第298話 窮地
「あちらとは随分、地形が違うんだのう……」
およそ足場とは呼べぬほど、せまい断崖絶壁の道に挑むガウラ。彼は体の前面を岩肌へ密着させ、横向きのまま高所を移動している最中である。遠方にそびえるシーマ山の結界を一瞥して思い出すのは、以前ノーストとあの山を登ったときの場面だ。
(向こうは全体的に急勾配じゃったが、こうした悪路には遭遇しなかった。……やれやれ、冷や汗が止まらんわい)
当時とはまた毛色の異なる洗礼におののく。
その様子を見兼ねたノーストは、落ち着いた声色で言った。
「魔境の山はどこも様々な危険を孕んでいるが、ここはとりわけ峻険な類といえるだろう。ガウラよ、焦る必要などない。一歩一歩着実に、慎重に臨め」
「うむ、かたじけない。……とはいえすまぬのう、わしのせいで予定外の足踏みを」
「とんでもありません! むしろオレたちだけこんな楽をさせてもらっちゃってて、申し訳ないくらいですよ」
「別にこっちのことは気にしなくていいんだぜ? 今は自分の安全を第一に考えてくれよな~ガウっち!」
便乗して激励の言葉をおくる昌弥とトレチェイス。彼らは現在、浮遊魔法で空を飛んでいるノーストの両脇に抱えられている。この魔法は発動中、術者の全身に魔力が循環し続けるため、人間が触れれば自我崩壊を起こしてしまう。よってガウラひとりが困難な陸路を強いられている次第であった。
「恩に着るぞい!」と二人に礼を述べた彼は、ふうと一息つく。
(ようやく半分といったところか。……これほどのスリル、いつぞやに命綱なしで屋上の胸壁を歩かされたとき以来じゃな)
人知れず、現実世界での忌まわしき過去がフラッシュバックする。だが今の自分には、それがちっぽけに思えるくらい、かけがえのない仲間たちがついてくれている。
(……ヌハハ、つくづく恵まれとるなぁ)
勇気を取り戻した彼は、次に手足を預けるべき凹凸の選定に集中した。幸い無風であるゆえ、この調子で進んでゆけば無事にゴールできるだろう。
「――?」
そう思った矢先である。何か嫌な予感がして反射的に頭上をあおぎ見ると、巨大な落石の影がガウラの顔を覆い尽くした。残り一秒足らずで接触すると思われる。
「……!!」
体感速度が急激に変化してゆく。訪れるスローモーションのなか、ガウラの思考は目まぐるしく動いた。
(なぜこんな瀬戸際まで気づけなんだ? ……む、よく見ると目がついておるな。ははぁ、さしずめ魔獣の急襲というわけか。つまりこれを避け損ねればお陀仏……じゃがこうも接近されてしまっては、もはや躱すこともできまい。何よりロケーションが絶望的すぎるのう。仮に回避できたとて、今度は落下を免れん)
以前、里長から聞いた覚えがある。魔境で自損を起こした場合、傷口に大気中の魔のエネルギーが流れ込む影響で、やはり人間は自我崩壊の一途をたどる、と。
――万事休す。静かに目を閉じる彼の無念な表情を捉えたノーストは、即断を迫られる。
(よもや吾の索敵を掻い潜るとは……! 隠密攻撃に秀でた使い手、しかも奴らは集団……!)
ガウラ視点では一体の岩型魔獣が襲ってきたように映っているものの、実際にはそれらの雨が降りそそいでいた。必殺といっても過言ではない不意打ちの初撃、加えて殺意の高い追撃の激流。あの無慈悲な連携を無血でやり過ごすには、一体どうすれば良いのだろうか。
(転移魔法で……いや、此奴らを抱えたままでは受け切れぬ。ならば一度、対岸にワープしてから……駄目だ。そも転移魔法は練り上げる魔力が莫大すぎる。連発すればインターバルが生じてしまう)
目下、斯様なタイムラグは致命的でしかない。
(くッ、ガウラ――)
来たる瞬間を傍観せざる得ない状況に、焦燥を募らせるノースト。このとき、彼が取るべき行動はひとつだった。すなわち、瞬時に昌弥たちを手放し、二人が地面へ落ちるまでの刹那を使ってすべてを処理する方法である。しかしいくら百戦錬磨の彼といえども、その"解"に至るには、与えられた猶予があまりにも短かった。
にわかに張り詰め、殺伐とする空気。
ところがその凄惨な須臾を貫いたのは、目にも止まらぬ速さでノーストの腕をすり抜け、ガウラを囲うように岩肌へと手足を突き刺し、身代わりを買って出たトレチェイスの一声であった。
「させねえってんだよ!!」
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