第274話 十分
「ってなわけで、改めてよろしく頼むぜお三方! いや~、それにしても旅に出るなんて新鮮な心地だ! ただ進んでるだけでも楽しいなぁこれ!」
伝説の素材を求め、集落を発った一行。気さくな挨拶を繰り出したトレチェイスは、パーティの最後尾で両手を首の後ろへ回し、鼻歌まじりでのっしのっしと歩いている。その陽気な言動に、ガウラがこそっとノーストへ耳打ちした。
(随分と気丈に振る舞っておるが……たしか、トレチェイス殿はこれまでの記憶を失っているのではなかったかのう?)
(ああ、アパダムーラが討たれたあの時、"儀式"が完成したゆえにな。禍津神にまもられていた夕鈴とは異なり、今のあやつは転生のごとくまっさらな状態で生きている。もっとも、名は以前のままという特例のようだが)
「おっ、なんだなんだ? さっそく陰口でも叩かれちまってる感じかぁおれっち? まあ役に立たないやつが急についてくとか言い始めたわけだし、そりゃ誰だって煙たがるわな。なっははは!」
二人の密談に気づき、なぜか楽しげに自虐を始めるトレチェイス。すかさず昌弥がフォローを入れた。
「ご、誤解ですよトレチェイスさん。お二人はただ、あなたのことを心配しているだけなんです」
「……? おれっちを心配?」
「ええ。あなたは長らく、魔の親玉に魂を支配されていました。そしてそれがようやく解けたかと思えば、今度は実のお兄さんすらマトモに覚えていない状況でこの魔境を処世させられている……傍から見て、とても過酷な運命を辿っているように感じますよ」
「……」
かつて地獄へ落とされ、右も左もわからぬまま魔境へ放り出された昌弥にとって、トレチェイスの境遇がどれほどの辛苦を内包しているのかは想像に難くなかった。無論ガウラたちもその翳を推し量っており――だからこそ、三人は慎重に距離感を測っていた次第である。
「そんな逆境にも負けず、あなたは明るく笑ってオレたちに接してくれますが……もしちょっとでも無理してるなら、遠慮なく言ってくださいね。ここにはあなたの敵なんて、ひとりもいないんですから」
「そのとおりじゃ! ともに旅をする仲間同士、隠し事はなしでまいろうぞ!」
「……何か不足がある場合はすぐに言え。可能な限り善処しよう」
「! ……へへっ、そっかい。ありがとなぁマサっち、ガウっちにノスっちも」
ユニークな愛称を口にし、にっこりと笑うトレチェイス。彼は血のような色の空と黒雲を見上げながら、はっきりと思い出せぬ顔を浮かべて目を細めた。
「でもおれっち、いま本当に楽しいんだぜ? ――誰かがさ、教えてくれたから。おれっちは世界に愛されてるし、おれっちもまた、世界を愛することができるんだって」
(トレチェイス殿……)
「……色んなこと、忘れちまったみたいだけども。おれっちは、そんだけ残ってれば十分なんだ。よって無理も隠し事も、不足もいっさいなし! あるのはで~っかい感謝だけさ! なっははは!」
そう言って、昌弥と肩を組むトレチェイス。バシバシと腕を叩く彼の朗らかな笑い声が、渇いた大地に響き渡った。
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