第296話 魂の栄養
「チャロ! ごめんね、起こしちゃった?」
「いえ、寝ていたわけではないので問題ありません。それよりも……とうとう見つけたのですね、あなたなりの答えを」
ヴェリスと客人らを交互に見つめ、微笑を浮かべるチャロ。にわかに、温泉での一幕が脳裏に蘇る。あのとき彼女が"自分探し"のヒントをくれたお陰で、こうして愛をやわらかくする方法を思いつき、実践まで漕ぎ着けられたのだ。ヴェリスは大きな感謝を込めて、「ん」とまぶしい笑顔を返した。そんな二人の様子に、おじさんとソティラは顔を見合わせている。
「なんだかよくわからねぇが、べっぴんさんが増えたな」
「うん、美しき淑女たちの交流……眼福だねぇ♪」
おじさんよりもおじさん染みた台詞を吐くソティラに、三者がジト目を向ける。しかしおどけたテンションとは裏腹に、彼女は心中であれこれと考えを巡らせていた。
(見た目はわたしより年下っぽいのに、どうにも尋常じゃない風格の子だなぁ。ヴェリスさんと一緒の家にいるってことは、陽だまりの風のメンバー? というか今、とんでもない発言をしていた気がするんだけど……)
「ふふ、御二方とも。横槍を入れるような真似をして失礼いたしました。わたしはA――いえ、チャロと申します。僭越ながら、彼女が出した鑑定結果について補足させていただければと」
◇
「……成長できねぇ、不変の魂……俺が……」
NPCの概要を聞き及んだおじさんが衝撃を受けている。彼は自分以外にプレイヤーが存在するという事実についても、今日に至るまで知り得なかったようだ。その表情は憑き物が落ちたかのごとく穏やかでありながら、抑えきれぬ絶望と好奇心が同居した複雑なものであった。
ヴェリスはあの日のサブリナを彷彿とする。
『我々は生まれた瞬間からこの姿と境遇を与えられており、生涯その宿命が変動することはありません。できるのは決められた役割のなかで日々を生き抜くことだけ……だからでしょうか、フルーカ女王や皆様を見ていると、ときどき羨ましい気分になったりもします』
――きっとおじさんのなかにも、そうした己の存在意義に対する疑念が湧き起こっているのであろう。なぜなら彼は、"闘技場の熱心なファン"という分を越えて別の立場に転じることはできないこと。いわば世界の理に縛られている真実を、深いレベルで理解してしまったからだ。ヴェリスは真剣な顔でうつむいた。
(……ここでおじさんの痛みを和らげてあげられなきゃ、鑑定を受けてもらった意味がない。だってわたしは、みんなが前向きに、幸せに近づけるようにこの活動を始めようと思ったんだから)
だがいくら勇めども、現在有している予備知識だけで彼にかけるべき最適な言葉を手繰り寄せるのは難しい。自分の未熟さを認めた彼女はうしろに向き直り、救いを乞う眼差しを送った。チャロは「わかっています」と言わんばかりにヴェリスの肩へ手を置くと、小さく頷いて隣に座り、話を続ける。
「……おじさん、別段思い詰める必要はありません。たとえ成長できなくとも、それであなたの存在意義や価値が揺らぐわけではないのです。なにせNPCは生きているだけでグナを積むことのできる、唯一無二の素晴らしい存在なのですから」
「ぐな……?」
「功徳、即ち他者を助けた善報として得られる、魂の栄養とでもいいましょうか。あなたはこれまで、闘技場の観戦者として直向きに生きてきました。そのなかで選手たちを心から応援し、励ましてきた想いがグナを生み、魂に蓄積しているのです。視たところ、冥界入りもそう遠くない進捗といえるでしょう。どうかご自身の偉業を誇ってください」
「! べ、べっぴんさんにそう言われると、まあそんなに落ち込むこともねぇのかなって気がしてくるけどよ……しかし冥界なぁ。さっき"来たる転生にそなえて目指してる場所"みてぇな言い回しをしてたが、要するにあの世ってことだろ?」
「平たく申し上げればそうですね。ただ、冥界入り=死ではございません。むしろ、誕生に近い位置づけかと」
「?」
「冥界まで辿り着いた魂はやがて、あちら側の世界に転生できるタイミングがやってきます。つまりNPCとは、グナを以ってこのアスターソウルから羽ばたき、別世界にて"真の自由"を獲得すべく、決められた役割を日々まっとうしている存在なのです」
「あ、あのうチャロさん」
「はい、なんでしょう?」
「あちら側って……もしかしてわたしたちプレイヤーが住んでる、現実世界を指してたり……?」
「そのとおりです」
「え~~!?」
普段ならば荒唐無稽すぎて一蹴する類の与太話。しかしこれまで培ってきた経験則が、"彼女の言に虚偽は含まれていない"と主張している。――かねてより妙なゲームだとは思っていたものの、よもやあの世だの転生だのと、これほど眉唾の事象に関わっていたとは予想外だ。
(……)
ソティラが驚愕している一方。真横でチャロの説明を咀嚼し、ヴェリスは魔境の構造を思い出していた。彼の地もまた、地獄から出たあとは実質的にグナと等しいエネルギー塊である"愛珠"を集めることで、結界と門を越えられるようになり、別世界に移行する資格を得る仕組みだったはずだ。
その移行先が冥界ないしアスターソウルである、とノーストや楓也から又聞きした情報を踏まえると、魂の変遷として考えられる最も長い旅路は、地獄から魔境、魔境からアスターソウル、アスターソウルから冥界、冥界から現実世界というルートになる。
(でもわたしやシムル……チャロも、半分プレイヤーだからなのかな。グナの積み方がNPCと違ってるよね。それに夕鈴たちと同じ世界に転生ができるとわかっていたなら、どうしてチャロは"冥界を目指そう"って、今まで言わなかったの?)
訝しがるヴェリスのモノローグに、チャロは小声で「それについては後ほど」と耳打ちした。ひとまずこの場は、おじさんの鑑定を完遂するのが先だ。
「……正直、急にあちら側とか言われてもあんまピンとこねぇや。でも本当にその転生っつうのができりゃ……俺はプレイヤーになって、今度こそ選手としてあの闘技場に出られる日が来るのかい?」
「もちろん。だからこその今、ですよ」
「……そうか……そうだったのか。……ガッハハ! んじゃ、俺のすべき仕事は相も変わらず、闘技場に入り浸ってみんなを応援することってわけだ。なら落ち込んでても仕方ねぇ! 明日からまたせっせと通うとするぜ!」
「あはは! ナイスポジティブだよ、おじさん!」
すっかり元気を取り戻し、ソティラとピースサインを送り合うおじさん。和気あいあいとした二人の様子に、ヴェリスは胸を撫で下ろしつつ目を細めた。
不意に、再び耳元でチャロの小声が聞こえる。
「ヴェリスさん。この段階で、改めておじさんを鑑定してみてください」
「? ……わかった」
言われるがまま超感覚制御の微調整を再行使し、宇宙の瞳となって彼の魂に焦点を合わせる。するとほんの僅かではあるが、凪だったオーラに変調が観測できるではないか。
(! これ、もしかして――)
「んん? なんだ嬢ちゃん、もう不思議ちゃんの番ってか?」
「ううん、違うの。あのねおじさん、ちょっとステータスって言ってみてくれる?」
「おっとと、ま~た異世界語のご登場か。……ほいよ、ステータス」
果たして立ち上がったのは、プレイヤーたちが閲覧できるものと同じ"ステータス画面"だった。ただし魂のグラフィックを含め、ほぼすべての項目が空欄となっている。唯一、《SS-0(F)》というソウルスプレンダーの表示を除いて。
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