第281話 痕跡
なんとか立ち上がった桐彦は、このまま待機していても福丸が戻ることはないだろうと即断した。すぐ公園を出て、車椅子を走らせながら今後の対応を考える。
(マイクロチップにはGPS機能がないから、アナログで捜索するしかないよな……今だったらまだ手がかりを掴めるかもしれないし、まずは目撃情報を集めるべきか。そのあとは警察にも相談して――)
「わっ!」
道を曲がろうとした瞬間、犬連れのおじいちゃんと鉢合わせた。普段よりも減速が甘かったせいか、驚かせてしまったようだ。緊急事態とはいえ人様に迷惑をかけてしまい、彼はすみませんと何度も繰り返し謝罪する。
いっぽう、その切羽詰まった表情と不自由な足、そして何も繋がれていないリードを見て、おじいちゃんは怪訝そうに「僕は大丈夫。それよりも」と切り出した。
「きみ、たまにこの辺りへ遊びに来てたお兄さんだよね? ……おっきなワンちゃんと一緒に」
「は、はい。…………あっ! もしかして……前に一度、公園のほうで世間話に付き合っていただいたこと、ありましたっけ……?」
「そうそう、その節は楽しい一時をありがとう。……で、今日はあの子どうしたの? ひょっとして、はぐれちゃった?」
「! そうなんです、実は――」
掻い摘んで事情を打ち明けたところ、おじいちゃんは深刻な顔になって「ちょっとそれ貸して」と言い、自分の犬にリードの臭いを嗅がせた。するとすぐに鼻をヒクヒクさせながら二人の誘導を開始し、歩道と道路を隔てている背の高いパーティションのような植樹帯へと突っ込んでゆく犬。
おじいちゃんもそのまま茂み掻き分けて押し通るが、桐彦は車椅子のため、迂回してスロープ状に切り下がっている段差から彼らの元へ急いだ。やがて人通りの少ない小道の路肩にて、犬がわんわんと吠えているのが見えてくる。
「何かありましたか!?」
「うん。あの子、たしか毛色はイエローだったかな」
彼が指差す場所に、僅かではあるが抜け毛が残っている。仮にこれが福丸のものだとすれば、連想される筋書きはひとつだ。
「……信じたくないんですが、やっぱり誘拐でしょうか」
「車が路駐できる位置にこれがあるってことは、残念だけどそうかもしれない。さっきまで居たんだろうね、まだエアコンの排水も乾いてないみたいだし」
一部、地面が黒くなっている。福丸自身も濡れていたはずだが、彼から滴ったという感じの染み方ではない。おじいちゃんの言うとおり、車が停まっていたと考えるほうが自然だ。ならばキャリーケースなどを用いた複数人による共犯の線が浮上してくる。突如として襲いかかってきた悪意に絶望し、桐彦は肩を震わせた。
「うう、福丸……福丸……」
「……諦めるにはまだ早い。僕、近くの交番に行ってお巡りさんに事情を説明してくるね。きみは一旦、ここで待っていてくれる?」
「ぐすっ、わ、わかりました……すみません、ありがとうございます……」
「お安い御用さ。……これがもし本当に誘拐事件なら、僕だって犯人たちを許せない。同じ飼い主として協力は惜しまないよ。ほら、元気だして」
そう言って未開封のどら焼きとあたたかい飲み物が入った水筒を手渡し、軽快に走り去るおじいちゃん。この短期間で一度に人の残酷さと慈愛を味わった桐彦は、しばらくの間、涙を拭うだけで精一杯だった。
お読みいただき、ありがとうございます!
もし続きを読んでみようかなと思いましたら
ブックマーク、または下の★マークを1つでも
押していただけますとたいへん励みになります!