けたたましい衝撃音がのべつ幕なしに鳴り響いている。しかし山の如く構えた彼は、敵の猛攻に押し負けることなく、やがてすべてを凌ぎ切ってみせた。
そうして直前までの土壇場が嘘だったかのような静寂がおとずれると、唖然としていた昌弥がはっとして口を開く。
「っ! 大丈夫ですか、お二人とも!?」
「う、うむ……九死に一生を得るとはまさにこのことじゃわい……。トレチェイス殿、お主にはまこと、なんとお礼を申したらよいか」
「ん? あ、ああ、どうやらうまくいったっぽいな! 儲けもんだぜこりゃ」
「?」
「……話は後だ。とかく今は、そこを渡り切るのに集中せよ。再び奴らのような手合いが現れぬ保証もないからな」
ノーストの冷静な指示を聞き、「おお、そうじゃった!」と我に返るガウラ。足元を見下ろすと、なぜか竦みは止まっており、気づけば冷や汗も引いていた。
――今しがたの勇姿が焼きついて、奮い立っているのかもしれない。
すっかり心身の強張りが抜けた彼を見て、トレチェイスは「この距離なら、おれっちを踏み台にすれば行けるんじゃね? ほれ使っていいぞ!」と気前よく身体を差し出した。その厚意に笑顔で頷いたガウラは、果敢にも立ち幅跳びの要領で向こう岸へジャンプし、見事着地に成功する。
◇
安全地帯に漕ぎ着けた一行は、休憩しながら先の出来事について語っていた。
「うぬ、いつの間に秘奥義を? 当代であれを使えるリザードマンは目下 、パリヴィクシャしかいなかったはずだが」
「へえ、そんなすごいやつだったのか~さっきの」
("超硬化"。アパダムーラ戦で兄上殿が披露していた絶技じゃったな。しかしこの他人事ぶり、もしや……)
「……別に、あのひとから教わったとかじゃないんだ。おれっちはただ、ガウっちを助けなきゃって思っただけで。そしたら身体が勝手に動いてたというかさ。咄嗟に飛び出して間に合ったのもそうだけど、たぶんもう一回やれって言われても絶対無理だぜ? だってやりかた知らないし! なはは!」
そう言って明るく笑うトレチェイスに、だから"儲け"と言っていたのかと昌弥は納得した。確かに無我夢中の時というのは、自分でも信じられないような力を発揮できる場合がある。かつて吊り橋で零子を助けた場面を彼が思い出しているさなか、ガウラは改めて頭を下げると、感謝の意を表した。
「いずれにせよ、お主は身を挺してわしを救ってくれた。……ありがとう。この恩、わしは生涯忘れぬじゃろう」
「! よ、よせやい。まったく大袈裟なじいさんだなぁガウっちは」
「謙遜する必要はなかろう。……吾からも礼を言わせてほしい。本来あの役はこちらで担うべき範疇。しかるに、もしうぬが居合わせなれば失敗していたのは明白だ。危うく佳果たちに顔向けできなくなるところであった……恩に着るぞ、トレチェイスよ」
「ふふ。出会ったばかりの異種族を命懸けで守るなんて、あなたは本当に"世界を愛することができる"ひとなんですね。オレ、心から尊敬しますよ」
「ノスっちにマサっちまで……」
トレチェイスは顔から火が出そうになり、思わずそっぽを向いた。だがこのむず痒くもあたたかい、震えるような喜びはどこかで――。
(……やっぱり思い出せないか。でもきっと、これこそがおれっちの生きている証なんだ。それだけは信じられるぜ)
鼻の下をこすりながら赤い空を見上げる。絶えずひしめく黒雲、彼はその向こう側に、少しだけ手が届いたような心地がした。
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