第20話 色あせた世界
ドクン。
跳ね上がる心臓がとても不快に感じられる。これは楽しくて、空を飛んでいるような気持ちのときの音ではない。おなかがすいてイライラしているときや、殴られてうずくまっているときのような、ひどく耳ざわりな音だ。
ヴェリスは衝動に身をまかせ、襲いかかる男たちを迎え撃つ。
「うぁああああ!!」
「! ダメだヴェリス!」
「おっと、活きがいいな。宿で十分に休めたようだね」
「っ!?」
彼女のパンチは、いとも簡単に止められてしまった。レベルが上がり、少しは強くなったという自信が粉々に打ちくだかれる。振りほどこうとするが、相手の握力が強すぎるのか、掴まれた拳がびくともしない。
「お前の固有スキルがまだクールタイム中なのは知っている。そして我々は全員がエリアⅢ以上だ。この意味がわかるか?」
「くっ……」
ヴェリスの背後に回ったもう一人の男が、彼女を捕らえんと近づいてゆく。佳果はその屈辱的な光景に激怒した。
「くそがぁ!! そいつに触るんじゃねぇ!! ……ぐおっ!」
自分の頭を押さえつけている男が、より力を込めて佳果を黙らせる。地面にめり込む顔面には鈍い痛みが走っている――つまり、この男たちはプレイヤーだ。その事実が余計に、彼の頭へ血をのぼらせた。
(落ち着け、我を忘れちまったら思うつぼだ。クールタイムはあと……6秒。5秒、4秒、3秒…………よし!)
「サプレッション!」
「!?」
刹那、佳果の身体から金色のオーラが立ちのぼる。うっとおしい腕をぶん殴って吹き飛ばすと、強制的に拘束を解除された男は、そのまま数メートル向こうへ投げ出されて意識を失った。
「な、あいつの固有スキル……クールタイムがたった10分なのか!?」
「これは誤算だったな。だが――」
佳果は不自然にガクガクと震えていて、意識がもうろうとしているのか目の焦点が定まっておらず、足取りもふらついている。
「佳果!? ……お前ら、佳果に何をした!!」
「ん? まあ減るもんでもないし、教えてやってもいいか。あいつはさ、隠しステータスのENE、つまり気力値が異常に高いみたいでね。気絶も眠りも通用しないから、毒とまひで大人しくなってもらったんだよ。その代償に何人かやられたけどね」
動転していて気づかなかったが、周囲にのびている男が数人いる。
ヴェリスは思った。
自分がのんきに座っている間、佳果は戦っていたのだ。
佳果が一人で逃げなかったのはたぶん、わたしのせいなのだろう。
こいつらはなぜか、わたしたちのことを知っているようだから。
――わたしがここに行きたいと言わなければ、こうはならなかったのだろうか。
佳果の痛そうな表情を見るほどに、感じたことのない情動がせり上がってくる。
「うっ……うっ……」
「おや、泣かせてしまったかい。でも大丈夫、二人とも目隠しして運ぶ予定だから。もう何も見なくていい――それならこわい思いをせずに済むだろう?」
「てめぇ……ざっけんな……! もう……お前ら二人だけだ……俺がぶっ飛ばしてやる……!!」
「どうします? 満身創痍とはいえ、あいつのポテンシャルは脅威です」
「はは、こういう時のための切り札だろ? ……《シンクラティス》!」
(っなんだ……!?)
男がスキル名を唱えた瞬間、佳果とヴェリスを金縛りが襲った。抗おうとするも、まったく力が入らず喋ることもできない。
「さすがの効き目ですね」
「"絶対拘束"。15秒とはいえ、あらゆる対象を行動不能にできるのは我ながら最高の使い勝手だよ。さて、このまま手錠と縄でしばりつけて………………なに」
気がつくと、今しがた掴んでいた拳が消えていた。否、ヴェリス自身の姿がどこにも見当たらないのだ。
眼の前で観測していたもう一人の男も驚きを隠せない。まるで手品のごとく行方をくらました彼女は、もはや気配すらも残っていなかった。
「こ、これはどういうことで!?」
「わからん。だが……あのこどもが動けなかったのは間違いない。阿岸佳果がそこにいる以上、第三者の介入と考えるのが自然だろう」
「いったい誰が……」
「ともかく、キーパーソンの捕獲は失敗だ。今はあいつだけでも運ぶぞ」
がんじがらめにされながら、佳果はさきほどの出来事を思い返していた。ヴェリスが消える瞬間、たしかに背後から声がした。
『ひとつ貸しですよ』
確かにそう聞こえた。これからどうなるのかわからない身空であるが、彼は自分でも不思議なほど冷静さを取り戻して、ひとまずヴェリスから危機が去ったことに安堵していた。
(……ちゃんと安全なところに逃してくれよ。むかつくけど、今は頼んだぜ)
◇
透明になったヴェリスが色を取り戻したのは、空の上だった。
同時に、黒ずくめのフードをかぶった人物に抱えられていることに気づく。
「は、はなせ!」
「おや、随分な物言いですね。せっかく助けてあげたというのに」
「たす、けた……?」
「ええ。このままでは私の楽しみがなくなってしまいそうでしたので」
「……?? なんでもいいけど、助けるなら佳果を助けて!」
「それはできない相談ですねぇ。これはあなたが招いた事態でしょう?」
「っ……!!」
謎の人物は宙を走ってフリゴの町に着地する。
ここはさっきまで泊まっていた宿屋の前だ。
「彼を助けたいのならば、ひとまずこの中で待っていなさい。部屋にいれば、いかなる者であろうともあなたに干渉はできません」
「そ、そんなことしている場合じゃ……!」
「大丈夫ですよ。敵もやりすぎれば強制退場になるということぐらい、弁えている連中です。あれ以上、彼が痛めつけられることはない」
「で、でも……」
「あなた一人で行って、何ができるんです? スキルが使えるならまだしも、また同じ目にあうのがオチですよ」
「っ……でもぉ…っ……!」
ヴェリスは再び大粒の涙を流し、手をぎゅっと握りしめている。
謎の人物はやれやれと肩をすくめて、おもむろにウィンドウを開いた。
そこにはテレフォンマークが表示されている。
「もしもし、もぷ太くんかな? ……なんで電話番号を知っているのか? ククク、そんなくだらない質問をしている時間があるのかなぁ? …………そう、緊急事態だよ。なにせYOSHIKAがさらわれて…………ああ、こどもなら宿屋にいるけれど? とりあえず、気になるなら早く戻ってくることだね。それじゃ」
「もぷ太……楓也?」
「ええ、そうです。お次はアーリアですね。……もしもし、知京椰々さんですか。…………誰だと思います? …………さすがは聡明でいらっしゃる。詳しいことはもぷ太くんに伝えてありますが、あなたがいないと少々厳しい事態になっておりますよ。…………ええ、こどもは元気です。さて、お話は以上。今日はぜひ、早退されたほうがよろしいかと」
謎の人物は電話を切り、ヴェリスに改めて宿屋へ入るよう促した。
彼女は困惑しつつも、本当に助けてくれたという実感が湧く。
しかしこういうとき、なんと言ったらいいのかがわからない。
「あの……その……」
「ああそうだ、二人が到着したらこれをお渡しください」
渡された紙切れにはXとY、そして数字が書かれていた。意味がわからないため尋ねようとすると、謎の人物は既にいなくなったあとだった。
やっと佳果がスキルを使いました。
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